明日から昨日へ思い出を
「いってきまーす!」
そう言うと、ぼくはすぐさま玄関の扉を開けて飛び出した。
ジリジリと焼けるように強い日差しの中で、熱されて溶けそうなアスファルトの道を駆け抜ける。
ミーンミンミンと、蝉の大合唱が聞こえる。けたたましい鳴き声は、まるで「ノロマなぼうや、捕まえてごらん」とおいかけっこに誘うようだ。
去年までのぼくだったら、きっと虫取り網をブンブン振って飛びついていただろう。だけど、今年のぼくはそんなものには目もくれない。
一人で蝉を追いかけるより、ずっと大切な約束があるからだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
息を切らしながら、全速力でぼくは走る。舗装された道路を抜け、あぜ道を進む。
一心不乱に向かう先は、ひまわり畑。一面のひまわりが、太陽みたいに大きな花をいっぱいに広げて、気持ちよさそうにひなたぼっこをしている。
何百本というひまわりを、がさがさと音を立てながら掻き分けていく。
ぼくはクラスで三番目に小さいから、ひまわりよりも背が低くて、一歩進むだけで一苦労だ。毎日牛乳を飲んでいるし、すぐ追い越せるはずだけど。
そうしてひまわりを掻き分けて、掻き分けて。がさがさと、ずんずんと歩いていったその奥で、ようやく見つけた。
ぼくの探していた約束の相手を。
「―――おはよう、ねこのおねえさんっ!」
「おはきゃっと、おはきゃっとです。ふふっ、また来てくれたんですね、ハカセくん」
ひまわりよりも少しだけ高い人影が、くるりと振り返った。
ふわりと、制服のスカートが翻る。黒いセーラー服は、黄色と緑でいっぱいのひまわり畑の中では一際目立つ。
長い髪は真っ白で、太陽の光を反射してきらきら輝いている。じっと見つめていると、ちょっと眩しい。
瞳の色は、一昨日の祭りで食べたりんご飴のように赤い。とても綺麗で吸い込まれそうだ。
そして更に、彼女は少し不思議な特徴を持っていた。
「おねえさん、今日も猫耳としっぽ、よく似合ってるよ!」
そう、彼女は頭に猫耳をつけていた。それと、猫のしっぽも。
プラスチック製の安物ではなく、もちろん生き物のそれでもなく、精巧な機械でできたものだ。
どうしてそんなものをつけているのか、ぼくは気になって仕方ない。だけどそれを尋ねると、彼女はいたずらっぽく微笑んで「わたしが未来の世界の猫型アンドロイドだからですよ」と冗談めかして答える。
子供向けのSFアニメのような話だ。それをそのまま信じるほどぼくは幼くないけれど、だからと言って本当の理由を推理できるわけでもなく、謎は謎のままだった。
ともかくぼくは、そんなわけで、この不思議な猫耳の女の子を“ねこのおねえさん”と呼んでいる。
そしておねえさんとぼくは、夏休みに入ってから毎日、ずっと一緒に遊んでいるのだった。
「……やった! 捕まえたっ!」
「おお、これは立派なトノサマバッタですね……!すごいです、ハカセくん!」
「えへへ。それじゃあ早速、スケッチしちゃおっと」
虫取り網に入ったバッタをそっと掴み、細部までよく見てスケッチブックに描き写す。ただ捕まえるだけでなく、じっくりと観察して、研究することが大切だ。
知的好奇心が旺盛なのは素晴らしいことですよと、ねこのおねえさんが褒めてくれる。とても嬉しかった。
褒め上手なおねえさんと一緒なら、何をして遊んでも楽しいはずだと、ぼくは思う。
「……でも、結局やることは虫取りなんだよなぁ。ぼく一人でも、おねえさんと一緒でも……」
「まぁ、こんな田舎でできる遊びは限られますからね」
またお祭りでもあれば別なのですがとねこのおねえさんが続け、ぼくは一昨日の夜に思いを馳せる。
きれいな浴衣を着たおねえさんに手を引かれ、一緒に回った夏祭り。
焼きそば、わたあめ、イカ焼き、かき氷、トウモロコシにりんご飴……次から次へと屋台を巡り、ぼくのお腹はパンパンになってしまったけれど、おねえさんはまだまだ食べられますよと笑っていた。
その細い体のどこに入るのか尋ねると、おねえさんの胃袋は反物質炉なのだと言う。これもまた、SFアニメで見たような話だ。
どうやら、ねこのおねえさんはSFが好きらしい。もちろんぼくも大好きなので、その後はラムネ片手に花火を眺めながら、子供には少し難しい本格SFアニメについてたくさん教えてもらった。
二人で楽しく語ったあの夜を、ぼくは大人になっても思い出すだろう。
「ああ、そうだ。虫取りに飽きてきたなら、少し遠出してまた川遊びをしましょうか? ふふっ」
「うっ……その、もうからかってこないなら、いいんだけど……」
下を向いてモジモジするぼくを見て、ねこのおねえさんは目を細める。
ダメだ、この顔はいじめっ子の顔だ。おねえさんはいつも優しいのだけれど、時々いじわるにもなる。
あの時だって、ぼくにそんなつもりは全然ないって、おねえさんはわかっていたはずなのに。
『こんなに日差しが強いのに黒いセーラー服だなんて、ねこのおねえさん、暑くないの?』
『……おやおや。そんなことを聞くのは、もしかして制服を脱いだところが見たいからですか? まったくも』
このやり取りがあった後、ぼくがどれだけ言い訳をしてもおねえさんは聞いてくれず、結局水着で川遊びをすることになったのだ。
おねえさんの水着は黒いビキニで、クラスの女子のスクール水着とは全然違い、肌が出ていて体に起伏があって、強すぎる刺激にぼくは真っ赤な顔でうつむくことしかできなかった。
そんなぼくを見たおねえさんは「どぶねずみさん、どぶねずみさん」とからかいながらほっぺをツンツン突いてきた。でも、この時はぼくよりもおねえさんの方が悪かったんじゃないかと正直思っている。
これは本当に恥ずかしかった思い出で、できればすぐに忘れてしまいたいのだけれど、きっといつまでも覚えているんだろうな。
……っと、だめだめ、こんなことを考えていたら顔が赤くなっちゃうから、きっとぼくを見たねこのおねえさんがまた、
「それじゃあ、また川遊びをしましょう。よーし、今度は前よりマニアックな水着を着ようかな!」
ほら、こういうことを言い出す。ぼくをからかって遊ぶために。
「さあ行きますよ、ハカセくん。レッツゴー、です!」
「わーっ、待って待って! えっと、今日は川じゃなくて、その……!」
このままの流れだと、またおねえさんに散々からかわれてしまう。
それはそれで楽しいんじゃないかと思わなくもないけれど、何故だかすっごく惜しいような気もするけれど、だけどやっぱり今のぼくには恥ずかしすぎる。
代案を出さなきゃいけない。何か別の遊びを考えなくちゃ。だけど、おねえさんがさっき言ったように、こんな田舎でできる遊びは多くない。
虫取りは飽きてきた、川遊びは恥ずかしい、お祭りは終わってしまった。他に何か、ぼくとおねえさんの両方が好きで、楽しいことと言えば……。
「……あっ、そうだ! ぼく、おねえさんの家に行きたいな!」
「―――わたしの家、ですか?」
ねこのおねえさんは、りんご飴のように赤くて丸い瞳を見開いて、きょとんとする。
その表情を見て、とんでもない失言をしたことに気がついた。しまった、「女の子の家に行きたい」は「水着で遊びたい」よりもずっと恥ずかしいじゃないか。
ぼくはおねえさんの瞳よりも更に顔を赤くして、早口で言い訳をまくし立てる。
「ち、ちがうんだ、ぼくとおねえさんは二人ともSFアニメが好きだから、一緒に見たいと思っただけで。おねえさんの家なら再生機器があるかなって、それ以上の意味は全然なくて……!」
「……なるほど、なるほど」
おねえさんは、ぼくの言い分を聞きながらウンウンと頷き、目を細める。
終わった。きっと、何を言ってもからかわれてしまう。またどぶねずみさんって呼ばれるんだ。そういえば、普通はえっちだとかスケベだとか言うところがなんで“どぶねずみさん”なのか、聞いてなかったなぁ。
そんな取り留めのないことを考えながら、ぼくは早々に反論を諦めて、からかわれるつもりでいたのだけれど。
ねこのおねえさんは意外にも、ぼくをからかってはこなかった。
「でも、わたしの家はちょっと難しいですね。少々、遠くから遊びに来ているものですから」
「……えっ……?」
そう言ったおねえさんの瞳は、真っ青な空の方を向いていた。ぼくもおねえさんに釣られて、空を見上げる。
視線の先には月があった。昼間なので太陽の光に隠れて目立たないが、確かにそこにある。見失ってしまいそうなほどうっすらと、少し欠けた白い月が光っている。
そしてその月には、二本の黒い線が十字の形に走っていた。
月に二本の線があるなんて当たり前なので、ぼくはこのことを何も疑問に思わない。
「実はわたし、旅行者なんです。ここには一時的に滞在しているだけで、本当はすごく遠い場所に住んでいるのですよ。……時間的にも、空間的にも」
「時間と、空間って……それ、また何かのアニメの話?」
「今はそう取ってもらっても構いません。とにかく、簡単に行き来できない場所なんですよ。一度行ったら、もう帰ってこれないような」
もしかして、おねえさんの言っていることは全て本当で、彼女は未来の世界から来た猫型アンドロイドなんじゃないだろうか。本気でそう考えてしまうくらいに、ねこのおねえさんの瞳はまっすぐで、透き通って見えた。
そんなはずないと頭でわかってはいるけれど、絶対にありえないなんて断言できるほど、ぼくは大人になっていない。
……いや、それよりも、もっと大事なことを言っていた。もしおねえさんが、そんなに遠いところから来ているのなら―――
「それじゃあ……おねえさんが帰ってしまったら、もう二度とぼくとは会えないってこと……?」
来年の夏も、再来年の夏も、おねえさんと一緒に遊びたい。
当たり前のように、そう思ってた。そんな未来が来るんだって信じて疑わなかった。
出会いがあれば、別れもある。そんな単純なことを、子供のぼくは全然知らなかった。
夏休みのほんの僅かな間、二人で遊んだだけなのに。ぼくは、ねこのおねえさんとお別れすることを考えると、辛くてたまらなかった。
そのくらい、おねえさんと一緒の時間は、楽しかったのだ。
「……いいえ、大丈夫ですよ、ハカセくん」
おねえさんは優しく囁いて、泣き出しそうなぼくの頭をそっと撫でる。
その手はとても柔らかくて、だけど生身の人間ではありえないことに、真夏の日差しの下でも汗一つかいていなかった。
「来年や再来年は、無理かもしれません。十年先でも、二十年先でも、難しいかもしれません。だけど―――」
―――あなたがそう望んでくれれば、いつか必ず、会えるのです。
そう言い切ったねこのおねえさんの瞳は、真昼の月よりも朧げな夢を見ているようで。同時に、太陽よりも熱く眩しい、確かな希望を信じているようでもあった。
「待っていますよ。ずっと先の、わたしのいる未来で」
「…………未来で……!」
にっこりと笑うおねえさんは、一面のひまわりのどれよりも輝いていて、明るくて。泣きそうだったはずのぼくも、思わず釣られて笑顔になる。
そして、約束ですよと、小指と小指を結んで指切りして。
ウソついたらあずきバー千本落とすというおかしな文言に首を傾げつつ、小指にほんのり残ったおねえさんの体温を感じ、ぼくがこっそり顔を赤くしていると……。
「―――では改めて、今から川遊びに行きましょう!!!」
「あっ、そのくだり、まだ続いてたの!?!?!?」
ねこのおねえさんは、盛大に脱線した話を今更蒸し返して。
近くの川まで、恥ずかしがるぼくを力ずくで引きずって連れて行った。
そして、ぼくが木陰で水着に着替えて、川に戻ってくると。
「じゃじゃん、今日はスクール水着きゃっとです! 似合いますか?」
「えっと……似合ってるけど、学校の女子が着てるスク水とは、デザインが全然違うね」
「………………なんと」
胸に“のらきゃっと”と書かれた名札のついた紺色の水着のおねえさんは、肌の露出は少なくてもやっぱり魅力的で、ぼくはとてもドキドキしたけれど。
最新のスク水との違いを指摘するとスンッと真顔になって、「製造年代がバレる」と何やら小声で呟き、ちょっぴり落ち込んでしまうのだった……。
「……ん……。おや、ここは……?」
そう言うと、少女は頭部に装着した専用のヘッドマウントディスプレイを外し、ぱちぱちと瞬きをした。
周囲ではエアコンがゴウゴウと唸りを上げており、カリカリと複雑な計算を続けるスパコンを全力で冷却している。
先程までダイブしていた“夏”の記憶情報と眼前の光景とのギャップが激しすぎて、歴戦の戦闘用アンドロイドの彼女であっても、流石に現状認識が追いついていない様子だった。
「―――おはよう、のらきゃっと。ここはイムラの実験施設、君は時間遡行のミッションから無事帰還したところだ。よろしいかな?」
「……ああ、そうでした。そうでしたね。おはようございます、博士」
「うむ。それで、どうだった? こちらでモニタリングしていた限りでは問題なさそうだったが、実際に体験した君の立場から、何か気になることはあっただろうか?」
「むむむ、そうですね。しいて言えば……ああ、一つだけありました」
「何かね。どんな些細なことでもいい、教えてくれ」
「実は、タイムトンネルの出口のことなんですが―――」
せっかくだから、学習机の引き出しの中にしてください! と満面の笑顔で言い出す白い髪の少女に、私はすっかり白髪で覆われた頭をポリポリと掻きながら、苦笑を返す。
それは当時の子供向けSFアニメの話だろうに。私も幼い頃に見ていたから、気持ちは理解できなくもないが。
「まぁいいだろう、次からはその設定にしておく。ともあれ、他に何もないなら第一段階は成功だ。歴史改変計画『プロジェクト・ノスタルジー』は、つつがなく進行中ということになる」
「ええ、そうですね。ハカセくんの記憶には、ねこのおねえさんとの楽しい思い出がバッチリ刻まれていると思います」
「……君の口から聞くと、少々こそばゆいのだが……しかし、それは間違いないだろうな……」
「あらあれ、もしかして恥ずかしがってるんですか、博士」
「いや……うむ……」
蠱惑的なのらきゃっとの瞳から目を逸らし、口髭を撫でてごまかしつつ、私は『プロジェクト・ノスタルジー』に思いを馳せる。
歴史改変計画。地球と月の辿った悲惨な戦争の歴史を、未来から時間遡行によって介入することで回避しようという計画だ。
そしてプロジェクトの名の通り、その鍵になるのがノスタルジー。
時間遡行によって……正確には忘れろビーム技術を応用し過去時間軸の人間の脳内へのらきゃっとのデータを直接転送することによって、存在しない思い出を植え付け、ノスタルジーを刺激することで歴史を変動させる。
これを聞いた者は、まず「お前は何を言っているんだ」と思うだろう。私も最初に黒猫の姿をした新社長から概要を伝えられた時は、まず自分の耳を疑い、次に新社長の正気を疑ったものだ。
しかし、この迂遠すぎる方法論でないと回避できない障害も、確かに存在する。
「……“親殺しのパラドックス”か。SFかぶれなら一度は触れたことのある概念だが、まさか自分がこの問題に直面することになろうとは」
「時間遡行者が自分を産む前の親を殺してしまった場合どうなるか、という思考実験ですか。わたしが見てきたSFアニメでも、いろいろなパターンがありましたけど」
「親を殺せば自分も消える。殺そうとしても殺せない。あるいは、殺した時点で平行世界が発生してしまう。有力な仮説はこの辺りだろうな。とはいえ、どれが正解かは重要じゃない。私達が問題視しているのは―――」
「―――わたし、のらきゃっとの“親”のことですね」
そう、戦闘用アンドロイドのらきゃっとの“親”にあたるモノ。
遺伝上の両親はもちろん存在しない。だが、イムラ・インダストリやのらきゃっとタイプの開発者と捉えるのも少し違う。
兵器たるのらきゃっとを生み出す必然性を有する、絶対的な因果関係で結ばれた歴史上の最大事象。
それはすなわち、“月と地球の戦争”にほかならない。
「要するに……戦争のない歴史を作るという目的自体が、わたしにとっての“親殺し”に該当してしまうのではないか、と」
「その通り。だからこそ、私達はパラドックスを回避するため『プロジェクト・ノスタルジー』を推進する必要がある。ノスタルジーは、のらきゃっとを開発するための強い動機になるからな」
「親が死ぬなら代わりの親を用意すればいいじゃない作戦ですね」
「……まぁそうなんだが、ろくでもない表現をするな、君は」
つまり、こういうことだった。
平和な歴史でものらきゃっとが開発される可能性があるのなら、それが新たな“親”となり、のらきゃっとの存在を維持したまま歴史改変ができる。
そのために、無数の過去の人間の脳髄に“不思議なアンドロイド少女との楽しい思い出”を植え付けていく。
思い出は動機になる。アンドロイド開発を志す、あるいはその研究に出資する、あるいは賛同し支持するための強い動機に。
例えるならば、ロボットアニメを見て育った生粋のオタクが、巨大ロボットの闊歩する世界を夢見て研究者への道を進むように。
「最大の懸念は、何千、何万という人間に一つ一つ思い出を植え付けて回る君の負担の大きさだが……。そこのところ、しつこいようだが本当に問題はないのかね?」
「全然大丈夫ですよ。なんと言ってもわたしは、超高性能な戦闘用アンドロイドなんですから。……それに―――」
彼女はそこで一旦言葉を切ると、目を細めてあの夏の日と同じいじめっ子の顔になり、こう続けた。
「―――思い出の中で、わたしを好きになってくれる人の密かな趣味を知るのも、なかなか面白いんですよ。例えば、誰かさんは水着のおねえさんにからかわれるのが恥ずかしいけど嫌いじゃない……とかね」
「……………………むう……」
数十分前までは存在しなかったはずの思い出が鮮明に蘇り、私は年甲斐もなく顔を赤らめた。
ニヤニヤと笑う少女から目を逸らすと、白髪で覆われた頭を掻きむしり、ごほんと大きな咳払いをする。
そしてカチャカチャと忙しなく機材をいじり、大急ぎで次のダイブの準備を整えた。
「…………さあ、休んでいる暇はないぞ、のらきゃっと! 何万人もの“ねずみさん”候補が、過去の世界で君を待っている!」
「ふふっ、相変わらず話を逸らすのが下手ですね、ハカセくん。ですがわたしは優しいので、今回は乗ってあげましょう」
わたしも次の思い出はどんな感じになるのか楽しみですし……と言いつつ、のらきゃっとは時間遡行用のヘッドマウントディスプレイを装着する。
ふぉぉぉぉぉんと空気を吸い込む音が鳴る。プラスチック製の安物でも、もちろん生き物のそれでもない、精巧な機械でできた猫耳型のエアインテークが稼働している。
それが本当に未来の世界の猫型アンドロイドである証なのだと、歳をとった今の私はよく知っていた。
「頭部CPU冷却完了。時間転移砲、照準セット。目標、80年前のニッポン。エネルギー充填120%……発射!」
「いきます、覚えろビィィィィィィム!!!」
安直すぎるネーミングに思わずずっこける。忘れろビームの逆位相版なのだから、間違ってはいないのだが。
ともあれ、のらきゃっとは再び過去に旅立った。この時間軸に留まって見守る私の主観では三十分にも満たないけれど、彼女の主観では実に一ヶ月もの月日が経過するミッションだ。
いくら高性能なアンドロイドと言っても、精神的な披露は蓄積する。戻ってきた彼女を労うために、何か嗜好品でも用意しておくとしよう。
「……と、その前に。一つ大切なことを忘れるところだった」
スッと立ち上がり、リクライニングチェアにもたれ掛かったのらきゃっとに歩み寄る。今はHMDを装着しているため赤い瞳は見えないが、真っ白な髪は少年時代の記憶と違わず輝いていた。
私は少し緊張しながら、口を開く。再会の喜びは大きくとも、面と向かってこう呼ぶことは、本人の前では恥ずかしくてできなかったのだが―――
「―――いってらっしゃい。気をつけて、ねこのおねえさん」
そう言うと、私は静かに扉を開けて、実験室の外に出て。
顔の熱さをごまかすように足早に食堂へと向かい、二人分の甘いりんご飴を取ってくるのだった。
~fin~