Arcade Fire / Funeral (2004)
アーケイド・ファイアのデビュー・アルバムは、2000年代のロックを、そしてインディ・ロック全体をも代表する稀代の名盤。
テキサス出身のウィン・バトラーを中心にカナダ・モントリオールで結成された彼らが生み出す音楽には、オルタナティヴでインディペンデントなロックの素晴らしさが徹頭徹尾、満ち満ちている。
ウィンが培ってきたインディ・ロックやニュー・ウェイヴ、パンク、フォークの下地に、彼の妻であるレジーヌ・シャサーニュのクラシックの素養に基づくバロック・ポップが緻密に装飾され、唯一無二の輝きを放っている。
ストリングスも自ら賄える大所帯のバンドが生み出す、アンティークでノスタルジックで陰のある哀愁、時折差し込まれるエキセントリックなエッジの鋭さ、そして大胆かつ壮麗なコーラスと転調、エモーショナルなメロディと歌唱と演奏が渾然一体となって生み出す祝祭感と昂揚感は、ともすれば忘れがちな、音楽を聴くことの喜びと幸せをダイレクトに運んでくれる。
この年最高のアンセムである”Wake Up”を筆頭にリリシズムとダイナミズムを兼ね備えた名曲が並ぶ本作は、デヴィッド・ボウイに刺激を与え、U2とも共鳴。
彼らの繊細ながら壮大なスケールを持つサウンドは、閉塞感に満ちた00年代、そして9.11後の世界に、小さくとも決して消えない希望と、先へと進む突破口を与えた。
制作時、メンバーの身内の不幸が相次いだことから「葬式」と題された、喪失から始まる再生の物語は、多くの「隣人」とともにトンネルを抜け、暗く沈みがちな僕たちの目を覚まし、次への一歩を踏み出させてくれる。
僕が心の底から大好きで、大切にしているアルバムがこのアーケイド・ファイアの「フューネラル」。
数ある音楽作品の中でも屈指の、音楽を聴くことの意味を思い出させてくれる素晴らしい一枚。
全体から湧き出てくる”それでも前に進む”というメンタリティが凄く有り難い。
傑作揃いの彼らの作品(特に1〜4作目)は、時代に寄り添うと同時に現状を冷静に厳密に批評し、音楽性の向上と飽くなき挑戦心も忘れないという、ロックの理想形といえるようなキャリアの進め方をしている。
ウィン・バトラーを中心に、自分自身にも音楽にも社会全体にも、全てにおいて”意識的”であることが貫かれている。だからこそ、どこまでも頼もしいし救われる。
何百回聴いたかわからないこのアルバムを、今日も今日とて心を震わせながら、昂らせながら聴いている。
生きているって感じ。