【おうた】寸止め タイムリー。【『赤鬼と青鬼のタンゴ』】
こんにちは!
エゴサーチはしたことないけど、〈尾藤イサオサーチ〉はほぼ日課です、ながおかです。
今年は124年ぶりだかに2月2日が節分だったそうですね。
どうしてそうなっているのかよくわかりませんが、そうらしいです。おそらく宇宙の関係のなにかなのでしょう。
■ ……。
ええと。
節分といえば。
一年に一度の、あれです。
そうです。それです。
【 す っ ご く 『 赤 鬼 と 青 鬼 の タ ン ゴ 』 が 聞 か れ る 日 !】
です!
わたくし、豆まきもしなかったし恵方巻きも食べなかったけれど、
〈尾藤イサオサーチ〉は平常運行で敢行しましたので、たしかです。
節分。といえば豆。といえば鬼。
今年も日本中で(主にラジオ番組などで)『赤鬼と青鬼のタンゴ』が流れ、
しかも年中行事の絡みだからでしょうか、
古式ゆかしく、オリジナル(尾藤イサオ)版で流され、
歌のおにいさんやおねえさんがニコニコ歌っていたバージョンしか知らなかった方たちも、改めて、
〈これ、尾藤イサオの歌だったのか!〉
とか、
〈尾藤イサオ、いい声~〉
とか、
順調に気づき、順調に呟く日。
そしてそれらに対し、
ちょっと間違った感じの尾藤ファン(私か…)が、
こっそりとエゴ(ではないが)サーチして歓び、
ときに思わずイイネ!をつける日、
うっかりするとリツイートもされたりするので気をつけてほしい日。
※ そ れ が 《 節 分 》 で す 。
なんか世界中のいろんなチョコレートが出回ったりもするし、
二月は、わりと好きな月。
寒くて短くて楽しい。
■
ただ、なんとなくですね、
節分にこの曲が流れることに、
違和感ってほどおおげさじゃないんだけど、
かるく〈へんなかんじ〉がしてたんですよね。
とはいえ、
その〈へんなかんじ〉の理由については、
あんまりふかく考えたことがなくて、
まあたぶん、自分がいちねんじゅう尾藤イサオを聞いてるからだな、
くらいに思ってたわけです。
『赤鬼と青鬼のタンゴ』についても、
おおよそ毎日聞いているので、
節分だ!豆だ!鬼だ!
尾藤イサオだ!!
…みたいに言われてもねえ、
こちとら、
※ デ イ リ ー ユ ー ズ な ん で 。
みたいなことかなぁ、
とおもっていたのですが。
■ いや、ちがいました。
今年の節分の2月2日に、
(124年ぶりだったからかどうかはわかりませんけども)
家から出がけに、Walkmanをonしたら、
なんと、しょっぱなに、
『赤鬼と青鬼のタンゴ』が流れてきたのです。
(※わたしのWalkmanくんは、
シャッフルリピートで永遠に尾藤イサオをかけてくれる仕様です。)
で、
おお、ずいぶん空気を読んでくるじゃないか、わがシャッフル機能よ!
とおもいつつ、イントロのいい感じの笛の音を聞いていたら、
いつも通りのよい声で、いつも通りのよい尾藤が歌い出してくれたわけです。
♪ あきかぜの わすれもの ゆうやけ ぴーひゃららー
ね。
いやもうほんとうによい声です。
この時点でいつも、わたくしは、
パブロフの犬とヴィクターの犬をかけあわせた感じになり、
ビトウ…コエ…スキ…
くらいの言語能力になってうっとりしてしまうので、
これまで気づいていなかったのですが。
その日は、イントロが入った段階で、
節分の一発目から『赤鬼と青鬼のタンゴ』がかかるなんて縁起が良いな、
とかなんとか、わりとにんげん寄りの思考をしていたので、
ん?と、ひっかかりをおぼえたんだとおもいます。
…これ、もう、一言めから、(ものっすごくいい声で、)
〈秋風の〉
って、ゆってるじゃないかーい、と。
だから、これ、ひょっとして、いや、ひょっとしなくても、
【 秋 の 歌 で は な か ろ う か 。】
ていうか、秋風の、〈忘れもの〉てゆってるもの、
秋っていうか、なんだったら、
【 晩 秋 の 歌 な ん じ ゃ な か ろ う か 。 】
旬とかじゃなかった。
二月関係なかった。
節分用じゃなかった。
とまあ、
ほんの数秒前に感じた〈タイムリー感〉を返してほしいきもちにも、
ちょっとだけなったわけなんですが、
よく考えたら、
どんな季節の歌であろうと、
わたくしはシャッフルしリピートし毎日聞いているのでした。
※ デ イ リ ー ユ ー ズ な ん で し た 。
だから今日聞いてもいいんだ。
毎日が旬だ。
■ ……。
いやもうほんと、毎度毎度、
「だから…どうした…?」
と聞かれたら、
「すみません…どうもしません…」
と答えるしかない内容の記事でもうしわけありません。
ていうか、節分だってもう済んじゃってるしね、
旬でもタイムリーでもなんでもないけれども、
■ 行きがかり上!
『赤鬼と青鬼のタンゴ』(尾藤イサオバージョン)の魅力について語ります!
(どういうことだ…)
(行きがかりって何だ…)
(ザワザワ…)
にぎやかしにカイジ風のガヤを入れてみました。
ほんとにどうでもよいですねそんなことは。
ええと、(尾藤イサオバージョン)と入れたのは、
うたのおにいさん・おねえさんバージョンの音源もあるからです。
この歌そのものがたいへんにかわいいので、
おにいさん・おねえさんバージョンも否定する立場ではございません。
ちいさなお子様が、一緒にうたいましょう!てなるのは、
おにいさん・おねえさんバージョンだろうと、思います。
そこへ行くと、
尾藤イサオバージョンは、
【むしろだいぶん大人向け。】
な、仕様に仕上がっております。
だけど、いわゆる大人のための大人向け、ではなくて、
こども向けの大人向け、なんです。
(さあややこしくなってきたぞ。)
たぶんそれは、
聞き手として想定しているのがこどもたちでありながら、
その聞き手であるこどもたちを、
〈こどもあつかいしないうた〉
だからなんだとおもいます。
こういうのを、「みんなのうた」として、
「良いうたですよ!」ってお墨付きをつけて放送してたのが、
教育テレビ(現Eテレ)のすてきなところだとおもう。
■『赤鬼と青鬼のタンゴ』(尾藤バージョン)の、
★大人ポイント①
《やけに色っぽいコーラス。》
…「尾藤イサオ&ドーン」のイメージがあったからでしょうか、
当然のような顔をして、女声のコーラスが入るわけなんですが、
その、合いの手というんでしょうか、
歌詞と歌詞の間に入るスキャットがですね、
〈うーん♡〉
なんですよ。
や、〈うーん〉て言ってるのかはよくわからないんですけど、そういうふうに聞こえるんですよ。
で、これはもう、聞いていただけたらすぐに「だね!」ってうなずいてもらえるとおもうんですけれども、
〈♡〉
は、ついてるんです。
〈うーん〉ではないかもしれないけど、〈♡〉は確実についている。
歌い出しから、尾藤がひとこと歌うたびに、〈うーん♡〉って合いの手が入るのです。
秋風の、〈うーん♡〉、わすれもの、〈うーん♡〉
て。
これ…こどもがきいてだいじょぶなやつだったのかな…て、当時こどもだったわたくしはいま、ちょっとだけおもっています。
だけどね、それがね、あたかも、
ロックスターが、ブロンド美女をはべらせて、
何かひとこと言うたびに、
〈きゃあ♡〉〈きゃあ♡〉ってゆわれてるよ、
みたいなかんじで、カッコイイんです。
…まあ、鬼なんですけどね。
つのつのが一本の赤鬼どんか、
つのつのが二本の青鬼どんか。
いずれにしても、鬼なんですけど。
でもね、歌声が尾藤だから、つのつのが何本であっても、
そこは問題なくかっこいいわけです。
何本でもいいんですよ、つのなんて。
(何の話…)
★ 大人ポイント②
《てかげんしない、尾藤イサオ。》
こども向けの曲だからといって、
こども向けぽい歌い方をしないのが、
尾藤イサオのすてきなところだとおもいます。
そしてそこが、おにいさん・おねえさんバージョンとの、
もっとも大きいちがいかなと思います。
たとえばね、
〈ぴーひゃららー〉
の「ら」は、巻き舌の「Ra」です。
〈つのつのにほん青鬼どん〉
の〈どん〉は、微妙に、ほんの少しだけリズムを遅らせて歌われます。
あと、サビに来ると歌い方が変わります、
それまでより喉の奥のほうを使うっていうか、
ちょっとオペラぽい(?)ていうかね、
同じ曲の中で、声の出し方を変えて歌います。
そういうの、
なんでかっていうと、たぶん、
「そうしたほうがカッコイイから」
だと、おもう。
子供向けのうただけど、
ていうか、
子供向けのうただから、
カッコイイほうがいい。
楽譜どおりにただしいよりも、
まねして歌いやすいよりも、
聞いてて〈カッコイイ〉うたが、
いちばんズシンと残る歌だと、
これはもう、
幼き日のインプリンティングにより、
永遠に尾藤イサオをだいすきであるという、
よにもうつくしい呪いにかかっているわたくしが言うのだから、
まちがいありません。
こどもに聞かせるために、
どんな歌がいいのか、
私にはよくわからない。
だけど、
こどもが聞くのに、
どんな歌がいいのか、
ってことは、
たぶん知っている。
聞いてて〈カッコイイ〉うたが、
いちばんズシンと残るうただよ。
★ 大人ポイント③
《説明のすくない歌詞》
これは尾藤の歌に限らず、
「みんなのうた」全般に言えることかなと思うんだけど、
歌詞のなかでぜんぶを説明してしまわないうたが多い気がします。
『赤鬼と青鬼のタンゴ』も、
〈秋風の忘れもの〉がとどいたよ、と、
それでうかれた赤鬼と青鬼が、
タンゴのリズムでおどりましたよ、と、
いう歌なんだけれども、
〈その忘れものって、なんですか?〉
てとこは、絶妙にぼやかされてる、わけです。
鬼たちがすっごく好きな何かかもしれないし、
もしかしたらゆうやけとか、やまびことか、
歌詞に出てくるものを指してるのかもしれないし、
それとも歌自体や、
おどるってこと自体が、
忘れていた贈りものなのかもしれない、
とか、いろんなことは考えられるけど、
正解はぜんぜん示されていなくて、
ただ、〈それ〉が届いたうれしさとか、
たのしさとか、
うたとかおどりとか、
が、
〈月の瞳 ロンロンロンロン〉
とか
〈夜はいま 夢ごこち〉
とか、
ああ、愉快なんですね…!
ていうのが、すごくよく伝わる歌詞でうつくしく提示されてて、
だから、〈それ〉は、
その届いた〈忘れもの〉は、
(何なのかは、わからなくても、)
※ なんか、すごく、すてきなものだ。
ってことだけは、はっきりとわかる。
そういうふうに、
歌のあいだに残された余白があること、
歌の世界を完成させるために、
いちばんたいせつなさいごのピースを、
〈自分で埋められる〉
ってことが、
このうたの、ものすごくカッコイイところだと、おもう。
おどりたくなるほどうれしいものは、
こどもの数だけちがうってこと、
あの子とこの子とわたしとは、
仲良しだけどちがう子だってこと、
わかってくれている気がして、嬉しいのかも、しれない。
■ ……。
と、いうわけでね、
そうなんです、節分に聞きそびれた方たちよ、
今からでも遅くありません、
あれは節分の歌ではなかったのです、
どちらかというと、デイリーユーズです。
もしかしたら意外かもしれませんが、
配信もされていて、MP3で購入も可能だったりなので、
機会があればぜひ、ラストの、
〈タンゴの〉
の、
〈の〉
からはじまる、〈カラオケでまねできないタイプのあれ〉を、
お聞きいただきたい、とおもっている次第です。
ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、
……いい声。
毎日惚れ直す。
て、結局は、そういう話か。
■(そうです。)
『いつも心に、尾藤イサオを』。
( ↓ 夕焼けの写真の )
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