見出し画像

ベトナム田舎町に残る戦争の記憶【ギアロー国家歴史文化遺跡エリア】

みなさま、こんにちは。

青年海外協力隊としてベトナム・ギアロー市(ベトナム語表記:thị xã Nghĩa Lộ)で観光開発をしているスズキです。

今回はベトナム国家歴史遺跡に指定されているギアローの戦争関連の観光地「ギアロー国家歴史文化遺跡エリア」をご紹介します。


ギアローの戦争の歴史について

1895年にフランス軍が今ギアロー国家歴史文化遺跡エリアがあるこの場所にギアロー基地を建設したそうです。

1944年にはフランス軍はバヴァン基地(タイグエン省)から捕虜を移送するためにギアロー基地に収容所を建設し、1945年2月に捕虜となったベトナム人兵士100名程が移送されて来ました。

1945年3月17日に捕虜であった兵士らは蜂起を試み、脱出できた兵士たちは助かりましたが、9名が犠牲を払い亡くなったそうです。無事に脱出した兵士たちはすぐに彼らの地元に戻り、ベトナム8月革命の総蜂起に向け準備し、参加したそうです。この時に犠牲を払い亡くなった9名は英雄とされ、今もこの国家歴史文化遺跡エリアの敷地内にお墓があります。

※ベトナム8月革命についてはギアローの話は出てこないのでここでは書きません

その後ギアローでは1951年に蜂起するも失敗し、1952年10月17日~18日に再度蜂起し、1952年10月18日に戦勝したとされています。

このギアローでの戦勝は、ベトナム北西部での作戦やラオスとの国境付近のディエンビエンフーでの作戦の成功の重要な足掛かりとなったそうです。

そして、ギアロー戦勝から約1年7か月後の1954年5月7日にディエンビエンフーの戦いでの勝利を機にフランス軍がベトナムから撤退していき、この戦争(第一次インドシナ戦争)は協定(ジュネーブ協定)によって幕を閉じたそうです。

また、ギアロー戦勝後、フランス人捕虜が全員行方不明になったという大きな謎も残っているそうです。

※その後、ベトナム戦争へと発展していきますが、こちらもギアローの話は出てこないのでここでは書きません

国家歴史文化遺跡エリアについて

全体図

この戦勝記念碑のある国家歴史文化遺跡エリアは公園のように広く、敷地は3.5ヘクタールもの広さだそうです。

日本語を付けてみましたが
見づらいですね・・・

案内板

案内板にはフランス軍が1944年にギアロー基地を建てたこと、1952年10月17~18日にかけてギアローから敵を排除したこと、1996年9月に国家歴史遺跡に指定されたことなどが記載されています。

ベトナム語・英語表記があるので、
外国人観光客でも読むことができます

戦勝記念碑

この場所で一番目立つのは間違いなくこの戦勝記念碑です。かなり大きく、迫力がすごいです!

「Chiến thắng Nghĩa Lọ(ギアロー戦勝) 18-10-1952」
と台座に刻まれています

戦没者慰霊石碑

ここには403名もの戦没者の名前や出身地、第何部隊に所属していたのか、いつどこで戦死したのかなどの詳細が記された石碑があります。この建物は1997年に建設されたそうです。

戦没者の出身地はギアローだけではないので、様々な地域から戦争のためにここに来たことが分かります。また、情報が消されたり書き足されたりしている跡もありました。

大きな建物の中にある黒い壁に情報が刻まれています
戦没者の情報が記載されている石碑

英雄9人のお墓

先述のとおり、1945年3月17日の蜂起により犠牲を払い亡くなった9人の英雄のお墓があります。

石碑の右側には9人の名前等、左側には説明が書かれており、真ん中には「Đời đời nhớ ơn các anh hùng liệt sỹ(英雄的な殉教者たちに永遠の感謝を)」と書かれています。

真ん中の黄色はベトナムの国旗と同じ黄色い星型になっています
花が飾られたり、綺麗に掃除されていたり、今でも感謝し続けていることが伝わってきます

その他(写真)

戦勝記念碑の左右にある戦時中の様子を描いた壁(写真は左側の壁)
フランス軍が1947年に建てた旗竿(ポール)
ここから戦勝記念碑の後ろ姿がよく見えます
軍の人や物資を守るための防空壕
上の写真とは違う場所ですが、
深くて奥が見えません・・・
上の写真の場所とつながっていたのだろうか
9人の英雄やこの場所について記載されています
フランス軍基地の跡
フランス軍基地(要塞)の跡が一部当時のまま残されています
崩壊している様子が戦争の激しさを感じさせます
管理棟の建物の中には本がたくさんあります
ここは地元の学生が本を読む場所だそうです
この場所はナムさんがカギを開けないと入れません
本のある部屋には戦時中や戦後の写真も飾られています
戦時中にベトナム人が攻めて行っている写真や1952年の攻撃の計画を立てている写真、
そして戦後に退役軍人の方が昔戦ったこの地に戻ってきたときの写真もありました

担当者のナムさん

ナムさんはギアロー市の職員で、この場所の担当者として働いています。この場所のガイドもしていて、基本的には毎日いるそうです。

ナムさんはこの場所についてとても詳しく、いろいろと教えてくださいました。私は難しい単語が分からなかったので翻訳機を使いながらにはなりましたが、そのような手間があっても嫌な顔一つせずに私が分かるまで説明してくれました!

ナムさんの写真
写真は恥ずかしいみたい・・・
でも、載せても良いとのことです。
ありがとうございます!

↑ ベトナム語ではありますが、この場所が紹介されている記事です。赤い服を着て施設を紹介するナムさんの写真もありますので見てみてください。

施設情報

・名称:Khu Di tích Lịch sử Căng và Đồn Nghĩa Lộ
    (ギアロー国家歴史文化遺跡エリア)
・住所:Nguyễn Quang Bích, Tân An, Nghĩa Lộ, Yên Bái, Việt Nam
・時間:いつでも入場可(一部ナムさんがいないと見ることのできない施設
    がありますが、基本的には毎日いるとのことでした)
・料金:無料
・持物:飲み物(販売なし)、帽子
    日除けグッズ、虫除けグッズ
・備考:トイレあり(紙もあるそうです)、ベンチ・テーブルあり、
    階段あり(坂道もあります)

場所

ギアロー市中心部からも近く、QL(Quốc Lộ=国道) 32号線をDT(Đường Tỉnh=省道)174方面へ直進すると見えてきます。

入口には長い階段があり、像も大きいので、見たらすぐに分かると思います。ほかにも坂道の入り口があります。

階段がきつい方は、裏手に坂道入口もあります。
国道32号線側から来て階段が見えたら3差路をそのまま直進し、
すぐに湖があるのでその手前を左折すると見えてきます。
階段入口からは少し距離があります。

最後に

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
写真では伝わらない部分もありますが、戦勝記念碑は近くで見るとかなり大きく迫力があり、この場所がベトナム人にとってとても重要な場所なんだな、と感じます。

また、ギアローは少し見ない内にいつの間にか新しい建物が建って町の様子が変わっていると住んでいる私でも感じるくらい急速に発展中で、町の中心部は地方にしてはかなり都会の感じもします。

しかし、そんな町の中心部近くに戦争の爪痕が残っており、外国人でもその歴史を見て学ぶことができるのはとても貴重なことだと思います。

ギアローに訪れる際は、是非行ってみてください!

上からの景色も綺麗です!

追記(2024.09)

こちらの記事は2024年7月10日に出したのですが、8月に新しく電光掲示板が増え、さらに図書館に新たに本棚が設置されていました。

ナムさんが新しくなった設備を嬉しそうに紹介してくれました。

新しい電光掲示板
文化紹介の映像が流れています
今はちょっと隠れてます・・・
新しく設置された本棚
以前は机の上に積み重ねていたので
とっても見やすくなりました!


いいなと思ったら応援しよう!