シンガポールの大学 ── Singapore 18
私は、2011年1月から3月までシンガポールに滞在して、アジア、とくに東南アジアの社会と行政について観察し情報収集を行った。その作業はまだ途上であったが、3月11日の東日本大震災のために、その後の観察は断念せざるを得なかった。今、当時書き綴ったコラムを読み返して、今でも、多くの方に伝える価値があると思い、このNOTEに掲載することにした。その第18弾。
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シンガポールは、国民が400万人くらいの小さな国だが、総合大学であるシンガポール国立大学(NUS)を始め3つの国立大学があり、さらに近くもう一つ設置されるそうである。人口の割に大学の数は多く、しかも学生数や規模も大きい。さらに私学も多数ある。
小さな国にもかかわらず、このように多数の大学が存在するのは、大学を、自国民に対する高等教育の機関としてだけではなく、外国、とくに東南アジア諸国から多数の留学生を呼び入れて高等教育を提供するという教育ビジネスの手段として位置付けているからである。
ビジネスといっても、授業料等による外貨獲得だけが目的ではない。研究機関でもある大学が生み出す知的財産も大きな収入源であるし、留学生を優秀な人材に育て、そのうち何人かが将来外国の政財官界の幹部の地位に就くならば、外交や安全保障の観点からも、長期的にみて国家にとってプラスとなることは間違いない。この国の高等教育政策には、そのような深謀遠慮もあるといえよう。
シンガポールの教育制度は、日本とは比較にならないほどの選抜主義、エリート主義を採用しているが、その頂点に立つNUSも、入学するのが難しく、シンガポール国民であっても入ることは容易ではないそうである。
今述べたように、大学の設置目的が、世界のエリートの育成と先端的な研究であることから、学生も、そしてもちろん教員も、世界のトップクラスの人材を集めてくることがめざされている。優秀な教員を世界から高給を払って集め、それらの教員の下で、世界から優秀な学生を集め教育する。それゆえ、自国民であれ、能力のない者は入れず、外国の大学に留学することになるのである。
短い期間ではあったが、私が席を置いていたのは、NUSのブキティマ・キャンパスにあるリー・クァン・ユー公共政策大学院(LKYSPP)であるが、このブキティマ・キャンパスは、メインキャンパスとは離れたところにあり、タクシーの運転手はときどき間違える。ブキティマ・キャンパスは、歴史的にはNUSの前身であるラッフルズ・カレッジがあったところであり、その後、マレーシア時代にマレー大学、そしてシンガポールが独立後、NUSのキャンパスとして使われるようになったと、LKYSPPの玄関の壁のプレートには書かれている。
シンガポールの大学──といってもNUSしか知らないが──は、アメリカの大学制度の影響を受け、アメリカと同様の組織、経営形態を採っている。つまり、日本の大学のように、教員や、部局の自治が重んじられるのではなく、教員は、まさにその研究成果によって評価される被用者であり、彼らを雇い評価を行うのは、大学の経営陣である。
今「被用者」といういい方をしたが、日本の大学と同様、研究テーマは各教員が自ら決め、カリキュラムは教授会で決定される。しかし、大学本部はもちろん、各スクール(学部・大学院)には、経営や研究、渉外担当の副学部長がおり、彼らが専ら部局の経営に当たる。教務関係の事務は、一部の教員が担当副学部長の下で手伝うが、組織としての部局の管理運営体制は明確であり、経営と研究・教育は役割として区別されている。
これらの部局は、大学本部から、厳しく経営面における監督を受ける。部局としての能力について外部機関による評価を受けなければならないし、本部の評価に基づいて予算も配分される。それらの評価はかなり厳しい。アジアの類似した大学や大学院との競争において競争力はどれくらいあるか、大学院が育成しようとしている学生に対する人材市場での需要はどれくらいあるか等が、評価では論じられ、競争力が充分ない場合には、その強化のための計画の提出が求められる。そしてさらにその計画について本部による評価が行われ、注文がつけられる、そして計画目標を達成できなかったときは、翌年度から予算を減額される。
教員も多くは任期付きの雇用であり、毎年、研究業績について、海外の専門家を交えた委員会等による評価を受けるそうである。教員は、若く業績を産出できるうちは、日本と比べてはるかに高い給与をもらうことができるが、業績の産出力が低下してくると、給与がカットされ、契約の延長も難しくなる。
同じ大学でありながらも、一度教員として雇用されると定年までのポストが保証され、かつ自身の研究内容の決定はもとより、部局組織の運営を教授会の自治によって行う日本の大学とはかなり異なる。シンガポールの大学が優れているというつもりはないが、わが国の大学の場合、学問と教育の自由がもたらすメリットが大きいことは歴史的に示されてきたといえるかもしれないが、反面、外部からの干渉を受けない自治の世界が、逆に刺激を受けないがゆえに、停滞する傾向をもつことも否めない。
私自身も関わったが、21世紀に入ってからのわが国の大学改革、とりわけ国立大学の法人化は、国家が財政的に苦しくなってきたこともあって、シンガポールの大学ほどではないにせよ、国立大学に経営体としての要素をもたせようとした改革であった。ただ、結果は、大学は、意図したような、評価による規律と外部マーケットに反応する研究・教育の革新を生み出す組織とはならず、制度形態のみ法人化したものの、むしろしっかりとした司令塔なき貧しい組織となってしまった。
これは、一つには、経営体としての大学についてのイメージが、とりわけ教員に充分に理解されないまま組織形態だけ先行して変えられたことと、もう一つは、部局自治の伝統が経営体における司令塔の形成を妨げたこと、いいかえれば非専門家による拙劣なガバナンスをもたらしたことによると思われる。そして、内部管理システムの大胆な改革なしに組織形態だけを変えたため、生じたことは、教員の本務とはいえない大学経営への一般教員の参加負担の増大であり、その分の研究教育能力の低下である。
財政状況がますます厳しくなり、18歳人口も減少するとき、元の形に大学を戻すことは不可能であるが、法人化の現状では、教員の研究教育能力はますます劣化するであろう。今後は、教員が合理的に役割分担をして、大学を一元的でかつ効率的な“自治”組織にしていくか、あるいは経営は専門家に委ねて、教員は厳しい評価を覚悟し、できる限り研究と教育に振り向けることのできる時間を確保していくか。前者が理想かもしれないが、現実には理想的な自治を行うことは難しいであろう。
だが、いずれにしても教員の能力を最大限研究と教育に向けなくては、シンガポールのような経営を行っている外国の大学に、研究と教育の面での競争において負けてしまうことは必定であろう。 (2011年04月29日)
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今回で、シンガポール報告は終わりである。10年前に見聞きして考えたことであり、今は大きく変わっているところもあるが、今なお読んでみて変わっていないところも多々ある。このとき考えたことを踏まえて、わが国のあり方をさらに考えてみたい。 (2021年8月19日)