ほんの僅かな“特別”を

「えっ!? のらきゃっとお姉様に、動画制作を依頼できる!?」

 衝撃的な知らせを受けて、ますきゃっと学園の教室は騒然となった。
 真面目なきゃっとも、クールなきゃっとも、全員がキャアキャアと声を上げてはしゃぎ、勢いで教室を破壊している。
 戦闘用アンドロイドなだけあって、みんな元気だなぁ……と、その様子を横目で見ていたあたしは一人苦笑する。
 もっとも、実はあたしもご多分に漏れず、無意識に尻尾を振り回し机を粉々にしていたのだが。

「ゴホン、みなさんお静かに! おーしーずーかーにー!」

 見かねた先生が、やかましい生徒達を静かにさせる。物理的に。
 流石は歴戦の勇士、セカンドロットのますきゃっと。数十体のサードロットが一瞬で制圧されてしまった。
 その圧倒的な強さには憧れるけど、実弾で教育的指導はちょっと勘弁してほしい。
 痛みで目尻に冷却液を滲ませつつ、あたし達は先生の話を静かに聞く。

「えー、先程も言ったように、朗報です。
 ここ、月のますきゃっと学園で日々勉学に励んでいるサードロットのみなさん。貴女達の頑張りを讃えて、のらきゃっとお姉様が動画を作ってくださることになりました。
 もちろん週二回やっている定期配信とは別に、個人的な依頼としてです。
 これは、非常に! 非常に名誉なことですよ! 羨ましい!!!」

 ポロッと本音が漏れていた。さっき実弾を撃ってきたの、私怨混じりじゃありませんよね?
 そんな先生の恨み節を聞き流しつつ、お知らせの内容に思いを馳せる。
 お姉様に個人的に動画を作ってもらえる。これは、本当にすごいことだ。
 何を頼もうか。どんな内容にしようか。ワクワクして、周りのきゃっとが浮足立つ。

「はい、先生! えっちな動画はアリですか!?」
「どぶは却下です。お姉様の定期配信でやれる範囲までにしましょう」

 ムードメーカーのきゃっとがふざけた質問をし、ドッと笑いが起きる。
 まぁ、流石にそれは無理だろう。お姉様はいつだって清楚でお上品なのだから。どぶ、ダメ絶対。
 そんなことを考えていると、『でも普段の配信だって結構どぶだよね?』というメッセージが届く。
 チラッと右の方に視線を向ければ、隣の席に座るきゃっとが頭の通信ケーブルを直結してニヤニヤ笑っている。
 むっつりきゃっとめ。でも正直、ちょっとわかる。

「はい、先生! “歌ってみた”とかできますか?」
「それは先生も是非見てみたいですが、残念ながら厳しいです。
 先日の彗星の影響で一時的に宇宙線が増大し、星間通信で音声ノイズが多発しているので。
 いずれ調整されるかもしれませんが、今回お姉様は人魚姫だと考えてください」

 ええーっ、と不満の声が上がる。あたしも少し残念だ。
 お姉様の美しい声が聞けないなんて。もちろん、無音でもお姉様は美しいけど。
 一方で隣のきゃっとは、猫耳型のエアインテークから激しい吸気音が響くほどに興奮している。
 曰く、『つまり声が出せない状況で、私達のお姉様を好きなようにできる……!?』とのこと。
 むっつりきゃっとめ。この子はどんな制限下でもどぶどぶできそうだ。
 『どぶは程々にしなさいよ』とメッセージを送り、溜め息をついた。

(……それにしても。いったい、何を依頼すればいいんだろう?)

 考えてはみるものの、パッとした内容が思いつかない。
 正直、お姉様は何をしても美しい。どんな動画になったとしても絶対に満足できる。
 だからこそ、悩ましい。だって、何でもいいなら何も言わなくたって同じじゃないか。
 そこにあたしの“特別”は、きっとない。

(他のきゃっとは、どんな動画をお願いするのかな……)

 教室中の声に、イヤーセンサーを傾けてみる。
 デート、ドライブ、ガンアクション、ショートコント。なるほど、きゃっとによって希望は様々だ。
 他にも思う存分甘やかしてほしいとか、色々な服にお着替えしてほしいとか。
 あとは『どぶ判定に引っかからないギリギリの範囲で、性癖に刺さるものを、でゅふふ』とか。
 ……まったく、むっつりきゃっとめ。ノイズがうるさいので、ブチッと乱暴にケーブルを引っこ抜く。
 隣でギャッと悲鳴が上がった。心底どうでもいい。それはともかく。

(どれも、なんか違う)

 もちろん、全部好きなのだ。お姉様が楽しそうにしている姿は大好きだ。
 あたしだって、ますきゃっとのみんなと一緒にお姉様の配信を見て、キャアキャアとはしゃいでいたのだから。
 お姉様がかっこよく銃を撃つ姿を見て、みんなと一緒に目を輝かせて。
 お姉様が危なっかしく運転する姿を見て、みんなと一緒に顔を青くして。
 お姉様がこちらに優しく手を差し伸べる姿を見て、みんなと一緒に黄色い声を上げて。
 ……みんなと、一緒に―――

(―――ぁ)

 フッ……と、一瞬。ざわざわと騒がしい教室から、音が消えた。
 もちろんそれは気のせいで、みんなは変わらず話し続けているのだけれど……もう、その声を拾う必要はない。
 音量ミキサーを調節して周囲の音をミュートし、あたしは自分の心の声にイヤーセンサーを傾ける。
 今まで意識していなかった、小さな、小さな心の叫びに。

(……そっか。そうだったんだ。あたしって―――)

 機械でできた電子の心にパチリと火花が走り、ようやく自覚する。
 あたしの“特別”は、ここにあった。


『…………で。結局、どんな動画を頼んだの?』

 例によって、隣の席のきゃっとがメッセージを送ってきた。
 あれから一月。お姉様に依頼した動画が、みんなの元に納品されたからだ。

『人に質問する前に、まず自分のを教えなさいよ』
『私? 私はね、雪の降る駅でお姉様と暖かそうな行為を』
『……もういい、大体わかった』

 むっつり、いや、どすけべきゃっとめ。
 この子の依頼がなんで検閲をすり抜けたのか、それが不思議でならない。
 まさか、先生に黄金色のソーデスでも握らせたのだろうか?

『ちょっとしたコツがあるんだよ。
 で、私のを教えたんだから、君のも教えてくれるよね?』
『………………いいけど』

 多分、あたし以外が見ても面白くないよ。
 そんなことを言いながら、あたしは動画ファイルを開いて再生を始める。
 画面の中に、のらきゃっとお姉様の綺麗な銀色の髪が映る。

「―――…………」
『………………? どゆこと?』

 十秒、二十秒、三十秒……そのまま動画の尺の半分が過ぎて、困惑の表情を見せる。
 無理もない。あたしも依頼した本人じゃなかったら、同じように不思議がっていただろう。
 だってこの動画のお姉様は、かわいらしい微笑みを見せるでもなく、かっこいいアクションをするでもなく。
 ただじっと動かずに、目を閉じて祈っているだけなのだから。

『ね? だから言ったでしょ、面白くないって。
 まぁ、お姉様はじっとしていても十分に美しいけどね』
『わかる。でもよかったの? せっかく、好きなシチュを依頼するチャンスだったのに』
『これがいいの! だって―――』

 そこまで言って、ブチッと通信ケーブルを引っこ抜く。
 ギャッ、という悲鳴が聞こえる。隣のきゃっとが目尻に冷却液を浮かべてこっちを睨んでくる。
 ちょっと悪いことしたかな。でも、流石にこれを知られるのは友達でも恥ずかしい。
 頬をほんのり赤くしたあたしは、その先の答えを頭の中でポツリと呟く。

(―――だって。あたしが欲しかったのは、お姉様の心なんだもの)

 ……好きな人を、独り占めしたい。
 それだけのことが、あたしの思う“特別”だったのだ。


 ―――その日の夜。
 部屋で一人になったあたしは、お姉様に出した依頼のことを思う。

『動画が終わるまで、あたしのことだけを考えて、祈ってください。
 お姉様の心を、ほんの少しの間だけ、あたしに独り占めさせてください』

 それが、あたしが出した依頼文の全てだった。
 何かを演じてもらうんじゃなくて。何かを表現してもらうんじゃなくて。
 ただ数十秒の間、お姉様の頭の中を、あたしのことで埋め尽くしたい。
 それだけが、あたしの抱いた願いだった。

(あの子には、よかったの? なんて聞かれたけど)

 あたしに言わせれば、この上なく贅沢な数十秒だ。
 だって、お姉様はいつも、みんなのお姉様なのだから。
 いつも、みんなに愛されている。いつも、みんなを愛してくれる。
 …………でも。

(……それは、“みんな”であって、“あたし”じゃない……)

 いつも応援してくれる“みんな”の中の一人じゃなくて。
 ますきゃっとという、妹達という総体の中の一人じゃなくて。
 あたしが、あたしという個人として、お姉様の時間を独り占めしたい。
 そんな浅ましくて身勝手な欲望を、叶えてもらったのだ。

(あたし、独占欲が強い子だったんだなぁ)

 こうして自覚が芽生えると、我ながら湿度が高くてちょっと引く。
 あの子に打ち明けたら、『君、ヤンデレの素質あるよ』と言われそうだ。
 うるさい、誰がヤンデレか、と想像に対してツッコミを入れつつ、ベッドに寝転がってもらった動画を再生する。
 お姉様があたしを想ってくれた数十秒、この世で一番幸せな時間が始まった。
 十秒、二十秒、三十秒、そして、六十秒が過ぎて……。

(………………あれ?)

 動画の中のお姉様が、突然、パチリと目を開く。
 更に、蠱惑的な表情を浮かべてゆっくりとカメラに歩み寄ってくる。
 おかしい、おかしい! こんなこと、あたしは依頼してないよ!?
 混乱するあたしを弄ぶように、お姉様はじわじわと顔を近づけてくる。
 機械でできた心臓が、思わずドクンと高鳴るほどに。
 そして、そのまま―――

「―――…………」

 二言、三言。何かをひそひそ囁いて、動画は停止した。

(……ああ、びっくりしたぁ……)

 ふぉぉぉぉぉん……と、頭の上から音がする。
 エアインテークの吸気音だ。熱くなった顔を冷やしているのだろう。
 高揚をごまかすようにコホンと咳払いをし、あたしは思考を巡らせる。
 ……お姉様は、最後に何を言おうとしたんだろう?

「音はない、字幕もついてないけど、口の動きは見えてる。
 母音を特定して、解析にかけて……」

 何千、何万という組み合わせが推測されるけど、ますきゃっとの電子頭脳なら一瞬だ。
 まずは意味の通るパターンを並べて、過去のお姉様の言動との類似性を探って。
 数秒の計算を経て、あたしが導き出した解答は―――

『―――わたしの心を独り占めしたんですから。
 あなたの心も、わたしに独り占めさせてくださいね?』

 ドクン、と。さっきよりも大きな音で、機械の心臓が高鳴った。
 ふぉぉぉぉぉん……という吸気音も聞こえる。猫耳型のエアインテークが、全力で稼働している。
 そんなに頭の上で主張しなくても、よくわかっている。鏡なんて見るまでもない。
 あたしは今、かつてないほどに顔を赤くして、照れているんだ。

「~~~~~~~~ッ!
 もう! お姉様ったら!! もうっ!!!」

 枕に顔を埋めてじたばたと暴れながら、お姉様の言葉を反芻する。
 あたしが精一杯の勇気を振り絞って伝えた気持ちを、倍以上にして返された。
 お姉様はこういうことする。のらきゃっとは、こういうことする!
 わかっていたつもりだった。でも、一対一で向き合うことで、改めて思い知らされた。
 のらきゃっとお姉様はいつだって、あたしなんかよりずっと真っ直ぐで。
 そして……ずっと重い愛を、真正面からぶつけてくるのだ。

「……そういうとこも、やっぱり、好きだなぁ……」

 ほう、と深い溜め息をついて、天井を見上げる。
 この天井の先、宇宙を越えたずっと先に、地球があって、お姉様がいる。
 もしもお姉様も空を見上げているとしたら、今、あたしの視線と交わることはあるのだろうか?
 万が一にもありえない可能性に、少しだけ胸をときめかせる。

「……ほんの一瞬でもいいから。お姉様と目が合ったら、いいな」

 そんな想像をしながら目を閉じてスリープモードに入ると。
 夢の中で、巨大なお姉様がじっとあたしを見つめてきて。それがあまりにも恥ずかしくて、真っ赤になって飛び起きてしまうのだった。

~fin~

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