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James Blake / James Blake (2011)
デビュー当初の”ポスト・ダブステップの寵児”のイメージから、ファースト・アルバムにして早くも”新世代のソウル・シンガー”へと変貌を遂げたジェイムス・ブレイク。
これまでのシングルやEPでは、「ダブステップのその先」へと向かう路線、それをクラブ・アンセムへと昇華させる段階、クラシックの素養を感じさせるピアノ主体の局面、そして自らのヴォーカルをオートチューンにより痛切に物悲しく吐き出し、それがソウルのように真に迫る新境地を経てきたわけだが、本作ではそれらを11曲38分に収斂させ、全く新しく、かつ普遍性を帯びた音世界を構築している。
当時21〜22歳のジェイムス・ブレイクが、自宅のベッドルームで作り上げた楽曲には、何より圧倒的な孤独と喪失と寂寥がある。
空白をあえて強調するかのような音像と、その隙間に突如として洪水のように溢れ出す電子音、哀しくも美しいメロディ、オートチューンにより歪み揺らぐヴォーカル。それらの全てが新鮮で、リアルに心を打つ。
孤独を見つめた深く内省的なシンガー・ソングライター・アルバムとして、一人寂しく沈み込む夜を一緒に過ごせるようなレコードになっている一方で、ジェイムスの歌声が(歪ながらも)全面に押し出され、ソウル・シンガーとしての覚悟や矜持をも示しているところがまた素晴らしい。
新世代ならではの独特の感性と普遍性を自然に、そして必然的に共存させた本作で、同年に同じく素晴らしい傑作を生み出したボン・イヴェール(ことジャスティン・ヴァーノン)らとともに2010年代における新しい(でもどこかノスタルジーの香りも漂う)シンガー・ソングライターのあり方を示した。
ジェイムス・ブレイクの音楽との出会いは12年前か。
当時、ダブステップすらよくわからないのに(今だって明確な定義はわかってないかも…)既に”ポスト”・ダブステップなる更によくわからないワードが出てきてまず戸惑い、そして誰だかわからない人の、シンプルだけど不穏で曖昧なジャケットのこのアルバムを知り、更にこの得体の知れない作品が各所で激賞されていることを知った。
そうなると、聴く前から「良いよね!」と言わざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
そんな流されやすい僕です。
最初聴いたときの印象は鮮烈で、衝撃的なものだった。
孤独だが固い意志を持ったようなビートと全体的に不穏さに覆われ不安定に揺らぐ音像、そして彼岸から歌われるような変声ヴォーカル・・・それは初めて味わう音楽だった。
しかし、よくわからないけれど何度も聴いてみたい気持ちに駆られ、繰り返し聴いていくうちに、だんだんとその不思議な心地良さに病みつきになってしまった。
一般的にいうと変な音楽なのかもしれないが、じっくり聴くうちに、その無常の美しさのようなものが脳裏に浸透し、しっかりと刻み込まれていくような感覚。
デジタルで作っているようで、人の手によるものであろう、血が通った温かみが確かにあり、加工しているはずなのに、生々しくヒリヒリとしたソウルが根底にどっしりと鎮座し、繊細に脈打っている。
このどこまでも孤独で、大いなる喪失感と底冷えの寂寥感が漂うアルバムには、抗えない魅力があった。
というか、そもそも”外界”が怖くて部屋に一人こもっていたい人間であれば、このアルバムに惹かれないわけがなかった。
初めからそうなることが決まっていたかのように、僕はこの作品に特別な思い入れを持ち、深い哀しみに打ちひしがれるような時なんかには頼ったりもした。
時が経ち、わりに冷静に聴けるようになったけれど、それでも、この音と声に宿る、それこそ彼がカヴァーしたジョニ・ミッチェルにも通ずる情念に、油断していると持っていかれそうになる。
今でも寒くなってくる時季には、無性にこれを聴きたくなる。
今日は持っていかれてもかまわないって思えるくらいには酔っ払ってぼんやりしているので、思い切り油断してみようっと。
カーボーイの中で僕が大好きなラジオ・ネーム「寂しさは生きる原動力」を体現したようなアルバムだな・・・。