そういえば、マイペースだった。
ふと、そう思った。
話すスピードがゆっくりだからか、食の好みが子どもらしくないからか(スーパーで塩辛を母にねだっていたらしい)、当時の流行りにもあまり影響されることなかったからか。マイウェイを行っているように大人の目には映っていたのだろう。子どもの頃から、「おっとりしてマイペースだね。」と言われて育った。
「マイペース」という単語の意味も、そこまで深く理解していない頃からそう言われていたから、「どんな性格?」と聞かれたときは、とりあえず「マイペース」と答えていた。
「マイペース」とは身近な表現だけど、仕事、年収、外見、など、SNS等を通して他者との違いを意識させられることの多い現代、変化のスピードが早い今、本当の意味で「マイペース」でいられることの難しさを感じる。
私もいつからか、「マイペース」と周りからは言われるし、自分でもそう言ってるんだけど、「果たして私はマイペースなのか?」と思っていた。
宿題ができないのが嫌で、週末旅行に行きたくないと母に泣きついたことがあった。塾が忙しくなって、習っていたピアノを辞めた。好きだった絵もいつの間にか描かなくなった。中学受験することになって、周りの友達と同じように「〇〇学園 絶対合格」みたいなフレーズを至るところに書いていたこともあった。高校生のときは、定期テストで順位をキープできたことに安心したり、点数を友だちと比べたりした。大学時代は、周りと同じように就活の波に飲まれつつ何とか内定を得て、就職したあとは、成長しなくてはという思いに急かされるように、早押しゲーム如くいろんなプロジェクトに手を挙げた。結果、仕事以外に何か学んだり、新しい趣味を作ったりすることもなかった。人の顔色は結構伺うし、相手に合わせてない顔をして、さりげなく合わせることも多かった。
『全然マイペースじゃないな。』と思った。
というか、本来はマイペースだったのだけど、大人になるにつれて、マイペースな外見だけが残って、中身を伴わなくなっていったのだと思った。
5年前の自分が「何か変えたい」と思ったのも、こうした変化に心が窮屈さを感じていたからなのだろうと、ふと感じた。
この5年間、転職(と前後の悩み期間)とキャリアブレイクを経て、私はマイペースに戻った。自分の力で、戻した。
今は、週の半分くらいしか働いていないし、中途半端な出戻り社員。正社員だったときと比べれば、収入は大きく下がったし、外からの印象も別にかっこ良くはない。
少し前の私だったら、正社員のキャリアを積まないとお先真っ暗なんじゃないかとか、中途半端に出戻っても前の職場の人は不快に思うんじゃないかと周りの目を気にしていた気がする。
でも今は違う。
キャリアを積み上げるため・自己成長のために生きているわけじゃないと思えるようになった。だから、「今の自分」が一番心穏やかに、楽しくいられる生き方ができていて、現状に大満足している。
他人がどう思うかは自分ではコントロールできないことだから気を揉むのを辞めた。だから、一瞬誰かさんが遠回しな嫌味を言う顔がよぎっても、すぐに消え去って笑顔になってくれる。
今は、自分のことだけを考えている。
だから他者との関係においても、自分にとって大切な人のことだけを丁寧に考えている。それも相手のためではなく、自分のためである。
『そういえば、マイペースだった。』
マイペースであるという自意識もなく、自分のペースで生きていた、小さな自分に、完全ではないにせよ戻ったような気がした。