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('00) Coldplay / Parachutes

21世紀最大のロック・バンドとなっ(ってしまっ)たコールドプレイのファースト・アルバムは、明日で日本盤リリースから22年。

あらためて聴くと、本人たちが言う通り「ザ・ベンズ」~「OKコンピューター」期のレディオヘッドからの影響が色濃く感じられる。アコースティック・ギターやピアノをメインとした繊細でメランコリックなバラードと、一気に視界が開けるような求心力のあるアンセムの両立に、”弱さの中にある強さ”が体現されているようだ。

クリス・マーティンの書くメロディもヴォーカルも、繊細で叙情的でありながら、その根幹は力強く、一音一音が確信をもって鳴らされている。ここまでバラードメインのロック・アルバムも稀有で、当時よく比較されていたトラヴィスよりもさらに感傷的で内省的な印象だが、でもここまでの熱量と完成度で作られたら心を掴まれてしまう。”UK叙情派”の最大の成功例。



ついにコールドプレイ。僕の不安定な大学生活初期を彩り、支えてくれたのは、親父でもなく、お袋でもなく、そう、コールドプレイでした!
それも1st&2ndね。
このくよくよと沈み込む内省と、多幸感へと駆け上がっていく快感は、涙が出るほど美しかったし、何より心強かった。

今日はせっかくの夏休みなのに、雨脚の強まる夕暮れ時に部屋でひとり、ふいに哀しい気分に襲われ、何も手につかなくなってしまったので、1日前倒しで「パラシューツ」を投入。例によって”Yellow”を熱唱したら少し持ち直しました。

その”Yellow”とか数曲を除いて、まあ陰鬱に沈み込むような曲が多い。よく売れたよな。前述のレディオヘッドの2~3作目のような内省や叙情、メランコリーを持っているけど、レディオヘッドほどの刺激や尖りはない。Wikiによると「キッドA」でレディオヘッドから離れた層をかっさらっていったらしいけど、本当にそのとおりなのかも。21世紀を前に不安や神経質な空気が漂いつつあった中で、心象風景にぴったりフィットする”新世紀の憂鬱”(といいつつも人間生活普遍の苦悩)を描いたのがコールドプレイだったのかも。最終曲(その後シークレット・トラックあり)にしたって、「ぼこぼこにされてふらふらになったけど、とりあえずまだ歩けるよ」みたいな前向きさ。それが良い。

今日はダメで、明日もダメなままだけど、それでも生きていく。そんな悲観的ポジティヴィティが今でも僕の苦悩を和らげてくれる。2010年代以降のスーパー・セルアウトしたクリスも、「ゴースト・ストーリーズ」で鬱に沈み、すぐに次作で図ったように躁転するクリスも、ついついアヴィーチーやBTSとコラボしちゃうクリスも、僕は憎めなくて大好きです。だって、本当に目を輝かせてやってるし、根幹にこの謎のポジティヴィティがあるわけだし。

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