Nirvana / Bleach (1989)
90年代に一大ムーヴメントを巻き起こした”グランジ”の中でも神話となったニルヴァーナ。
80年代末にリリースされたこのデビュー・アルバムでは、来たる90年代グランジ・ブーム前夜、シアトル郊外の片田舎に住む若者たちが、退屈で鬱屈とした日常から逃れようともがき、唯一手にした音楽をもって自由と解放を手に入れようと格闘する姿をありありと感じることができる。
パンクやその後のポスト・パンク、そして80年代のUSオルタナティヴ・ロックに大いに影響を受けた彼らは、当時のシアトルの音楽シーンで隆盛だったヘヴィ・ロックのサウンドにパンクの刹那的な疾走感を混ぜ合わせ、のちに”グランジ”と呼ばれる音を意図せず作り上げてしまった。
カート・コベイン(表記の仕方を迷ったけど、コバーンって響きはもはやカリスマ性を持っちゃってるけど、どう間違ってもコバーンて読めないよね…以後コベインで統一します)の格別で隔世の”ロックの声”は、大部分で叫び声となって、ときに断末魔となって、自らの全ての”ネガティヴ・クリープ”を吐き出す。
シンプルながらぶっとくてヘヴィなバンド・サウンドは、歪みながらどっしりと腹にのしかかってくる。
それでいてメロディはどこか人懐っこさすら感じさせ、次作「ネヴァーマインド」での”ポップさ”の兆しが窺える。
当時はデイヴ・グロール加入前でバンドとして不安定ながら、まだ屈託のないカートの笑顔も見られた、ニルヴァーナの始まりの(ある意味最も幸せな)時代。
僕が生まれた1989年にデビューした英米の伝説的バンドといえば、ストーン・ローゼズとこのニルヴァーナ。
カートの死から早30年。命日の4月5日は、個人的に何かを書く余裕のない時期だったこともありスルーしてしまっていたのだが、デビュー作リリース日のこのタイミングでニルヴァーナを取り上げてみた。
ヘヴィめの音が得意ではない僕がニルヴァーナを本当の意味で好きになるきっかけになったのは、18歳の6月、梅雨時期のことだった。
梅雨の影響のない地方で生まれ育った僕は、大学進学で上京して、キャンパス内に知り合いが誰もいない状況で、周囲に馴染めないまま、アルバイトにも就かないまま2ヶ月が経っていた6月、初めて味わうじめじめとして薄暗い梅雨に、心底うんざりし、落ち込み、自宅と大学を鬱屈とした気分で日々往復していた。
上京と進学と新生活への憧れと期待感とともに聴いていた音楽は、新鮮かつ希望に満ちた効力をすでに失いつつあり、何を観ても何を聴いても気分が晴れず、天気も晴れず、八方塞がりだった。
そんな時期に、何気なく聴き始めたのがニルヴァーナ。当然「ネヴァーマインド」は高校時代から周りで聴いている人もいて何となくは知っていたけど、僕の習性として、1作目から順に聴いていきたいというのがあって、ニルヴァーナについても最初にこの「ブリーチ」を手に取った。
そしてこの吐き捨てるような声と叩きつけられるヘヴィなサウンドに、頭を殴られたような新鮮な衝撃を受けた。
ネガティヴなものをネガティヴなまま抱えてファイティング・ポーズをとり、鬱屈とした感情をエネルギーに変換し、今この一瞬を生々しく刻むこのアルバムの音は、僕が吹っ切れて(前にではなく)先に進むことの後押しとなった。
意味なんていらない。とにかく進むだけ。
僕に最初にパンクの精神を教えてくれたのはこのレコードだったのかもしれない。
ちょっと踏み込み不足な文章だけど、酔って疲れたのでこのままリリースしてしまおう。