教育から大人を取り残さない ー第7回ユネスコ国際成人教育会議に向けて
近藤牧子(早稲田大学等非常勤講師・DEAR副代表理事)
来年2022年、モロッコで第7回「ユネスコ国際成人教育会議」が開催されるにあたり、DEAR News204号(2021年10月/定価500円)の特集記事を公開します。
12年に一度のユネスコ国際成人教育会議
来年2022年に、ユネスコ国際成人教育会議、通称「CONFINTEA:コンフィンティア」(以下、成人教育会議)の第7回会議がモロッコにて開催される。この成人教育会議は、決して知名度のある会議とは言えないが、第二次世界大戦後の1949年、第1回エルシノア会議(デンマーク)以降、12年に一度開催され、第3回会議(72年)は東京開催であった。
この会議で採択されてきた成果文書*1 は、教育や成人教育にとって重要な理念や、その理念を実現する具体的行動の枠組みを提示してきている。第4回パリ会議(フランス、85年)では、「学習権宣言」の採択を通じて、学習は人間の基本的権利であるという、万人のための教育(Education For All:EFA)の理念が掲げられた。宣言には、学習権とは「文化的ぜいたく品ではない」「生存の欲求が満たされたあとに行使されるようなものでもない」「単なる経済発展の手段ではない」とし、学習活動は「人々をなりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである」と明示された。
第5回ハンブルグ会議(ドイツ、97年)で採択された「ハンブルグ宣言」には、持続可能な開発や、人権、ジェンダー平等、グローバルシティズンシップといった教育の価値が示され、その内容は現在のSDG4.7*2 にほぼそのまま反映されている。前回である第6回ベレン会議(ブラジル、2009年)では、EFAを実現するための「ベレン行動枠組み」が採択され、政策、統治、財政、参加・包摂、質、の五つの評価観点が設けられた。そして特に、現在のSDG4タイトルにもなった教育の「質」の重点化が図られた。
なお、会議開催間隔の12年が長すぎるとして、第5回会議と第6回会議の中間年には「CONFINTEAⅤ+6」(タイ、13年)が、第6回会議と第7回会議の中間年には「Mid-Term Review:MTR」(韓国、17年)が開催されている*3。
世界的な新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況からすると、国際会議の対面開催は厳しい状況であるが、オンラインを駆使しながらすでに第7回に向けて地域ごとの準備会合等プロセスは始まっている。
教育は子どものためのもの?:EFAへの鍵となる成人教育
そもそも成人教育は一般的な言葉ではなく、耳慣れないかもしれない。
「教育」といえば、圧倒的に学校教育を中心とする子どもを対象としたイメージがある。筆者が大学生の頃から「教育学を勉強/研究している」といえば、「学校の先生になるの?/学校や子どもの何かについて?」という質問され続けてきている。そもそも、日本における学校教育課程外の領域である社会教育という言葉ですら、昨今特に一般的ではないのかもしれない。
教育学の主流がペダゴジー(pedagogy:子どもの教育学)なのは事実であり、アンドラゴジー(andragogy:成人の教育学)が知られるようになるのは1980-70年代である*4。 成人の発達論により、成人には子どもの発達とは異なる特性があることを認め、その特性に基づいた成人教育実践を組織する必要性が明らかにされてきた。
人間の一生のほとんどは「成人期」である。また、私たちは成年年齢を迎えれば自動的に「成熟した成人」となるわけでもない。あらゆる面での自立をしていき、自己決定性や社会性を成熟させ、自らを充足させていくこと(おおまかに、それらを成人性の発達という)は、生涯をかけた発達課題であり、発達プロセスであり、教育や学習を必要とする。
そしてまた、社会での意思決定に対し、明らかに力を持つ大人たちが学び続けなければ、より善い社会づくりには及ばない。子どもの教育や学習が重要であるのは言うまでもないが、同等の重要性が成人教育にもある。
識字をはじめとする基礎教育の問題も、人が子ども期であれば非就学の問題として重視されるが、数年経って成人期に入れば軽視されてしまうような状況はあってはならない。そして職業教育や市民教育も若者の問題に収斂されるべきではない。成人教育も重視してこその、EFA(Education For All)の理念である。
しかし、各国ともに公的な制度をはじめ、成人教育の質や量の保障は充実していないため*5、基礎教育や職業教育などに加え、コミュニティ形成やあらゆるマイノリティの学習支援、成人教育者養成、成人教育研究の推進が、この会議の目的である。
市民社会組織(CSOs)の役割
ユネスコが主導してきた成人教育会議であるが、第1回開催から加盟国政府だけではなく、市民社会組織からの参加者があった。第3回会議後には、この会議へのアドボカシー市民社会ネットワーク団体である国際成人教育協議会(ICAE:イカエ)が設立された。そのICAEをアンブレラ組織に、世界各地域のネットワーク団体が存在する。アジア太平洋の団体であるASPBAE(アスベ:アジア太平洋基礎・成人教育協会)には、DEARも加盟しており、開催される定期的な会議やイベントには、アジア各国で自らの地域の現場に携わる実践者たちが参加している*6。
こうしたネットワークにより、成人教育会議の内容をつくりあげるプロセスや、採択された内容に対するモニタリングや評価において、各国政府任せではなく、市民社会組織が積極的に関与・参加することを可能にしている。
例えば、会議プロセスへのコミットとして、2017年の「Mid-Term Review: MTR」では、ICAE主催のプレ会議を実施し、市民社会組織としての本会議への準備会合が行われた。約80名の参加者があり、MTR本会議に向けて、市民社会組織の存在感をアピールし、政府関係者や意思決定者たちに力強くアドボカシーをすることの戦略化を目的として開催された。会合の短い時間の間に「市民社会声明」をまとめ、本会議にて報告をした。
また、モニタリングや評価に関しては、第6回会議からのこの12年間には、「ベレン行動枠組み」の各国進捗状況をはかるため、「成人教育・学習のグローバル・レポート(通称:GRALE)」が第一次から五次にわたって作成発行されてきた。しかし、ユネスコから政府に送付されている調査書の市民社会組織との共有は、ネットワーク基盤による関係性を必要とし、なかなか困難なのが現状である。
日本でも連携協力によるモニタリングはうまくいっておらず、第二次レポート(13年)の日本政府の回答では、「日本の学校教育システムは管理が行き届いており、ほとんど全ての子どもたちが義務教育に通っている。よって、成人の非識字の問題は社会問題と認識されていない」「非識字の問題は社会問題と認識されていないが、途上国の識字活動援助をする組織がある」という、現実に反した記述内容の回答が提出され*7、第三次レポート(16年)への回答では、冒頭の「成人学習・教育の公的定義はあるか?」という質問に対する「No」の回答を筆頭に、ほとんどが空欄、あるいは把握していないとされていた*8。
そうした状況から、第7回会議で発行される最終報告となる第五次レポートに関しては、DEARのALE(エール:成人学習・教育)プロジェクトチームを中心に、日本社会教育学会、基礎教育保障学会、日本公民館学会に関わる社会教育関係者と連携し、文科省回答に対してコメントや提案をした結果、多くの箇所が反映された。それを契機に、担当部局である総合政策局生涯学習推進課や地域学習推進課と本会議に向けた情報共有や提案、勉強会などを実施している。
第7回会議の焦点はアクティブ・シティズンシップの教育
聞き慣れない言葉や情報が多く、読者の皆さんを混乱させてしまうかもしれないが、もう一つ重要な点を紹介させてもらいたい。
1974年に「成人教育の発展に関する勧告(通称:ナイロビ勧告)」がユネスコ総会で採択されたが、その改訂として、15年に「成人学習・教育に関する勧告(通称:2015年勧告)」が採択された。そこでは、教育、文化、政治、社会、経済的な今日の課題への対応として重要な新しい観点がまとめられた。そして、課題に対応していく成人教育の中心的学習領域として、
①識字と基礎教育
② 継続教育と専門開発(職業スキル)
③リベラル・民衆・コミュニティ教育(アクティブ・シティズンシップ・スキル)
が提示された。
先述したグローバル・レポートの第四次レポート(19年)では、「ベレン行動枠組み」の五つの指標(政策、統治、財政、参加・包摂、質)に、勧告の三つの観点を併せた調査から、③のアクティブ・シティズンシップの教育の強調が見られた。強調といっても、不十分過ぎる現状の指摘と今後の推進課題提起である。現状として、基礎教育や職業教育に関しては、ほとんどの国がなんらかの言及をしている一方で、アクティブ・シティズンシップの教育への言及は、139カ国中20カ国のみにしかみられていない。そして言及した国々は、アクティブ・シティズンシップの教育センターが存在するようなラテンアメリカや北欧諸国であるとされている。
シティズンシップやアクティブ・シティズンシップの概念は1990年代以降の欧州にて発展した。その最中であった97年、第5回会議で採択された「ハンブルグ宣言」の第2項目において、「成人教育はアクティブ・シティズンシップの結果であり、社会における完全な参加の条件でもある」と記され、アクティブ・シティズンシップと成人教育の不可分性が指摘されている。さらには、そうした成人教育は「生態学的に持続可能な開発を促進し、民主主義、正義、ジェンダー平等、科学的、社会的および経済的発展を促し、暴力的な紛争が対話と正義に基づく平和の文化に取って変わる世界を構築するための強力な概念である」としている。
アクティブ・シティズンシップの教育は、「2015年勧告」において「貧困、ジェンダー、多世代連携、社会変動、正義、公正、排除、暴力、失業、環境保護、気候変動などの社会的課題に積極的に取り組めるようエンパワーする。それはまた、人々に健康とウェルビーング、文化、精神性、その他人格的な発展と尊厳に役立つすべての面で充足した生活を送る助けとなる」とされた。
第四次レポートでの説明は、これにほぼ同文であるものの、社会的課題の「社会変動」の代わりに「フェイクニュースの台頭」が記されている。そして、社会的課題に取り組むようエンパワーメントされることは、個人レベルでも、健康とウェルビーングや自己成長と尊厳に貢献するとし、社会課題を学ぶことと個人の生活の充足の関連性を示している。
第7回会議では、このアクティブ・シティズンシップの観点に焦点が当てられる予定である。
SDG4はEFA運動の一環であり途上にある:成人教育の観点を軽視しない
最後に、前述したMTRでの市民社会組織によるプレ会議における、当時ICAE会長であったカトリーナ・プロヴォヴィク氏による力強いスピーチ内容を紹介したい。
氏は、「ベレン行動枠組み」では、「レトリックではなく行動を」がスローガンとして掲げられたにも関わらず、明確な成人教育の財政指標を設けなかったことを指摘した。そして、世界がより不平等になっている現実、ネオリベラリズムが幅を利かせ、気候変動の問題や紛争は激化し、ポピュリズムやナショナリズムが台頭し、人種差別の機運が高まっていることをふまえ、「教育は多くの人にとって現実的なものにはなっていない」と語った。
また、すべての人が教育への権利を有しているにも関わらず、SDG4では、成人教育の要素がほとんど見られず、生涯学習の概念の中に埋もれ、多くの脆弱な立場にある人々がさらに無視、または周辺化されていること、そうした人々に財政投入されていないことを指摘した。
さらに、成人教育はいつでも重視されない危機にあるが、「私たちはベレン行動枠組みの進展を見極め、市民組織の成果を祝福し、お互いの多様な経験から学ぶことで強い連帯を作っていきましょう」と述べた。
噴出している社会課題を、渦中にある当事者として大人が学べる環境醸成がなされ、人々が基礎的・職業的・市民的な力を得ていくことで社会を変えていくような教育の実現には、その重要性の合意からして、まだまだ不断の努力が必要である。
筆者は、第7回会議で作成される成果文書そのものに対しては不安を抱いていない。現在の社会課題をしっかりとふまえ、SDG4に抜け落ちた観点や自らをエンパワーし、社会を構築していくことに資する教育を全ての人に、というEFAに向けた教育の根源的な価値と実現への具体性が再び示されるであろう。しかし、この成果文書がどれほど各国政府で重視され、国際社会で重視されるかについては、大変な危惧がある。
DEAR内では、現在ALEプロジェクトチーム が会議への準備に当たっているため、この成人教育会議の動向をもとに、これからの教育についてより多くの方々で議論され、実践されるよう発信していきたいと考えている。