上半期の振り返り
こんにちは。経済学部2年生の酒井雄介です。
今回は、上半期の振り返りということでこの半年間をさらさらっと見ていこうと思います。
1月22日 鳥栖ロードレース(32分51秒)
11月にけがをしてから、12月末から徐々に練習再開、1月にはある程度練習をできるようになってましたが、それでも練習不足だったと思います。
実際にレース展開はスタートから中途半端なところにいたため、前も追えずとにかく後ろからにげるという感じになってしまいました。
その後、インフルエンザにかかってしまいしばらくの間苦しい日を過ごすことになりました。
2月26日 県下一周駅伝代替大会 13区 5.7キロ(17分52秒)
2月は特にひどかった。
・アクティブレストのサッカーで三笘選手のようなプレーをしようとして頑張りすぎた結果、数日間動けなくなる。
・佐賀大学さんとの合同練習では、昼食で食べたカレーが大きすぎて午後のポイント練習はDNF。
こんな感じでひどい月でしたが、
2月末に県下一周駅伝代替大会。
3月初めに玉名ハーフ。と大会があったこともあり、準備期間1週間くらいの付け焼刃の練習で2月末の大会にあわせました。
駅伝本番は強風の中のレースでしたが、繰り上げスタートの区間だったので集団の中で走り、ある程度楽に走ることができました。
3月5日 玉名ハーフマラソン(70分27秒)
県下一周終了後から、調子を落としました。長い距離の練習もできていなかったです。
しかし、ハーフマラソンに出てみたいという好奇心があったので練習の一環として3分20秒で刻んでいくことにしました。
実際にレースではきつい場面も多くありましたが、同期の助けもあり最後まで刻んで走ることができました。初めてのハーフは楽しかったです。(ちゃんと対策をしてハーフにもでて見たい)
4月 部内5000mTT(16分33秒)
ここが1番きつかったです。今思うと2,3月が練習量に対して本番がうまくいきすぎていたので心のどこかに「まあやれるだろう」という気持ちがあったと思います。
5000mをちゃんと走ってこのタイムだったこと、新1年生が見学に来てくれたタイミングで醜態をさらしてしまった恥ずかしさなど、様々なことで整理がつかなくなり、立ち直れなくなりしばらく走らない日々が続きました。
4月中旬以降 立ち直ったが……
4月中旬からなんとか走り始めましたが、3月から徐々にきていたすねの痛みにやられてまた走れなくなりました。そこから5月末まで、少し治ってきたと思ったら走り出し、また痛めというような生活を続けてしまいました。
そういった中途半端な生活を繰り返してしまったせいで、4,5月の大会はほぼ全部DNS。1月から目標にしていた全日本大学駅伝予選にも出られず、みなさんにご迷惑をおかけしました。
これから、、、、、、、
この上半期を端的にあらわすなら怠惰、傲慢+怪我という感じでしょうか。
こうやって振り返りを書いていると自分のひどさが浮かび上がってくるので悲しくなってきますが、振り返ったうえで大切にしたいことを書いて終わろうと思います。
「結果目標ではなく努力目標を大切にする。」
これが今後大切にしていきたいことです。
大学生になって、ミーテイングの機会も増え、目標を発表することが多くなりました。
そのなかで、私は理想を詰め込んだ結果目標(○○大会で何分を出す。駅伝で区間何番をとるなど)ばかりを言っていてそこに過程(そのためになにをする)がふくまれてなかったと思います。
その結果、
・現在地とゴールの距離がわからなくなる。
・結果が出ず、諦める、うまくいっていた時のことばかり考えてそっちに逃げる。
→怠惰、傲慢になる。
といったように悪い循環にはまっていました。
だからこそ、今後は大きな結果目標を意識するのではなく、小さな努力目標にフォーカスをしたいと思います。
目標設定の方法は人それぞれあると思います。大きな目標のほうが燃える人もいるでしょう。
ですが、私は、基本的に自己肯定感が低い人間なので多分過大評価とかしないほうがいいのだろうと思います。(19年間の人生での気づき)
最後に
さらっと書くつもりでしたが、こってりとした文章になってしまいました。
1発書きで添削とかも全然していないので、読みづらかった文章だと思いますが、ここまで読んでくださりありがとうございました。また、今後もよろしくお願いします。