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【9月33日】 健全な夜遊び

某日

職場に帰省の土産として、ロイズのバトンクッキーを持って行った。昔からあるクッキーで、いくつか味の種類がある。定番の「ヘーゼルココア」と「ココナッツ」は北海道にいた頃よく食べていたのだが、今回、新千歳空港で「フロマージュ」という味を見つけた。数年前から出ている商品のようだが、私はまだ食べたことがない。チーズとホワイトチョコが使われていて、パッケージも白を基調としており、北海道らしさ全開である。東京の職場に持っていくなら、北海道らしさはどれだけあっても困りはしない。らしければ、らしいほど良い。土産とはそういうものだ。

らしさ重視で少々安易に選んだ土産だったが、これが予想以上に好評で、口々に「美味しい」との声をもらった。「ワインに合いそう」という感想もあり、なるほど、チョコの甘さよりチーズがしっかり効いているしょっぱい系のクッキーなのか、それはワインのつまみに良さそうだ、などと考えていると、無性に食べたくなってくる。

これは人によると思うが、私の場合、自分が職場に持っていった土産は自分では食べない。せっかく買ってきたのだから、職場の人たちにより多く食べてもらうべきだと思うからである。しかし今、この職場でロイズバトンクッキーフロマージュを食べたことがないのは、私だけである。私以外の人間はみんなロイズバトンクッキーフロマージュの味を知っているのに、北海道出身の、つい昨日北海道から帰ってきた私だけが、それを知らない。これは異常事態と言えるのではないか。職場の人数より多く入っている箱を買ってきたから、私が一枚頂戴したとて、何ら問題はない。今後のためにも味見をしておくべきではないか。

何度か手が伸びそうになったが、結局耐えた。ここで自分ルールを守り抜いた私にはこれからきっといいことがあるに違いない、などと内心ほくそ笑む。こんなクッキー1枚分のくだらない徳を積んだところで一体どんな見返りがあるのか不明であるし、こんなのを善行として数えるのは逆に浅ましいような気がしなくもないが、とにかく、次に帰省する時は職場用と自宅用で2箱買うことにする。



某日

東京に引っ越したらやってみたいと思っていたことのひとつが、映画館のオールナイト上映だった。ずっと機会を伺っていたのだが、シネマート新宿で山下敦弘監督特集のオールナイトをやるという情報を見てこれだと思い、すぐにチケットを買った。23時頃から朝の5時まで3本上映、3,300円。

21時近くなってから家を出て、新宿へ。イタリアン居酒屋に入り、オールナイトに備えて腹ごしらえをする。その店のカルパッチョは量が多いと知っていたのだが、どうしてもカルパッチョの盛り合わせが食べたかった。「お一人様だと多いかもしれません」というスタッフの穏やかな静止に対し、「でもまあ食べられないこともない、みたいな感じですかね?」と強引な問答で食い下がり、「そうですね」と無理やり言わせて注文。話のわからない客である。

白ワインを飲みながら待っていると、カルパッチョが運ばれてきた。オイルで光輝く4種の魚介を前に、私は独裁者となった。誰の動向も気にすることなく、思いのままにカルパッチョを食べる。美しい盛り付けが、自分の腹に丸ごと収まる満足感。カルパッチョを独り占めできることは、一人で飲む醍醐味のひとつと言えるだろう。映画の途中で眠くならないよう、酒は控えめにするつもりだったが、興が乗って二杯目、三杯目も頼み、それならばとパスタも食べてしまい、ほろ酔いで満腹という、オールナイトで映画を見るには最悪のコンディションを作り出してしまった。

不安になるほど賑やかな新宿の夜を足早に横切り、新宿3丁目にあるシネマート新宿の中に入ると、初めて来る場所なのに不思議とほっとした。ミニシアター特有の素朴な雰囲気は、喧騒から囲って閉じ込めてくれるような安心感がある。受付がこじんまりとしているので待ち客が溢れていたが、思ったよりスクリーンが大きく座席も多かったので、広々と余裕を持って過ごすことができた。

上映作品は『リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『もらとりあむタマ子』の3本。『リンダ リンダ リンダ』は随分と昔に観て以来だったが、こんなに良かったか!? と唸ってしまうほど良かった。公開されたのが2005年で、まさに私が高校生の頃。作中の高校生たちの制服の着こなしや髪型、持ち物なんかが、いちいち琴線に触れてくる。懐古して喜ぶ大人にはなるまいと思っていたが、昔観たときより圧倒的に感動している自分がいるのは事実なのだから仕方あるまい。この歳になったからこそ、わかることもあるのだ。

一億使ってもまだ二億、じゃないが、一本見てもまだ二本あるというのは思った以上に嬉しかった。基本的に映画館というのは観終わったら帰るものだから、まだ帰らなくていいと思うとやたら興奮した。家でなんとなく夜更かしして連続で映画を観たりすることがあるが、あれを映画館でやれるわけだ。この世で最も健全な夜遊びと言えるかもしれない。

ほろ酔い満腹で臨んだ割にはそこまで眠くもならず、最後まで観ることができた。映画館を出て、まだ暗い中、始発に乗り込む。始発は意外と人がいる。地下鉄が地上に出ると、外が明るくなっていた。駅から家まで歩く。活動をはじめる人たちと、活動を終える私がすれ違う。空っぽで朝を迎えたベッドは、待ちくたびれて冷たくなっている。そこに滑り込む瞬間が極上。


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長瀬ほのか
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