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【20190413】反省と今後の方針【雑記】

 noteで雑記投稿を始めて2.5か月ほどが経ちました。
 これまでは「毎日何らかの投稿をする」という目標を掲げてやってきたものの、そろそろ本格的に取り組みの方法や目標を見直すべきだろうなと思い至ったので、それについて考えたこと、今後の方針などを記していく。

 私はnoteでの活動を始める前、そもそもpublicな場での投稿・発信というものに縁がほとんど無かったのだが、数か月の雑記行為を通して「創作プラットフォームの日常的な利用」に順応することはできつつあると思う。
 が、肝心の創作能力面――例えば文章を吐き出すスピードであるとか、文章の構成や文脈を整える力であるとか――については、成長を全然実感できない。息の詰まるような停滞感を覚えるのが最近の状況だった。
 振り返ってみると、「投稿する」という習慣の中で、改善や自省につながるような行動が足りなかったように思う。漫然と習慣を継続するだけでは技術や能力は1ミリも向上しない。ビジネスの世界ではPDCAサイクルという古式ゆかしい概念があるが、これでいうDの部分だけを延々やり続けても意味がない……そんな感じだ。正しく改善に繋げるには、きちんと確認(反省)や改善まで含めたサイクルを回していくことが必要となる。

反省

 「これは良くなかった」と思う点を2つピックアップし、順に見ていくことにする。

 ①書きたいことが無く、つぶやきで誤魔化す。それが数日続いたりする。
 ②所要時間や作業負荷が改善されない。つらいのでモチベが低下する。

 まず①について。
 これは単純にインプットが足りてないのもあるが、そもそも「1日1投稿」というペースが私にとっては多すぎたように思われる。インプット不足を補うなら相応のリソースを割く必要が生じるので、今の自分の体力精神力でそこまで出来るか?とか、そうまでして毎日新鮮なトピックを提供する必要があるか?とか考えると、やや過負荷であったかなと思われてくる。結果として「書いている」と言えるのかどうかも分からんような雑なつぶやきでお茶を濁す、などの失敗につながってしまった。
 毎日書くことと毎日投稿はイコールではない。前者を正しく行うことが本来の理想だったのだが、目的と手段が逆転していた。

 そして②。
 これは物を書くにあたって、適切な方法論が自分の中で確立できておらず、構築しようとする姿勢も足りていなかったためだと思う。
 私は文章を書く際、いきなり本文を、冒頭から書き下そうとする悪癖があるため、何よりも先にこのやり方を矯正し、より適切な方法論を模索するべきだった。それを怠ったまま投稿を続けていたので、途中で書き継げなくなってしまったり、文脈が迷子になったり、構成を自分で把握するのが困難になるなど、書き手としても辛く、成果物の品質もよくないという結果を招いていたように思う。

改善方針

 ①②を踏まえ、ひとまず今後は以下のような方針をとることにした。

・毎日作業するが、「1日1投稿」は必ずしも目標としない。
・作業は必ずはじめに段階的に切り分け、大まかでよいのでスケジュールを立ててから取り掛かる。

 「作業負荷を調整する」「手順への関心を高める」などの観点から、まずは作業の切り分けやスケジューリングといった工程を着実にこなすことを目標とした。

 作業の切り分け方などの観点や手法については、具体的な指標は定まっていない。実践しながら最適なやり方を掴んでいくしかないと考えている。知識収集もケーススタディとしては有用だが、そうした知識はあくまで他者・外部のケースでしかなく、自分自身の精神構造や思考体系に合致するとは限らないからだ。自身の経験則から脳内に構築していくほかないであろうし、それが最適解だろうと思う。

 以上が今回の反省点と新たな目標です。

最後に

 私は別に意識高い系の人種ではないのだが、物事を漫然と続けているだけで何の成長も無い、という状態には少なからぬ不満を抱いている。
 単純に「今できること」の水準が低く、アウトプットに満足できないというのもあるだろう。しかしながら、自身の精神構造や技能に対して「変化」を求める気持ちも、少なからずあるのかなと思っている。変化がない状況というのは平穏だが、俯瞰的に見るとやはり退屈なのだ。
 『つまらない奴』から脱却したい。無駄や徒労に終わる可能性も少なからず予測されますが、そのための抵抗は今後も続けて行く所存です。

Photo by Ferdinand Stöhr on Unsplash

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