“多様”の“許容”
こんにちは、hana です。
今回は、「#note感想文」に投稿してみることにします。
わたしがnoteをはじめるきっかけとなったのがこの記事。
「#ゆたかさって何だろう」投稿コンテストをたまたま発見し、賞を獲った作品を読んでいる時に、この投稿に出会った。
↓「#ゆたかさって何だろう」投稿コンテスト結果発表ページ
https://note.com/info/n/nc9d46f326f0c
「多様性」や「ゆたかさ」を大切にしようとひとは言うけれど、じゃあ一体あなたは「多様性」を本当に大切にしているの?あなたにとっての「ゆたかさ」って何?と問いたくなる。漠然と言葉だけが独り歩きして、それが何を意味するのかイマイチ理解できなかった。
共感してくださったそこのあなた。ぜひこの投稿を読んでみてください。完璧に、とは言わないけれど、きっと何か感じるものがあるはず。
教育に興味のある人間としては、「公立学校でこんな教育が行われているのか」と驚きを隠せなかった。ひとりひとりの「個性」を「個性」ととらえているだけでも感動するのに、それを尊重する姿勢が感じられた。すごい。ほんとうに、すごい。
はてさて、わたしが先生だったら。慶太朗くんの「個性」を尊重できただろうか。叱って、おとなしくさせようとしてしまうかもしれない。そう考えたとき、視点が「慶太朗」から「先生たち」に移った。はじめは慶太朗くんの行動のことを考えていたのだが、いや、まてよ、?考えるべきは先生たちの行動じゃあないか?と気づく。
ここで、みなさん。先生たちの行動にフォーカスしてもう1度読み直してほしい。先生たちのしたことは、「多様性」とか、「ゆたかさ」ってものを本質的に理解して、それが体に染みついていないとできないことなのでは、と思う。お父さんの体験記を読むと、それがなおわかる。
この投稿に出会って、価値観がすこし、変わった。
慶太朗くんの、のびのびとした成長が、なんだかうれしかった。
教育に、可能性を感じた。
「真のゆたかさ」を体得するにはまだまだなわたし。
まずは、”多様”を”許容”するところから始めてみようと思う。
では、また。