信者から見る 三橋貴明 vs ひろゆき

自分が論理的だと勘違いしている奴が批判的思考に基づいて評論家に徹し、人の仕事に対してマウントとってダメ出しバッカするゴミみたいな謎現象、最近流行りですよね。

基本そういう奴は自分のアウトプットは懐疑的に見ないために穴だらけで目も当てられなかったりします。

今回はなぜそういうことになるのか、三橋貴明vsひろゆきの動画を実例に出して検証していきたく存じます。

今回の記事はまず、前提知識、そして動画の要約と評論そしてまとめ、という感じで締めくくっていきますので、ひろゆき三橋、アンチの方もファンのかたも最後までお付き合い願えたら幸いです。

三橋vsひろゆき どちらが勝つのか!! 判定はレフェリー(私)にお任せください。(※勝敗を決すとは言ってない)


1.前提知識

皆さんの持っている前提知識とはなんでしょうか?

三橋は怪しい、ひろゆきはやたら論破したがる人

そんなことを思っている方は結構いらっしゃるのではないでしょうか、かくいう私も、どちらの動画もよく見ていますし(片方は見て「いた」かな?)そんな印象を受けるのは当たり前だと思います。

兄貴なんかはひろゆきの論破動画が本当に好きで、よく動画もおすすめしてきたりしますし、私も昔は好きで良く見てました。

というよりひろゆきの動画や出演しているTV番組が好きだったのではなく、彼のスタイルが好き・・・だったりするのですが・・・。

ただ、この動画

全く...全くと言っていいほど、まともな議論が成り立たないとしか思えない、腐臭しか放っていないこの動画

若干話題にはなっていたようですが、どうにも見る気が起きなくて、、、何故かというと、、、だって、話が前に進む気が全くしないんですもの。

タイトルに「信者から見る」と、付けましたが、まあ私は信者とはいっても論理的思考だとか、批判的思考、つまりクリティカルシンキング(日本で言うところのロジカルシンキング)の信望者でありまして、哲学では理性的なデカルト主義者のような思考原理をしていたりします(というか、自分で理性主義とか言ってる時点で全く理性的ではないんですけどね)。ビジネス的ななぜなぜ分析とかは方法的懐疑のただの簡易版だろ、と勝手に思ってるくらいそんくらい、理性や論理を愛しているわけです。逆にその裏にある感情論とか大衆性とかプラトンの暗黙知とか、そういったものも好きだったりするので見る人からしたら割とブレブレでしょうが笑

もちろん、照屋氏著のロジカルシンキングの原著も読んでたりします。

はてさて、そのうえで、なぜ「腐臭しかしない、議論が進まない」と、上動画を評したかと言いますと

「真理を追い求めようと思っていない人間が集まり各々の意見をダメ出しするという事を徹すれば、その議論が停滞することを知っているから」

という事であります。

ひろゆき氏のスタイルは皆さんご存じかと思いますが、三橋氏もそもそもねらー、2chネラーなのです。互いに論理を重んじながらも、扇動することを忘れない生粋の、カテゴリ的には「日々のレスバを厭わないインターネット上に生きてきたダメ出し化け物」

という事です。はっきりって巨神兵でしょう、人が人なら修羅の業火にまかれて自殺してますから(?)

そんな化け物同士の対決、もちろん、話は進まない。想定なんて容易にできる、だからこそ

ぬぐえない、抗えない、好奇心が・・・・・・!!!

2ch界のキングオブモンスターズっ・・・・!!半ば怖いもの見たさで視聴させていただいた。

下記からは、ひろゆき 三橋視点の加点減点で勝手に視聴者として評させていただきたい。

P.S この後にアマプラで観た 東大全共闘 vs 三島由紀夫のほうがまだ、話が進んでました(笑)

2.評価

ひろゆき氏の根底、そこには「不要なものは省き、必要なものには支出をする」という考え方があり「子供を作れば1000万支給」という政策を提案している、というところから話は始まっていくわけだが、そこからちょっとだけ面白かったところをピックアップしていこうと思う。

※節ごとに(・・・)で区切らせていただく・・・。

・・・

ひろゆき「(財政支出してもインフレ率が)5%10%って何をもっていっているんですか、シミュレーションの計算式教えてもらってもいいですか」

三橋「過去のデータから日経ニードがシミュレーションしたデータがある」


「計算式だして下さい」これは、技術者なら耳にタコができるほど聞いたことがある人が多いであろうセリフである。

対する相手が自説に懐疑的な視線を向けているならば、なおさらなセリフであったりする。つまり、「グラフや指標は根拠を見るまで信用するな」という

当たり前のことを言っているわけで、このマクロ経済モデルは人を説得するためにそこまで根拠を出さないと信用されないのは当然の話なのである。

そこで、言うべきは考えたらわかる至極全うな答え

例えば「市場に〇〇〇兆円ある中で+○○兆円、仮に市場に流れる量が増えたとしても、それによって物価が上がってもこのくらいにしかなりませんよね」という至極当たり前な演繹法で納めることができるのではないか、と思ったりする。

何にもわかっていないのに計量シミュレーション信望できるほどひろゆきは馬鹿ではない、のだと思う。シミュレーション値でのゴリ押しは筋悪ですよね・・・・・・参考程度がベターです。

・・・

GDPか経済発展か

GDP成長率か経済(というより国民の豊かさ?)で、この後論争になる。

政府支出した分だけGDP成長する、という三橋氏、それに対してそれは「経済発展とは言わない」という、ひろゆき氏。

くそどうでもいい

皆さんお分かりであろうが、この話、定義が違うので話がかみ合わないのは当たり前なのだ。

つまり定義上のGDPの話をしている三橋氏と、自分が思う「国民生活の経済の豊かさ」の話をしているひろゆき氏

お互いが言っているのが経済か経済じゃないかというのは定義から違うので平行線になるのは当たりまえですわな、何だこれホンマに。

・・・

お金配ったらパチンコに使ってそれが全額北朝鮮に行ってしまう話をやたらとする

60兆円撒いたら北朝鮮にそのまま60兆円いっちゃう世界の話がひろゆきの口から幾度と出てくるんだが、そういう話が好きな人ってこういうの見てて違和感持たないのかなぁ、と懐疑的に思った。なぜ、これしか出てこないのか?

北朝鮮の事を持ち出したら支持してくれる人がいることを知っているからたとえ話に北朝鮮が出てきてしまうのかなぁ。。。

いや、逆なのかもしれない。無駄な使い方と言えばパチンコ、という一般的な常識があるからこそ、パチンコを引き合いに出しているのかもしれない。何故かというと想像しやすいからだ。

だが、今この現状、軒並みパチンコ屋がつぶれているのはご存じだろうか。

たとえこの現状で、お金を配ったところで全部北朝鮮に行くことはないということは想像に難くない。

極論は詭弁。それは演繹法でも帰納法でもないのだ。

言論はまず、拝聴者に疑う姿勢がないと真理を見出すことはできない()byデカルト主義者

・・・

ひろゆき「どんな政策でも邪な使い方がある政策となる、と先ほどおっしゃいましたが、僕がgoogleの株を買ってその株を日本政府が買った場合どんな邪な使い方が生じますか」

三橋「あ、日本政府がつかうんですか?」

ひろゆき「ええ、それでどんな邪な使い方がありますか」

三橋「すみません、ありませんね」

ひろゆき「では、すべて邪な使いかたがあるとは嘘ですね、訂正してください」

三橋「はい」

※・・・・・・・・・・・・・いや、俺たちは一体何を見せられているんだ

ひろゆきのうまいところは、ひろゆき自身が使ったら必ず邪な使い方が生じるので、何故か、政府に譲渡したうえで、という話に逸らした点だ。

( ^ω^)・・・いや、何これ?

画像1


私的には、株を投機目的で買うことも別に経済に資するような健全な使い方ではないと思うのだが( ^ω^)・・・

興味深いのは、ここでのひろゆきの逃げ口上が「MMTが志向する政府による直接支出の理由」にかすっていることである。実存とはすぐそこにある、それに気づかされるような不思議体験であった。。。。(ちなみに上記のひろゆき氏のセリフを最後まで覚えておいてください)

・・・

(中盤、コロナ禍での一律給付の話になった時)

ひろゆき「国民の選別をするな!と、平等は別だ」


一律給付は平等ではない

という主張をするひろゆき

揚げ足をとらえてのことだと思うが、至極全うな指摘である。が、あの時はスピードが大事だったと主張する三橋氏

この論争には正解はない。一律だから平等、という簡単なレトリックに対しても、ひろゆき氏のいう事を真に受けたらもちろん平等ではないからだ。

ただ意識するべきは「平等か、平等じゃないか」ではなく、それは公正なのか、というところだと直観した。

そういう意味でも、ここは数少ない考えさせられるところではあった。

・・・

(売上が増えたら、所得が増えるという三橋氏の説明に対して)

ひろゆき「パチンコ屋の売り上げが増えるとパチンコ屋の店員の給料が増える、というのは間違っている」

ここはすげえなあ、と思ったところ。

だってマルクスが資本論で言っているように、短期的に売上増えたところで、給料上げようと思う経営者なんて皆無ですよ。

そんなの当たり前で、ただ、三橋氏のいうように売り上げがリソース以上に増えたら人を雇わざるを得なくなるので、その分、全体的な所得が増えるでしょう、というのもその通りではある。

はてさて両者の話から皆さんは気づきは得られただろうか、一つの真理が見えてくる

経営者は長期的に利益が見込めないうえ、売り上げもない場合は賃金を上げない(むしろ下げる)だろう

基本的に人件費というのは後回しになる、何故かというと設備投資などの投資に比べて短期的な生産能力が上がるわけでは無いからだ。むしろ剰余価値を企業が最大化しようと考えているわけなので、原価圧迫を避けたがるのが自然だ。労働組合や社会体制的に賃金をあげられるバイアスが働いてないと殆ど蔑ろにされるであろう。

・・・

さて、終盤の締め、とんでもないことが起こったので記述させていただこう。

(終盤に纏めようとする三橋)

三橋「というわけでですね、せめてひろゆきさんがおっしゃったような子供を一人産んだら1000万円出すという少子化対策、これは邪な財政支出じゃないんですよね」

ひろゆき「うんそうですね、あの、邪な使い方をする個人もいますけど僕は許容すべきだと思います」

三橋「わかりました(ニヤニヤ」


両者ともある程度許容されるべきという意見になってしまった。

つまりここで、コンセンサスが取れてしまいました。ひろゆき氏はあれほど「邪な使い方」を攻め口にしていたにも関わらず、結局、自説を肯定するために邪な使い方を強弁で許容することになります。


3.結論


まとめると結局、批判的思考に基づいて評論家に徹して人の仕事に対してマウントとってダメ出しばかりする奴は、基本、自分のアウトプットは懐疑的に見ないために穴だらけで目も当てられなかったりする、わけなんですよ。だって気が狂うでしょう、自分の意見を自分で肯定できないほど論理を突き詰めることは・・・。徹底した懐疑は他人に対してはいくらでもできても、それを自分にできる人はそん所そこらにいるはずもないのです。そのうえ、相手を煽る、論破する、これらをパフォーマンスにする、そうなってくると更に奢り、自分の意見に懐疑の目を向けなくなる、だからつまり、いつの間にか自分の言説をも論破しようとしている自分に気づけないわけだ。

いや、気づけない、というより、潜在的には知っているはずなのかもしれませんね。だから最初から前のめりになって詰め寄っていったわけです。相対主義のソフィストがそうだったように、それを見てる観衆は声を大きくして高圧的にまくし立てている方の意見を支持するようになる。だが、なにか余裕が無く、焦って見えたのは気のせいだろうか。

まあ、そもそも彼にとって専門外のことなのに確実に効果を保証できる自説なんて言えないのは当たり前ですから、そりゃ、こうなってしまうのは仕方ないところだと思います。

・・・

さて、とても、面白い対談でした、ひろゆきさんも三橋さんもありがとうございます。深いところを考える機会にはなりました。やはり、ひろゆき氏も筋悪なところを責めるのがうまい・・・、と感心させていただきました。三橋氏側視点で評価すると、氏が謝らなければならなかった説明部分は、改善の余地はあるのではないでしょうか。

以上、終了させていただきます、ご拝読ありがとうございました。






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