西田俊英展を見て②教えないこと
*今日の写真はみんフォトからNPO法人あおぞらさんの写真をお借りします。ありがとうございます。
今日は先日書いた西田俊英展を見ての続きのつもりで書きました。
前回でさわりだけ書いたのですがちょっと長くなりそうだったので別に
まとめます。私には珍しく結構長い文になりました。
↓前回の記事
先日西田俊英先生の美術展に行ってお話を聞いていた時に
たまたまギャラリートークで話をしていたことです。
(多少記憶の違いがあったらすみません)
西田先生は奥村土牛先生という方に師事したそうで、奥村先生が大学で絵を教えることになった時、日本画で有名な横山大観先生に挨拶に行ったそうです、
その時に「学生に教えすぎない方が教えられた方にとっていい」ということを話したそうです。
事実、土牛先生は、西田先生が一生懸命描いた絵を持って行っても「いい」としか言わないそうです。
他の弟子が絵を持って行っても「いい」としか言わないそうです。
もっと技法とか教えてくれればいいのにと学生は思ったのだけどそういったことはしなかったそうですね。
これはあとで調べたのですが奥村土牛先生は「画聖」と言われた方だそうです。(興味がある方は調べてください)
ここまでは西田先生のギャラリーで聞いたお話です。
自分の解釈
ここからは私の個人的な解釈ですので間違っているかもしれませんが書いてみます。
まずこの話を最初に聞いて西田先生をきちんと修行して絵を描いたほんまもんの画家だと確信しました。
というのは本物というのはこういう教わり方をした人だと思ったからです。
技術というのは時間があればある程度調べられます。
今はネット時代なので技術はあふれかえってます。
技術って伝えられるからです。
でも技術の先ってあると思うんです。
これは伝えにくい。
これは、自分で考えて苦しんで掴むしかないと思うんですよね。
でそういうものを技術として口頭で教えると誤解を生み、その技術だけに頼った人が生まれる。
そこから先に成長しない。もしくは増長して逆にダメになる。
そういうことがあるような気がします。
と言うのは私の習った武術の流派の名人もそういう教え方だったからです。
名人は弟子の技を見て「いい」「いい」っていうんです
だけどそんなわけはない。
私の師匠は、自分の技が何故名人と違うのか考え続けたそうです。
結果としてその考え続けたことが今につながっているということです。
技法として教わることなんてたかが知れてます。
それよりもできないことを自覚して「考える」ことを覚えた方がいいとおもったんじゃないかなと思うんです(これは私の考えです)
与えられるものを食べるんじゃなくて、自分で食べ物を狩れる人間になる。
教わるというのは餌を与えられている、
それに慣れすぎちゃいけないんだと思うんです。
だから教えないというのも大事なことだと思うんですよね。
話を戻すと
そういったことから
西田先生のお話は聞く価値が十分あると思いました。
もう一つ奥村土牛先生の話をしていました。
土牛先生が自分のお名前を描くときの筆の話です。
土牛先生が名前を書くときはとても遅いそうです。
ものすごく遅い。
ここまで遅く書けるのかと言うくらい遅いという話でした。
西田先生が後でマネしてもできない、
あれだけ遅く書くとどんなにやってもふにゃんとして線にならないのです。とおっしゃってました。
とにかく自分の名前であっても絵でも筆に自分の気持ちが入っている。
そういう線を奥村先生は作っていたんだという話でした。
あーこの話を聞いて、来て良かったと思いました。
そしてもう一つ、西田先生が屋久島に来たのは、自分が本当にものを見てるのか?ということ疑問を持ったということです。
私もちょっと「??」どういうこと?っと思いましたが西田先生のスケッチを見まして納得がいきました。
死ぬほど細かい。ここまで見てその場でスケッチを描いたんかい。
おそらく手癖もあるんだろうけど、「みよう」としている。
絵には描き方と言うのがあって大体の絵描きは自分の中の法則で書いちゃうんです。
でもそれを意図的に極力排除して描いている。
うああ。
こりゃなんだ。
ちょっと衝撃でした。
あんなもの技術を超えてるがな。
自然をそのまま描こうとしている。
技術じゃない。これは長年かけて得た技術じゃなくてそれをむしろまっさらにして向き合っている人だと思いました。
今は自然の絵なんてパッと描ける。
それっぽい絵なんかYOUTUBEに描き方があるのでそれを元に写真を見てかいたらいいやん。
そういわれるかもしれない。
でも西田先生はわざわざ屋久島に行って住んで描いたんだ。
あえて技術で描こうとしてない。見て描こうと思っての行動だと思う。
おそらく、今回の展示もパッと見て特に感銘もなく「ふうん」となって足早に帰っていく人がほとんどだと思います。
うちの娘も大急ぎで駆け抜けて行って、「ポケモンを絵の中に探していた」らしいです(笑)
でもお話を聞きながら絵を見させていただくととにかく厚みというか、壁のような絵の深さを感じることが出来ました。
「精神性とかどうでもいいよ」と言う人が世のほとんどです。
でもそういう巨大な壁のようなものを感じられる絵ってそうはないかもしれないです。
実際90mほどある絵なんです。
そのまま一直線にして展示したかったんだけど展示できるところがないらしい。
また2年後に90m続きを描くって言ってましたから、どんだけ描くんだという話でした(笑)。
岡本太郎の「明日への神話」という絵を見た時があります。
ああいった感銘を受けられた絵でしたよ。
なんか他の記事の中で書ききれなかったので書きました。
実はもう少し書きたいことがあるんですけど
長くなりすぎるので、忘れないように箇条書きにして忘れないようにしておきます。
・筆で描くのは全てではない。
・師匠は「自然」
・創造性は果てしなく
それでは今日はこの辺で
それじゃまたね。
さいごに
ここまで記事を読んでいただいてありがとうございます。
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