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【創作短編】ゴ前ゴ時ゴ十ゴ分


 部屋の窓から、斜めに向こうを見上げた先、電柱の横棒に影のように、滞った黒い鴉……


<Ⅰ>

 あれは昨日の夕刻、窓にカーテンを下ろす時にも、やはりあそこに居てこの部屋の方を見ていた。

 いや、昨日ばかりではない。この2週間というもの、いつでも、ふと、目を挙げると〈そいつ〉は居る。


 ずっと居るのか、あるいは、おれが目を離している時間に度々は去って、また同じ場所へ戻ってくるのか――おれも当然ずっと窓の外ばかり眺め暮らしているわけではないから、それは計り知れない。だが、それが紛れもなく同一の個体である事を、おれは知っている。


 偶々時計を見るとゾロ目の時刻、という、それが何度も重なると、人は神秘の感に打たれて、天使からのメッセージだとか、何だとか、霊妙なものに受け取りたくもなるらしい。

 が、科学的説明によればこの時計の話は、つまり人は日に何度も時計を見ておりその時刻は任意なものなのだが、脳の意識するところによって、特別な配列、とりわけゾロ目などの時刻ばかりが記憶に残り、経験として蓄積され、結果その時間にばかり時計を見ているように感じる、のだとか。


 こんなありきたりな喩え話に、おれは何を託そうとしているのか?だから、おれの電柱に鴉を見つけるのも、時計のように、何度も窓を見ている内の、偶然、鴉が居た時のみを数えて、覚えているに過ぎない――という可能性を、おれは自分に信じ込ませる事が出来ないでいる。


 おれは神秘主義者ではない。

 はじめのうち、おれはそこに鴉が居る事を認めても、別段何の感慨も抱かずに、ただ風景の一端として、横目に見捨ててそれきりだった。二度、三度と重なって、何度か妙に思うような事も出てきたが、それでもまだ、目を離せば忘れ、見ていない間は思い出しもしなかった。……


<Ⅱ>

 そうと意識しだしてからでも、最低でも2週間。あるいはもっと長かったかもしれない。

 鴉は石像のように微動だにしなかった。


 鴉は不吉の象徴、凶事の前ぶれ……などと認める程の、おれは神秘主義者ではない。が、少なくともそれが鳩や雀ではなく、『平和と友好の象徴』や『安寧と平常の象徴』と見做すべきものでない事だけは、意識せざるを得なかった。


 見なければいい、別に気にしなければいいのだ、それは分かってもいたし、ある程度は実行できてもいた。しかし、忘れた頃にふと目をやってしまう、そういう位置にそれはあるのだった。

 おれは何度となく、無意識に窓の外へ目をやっては――つまり斜めに見上げるのはおれの無意識の癖なのだ――はっとさせられる羽目になった。

 同じ電柱の同じ位置、同じ角度、同じ姿勢……はじめより寸分違わぬ形でおれの視界に映り込む、そいつもやはりまた、この部屋を、おれの事を見ているのに違いなかった。


<Ⅲ>

 或日の早朝おれは何か不快な夢を見たような気分で目を覚ました。確かに夢だったかどうかも分からない、それは苦く重たく粘ついた厭な感覚だけを、頭や体の内側に残していた。

 少しも眠った気はしなかった。少しも目が覚めた気もしなかった。おれは引き摺るようにしてベッドの上に起き上がり、壁に掛けてある時計を見た。5時55分……厭な符号だ、おれには何故かそう感じられた。

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