【忍殺二次創作】アイアン・アトラス・ブレイキン・イン!
夕闇の近づくトリヨシミツ・ストリートを、無軌道大学生コミタ・アクモは肩を落としてとぼとぼ歩いていた。
「ハア……」
彼は懐から財布を取り出すと、中を覗いて溜息をついた。先刻、街をそぞろ歩いていたコミタは不幸にもカツアゲマンに絡まれ、手持ちの万札からトークンに至るまで有り金すべてを毟り取られてしまったのだ。幸いにもキャッシュカードなどは無事だったが、夜の街に繰り出す当面の軍資金を失ってしまった格好である。
「十人十色!十人十色!」
自走式マネキネコが無関心な宣伝音声を流しながら、コミタの傍を通り過ぎていく。ストリートは夜の到来に備えて徐々に活気づき始め、店舗がシャッターを上げる音がそこかしこから響き、無数のネオン・カンバンにぽつぽつと光が宿り始めていた。「電話王子様」「オイランの国」「光一」「生産モデル」「膝まくら直結メンテナンス」……。
だが一文無し同然のコミタにとって、それらの魅惑的な文言は目の毒といってもよかった。早く帰って休みたい……彼はその一心で、つとめて周囲の様子を意識しないよう、俯きがちにストリートを歩きつづけた。カア、カア……頭上に張り巡らされた電線やLANケーブルの上から、嘲るようなバイオカラスの鳴き声が聞こえていた。
【アイアン・アトラス・ブレイキン・イン!】
「ハア……」
しばらく歩き、コミタは何かを期待するように財布をもう一度取り出すと、スカスカの中身を確認し、また溜息をついた。
何度確認しても無いものは無い。時給にしてどのくらいだっただろうか。またバイトのシフトを増やさなくてはいけないな……彼はそんなことを考えながら、視線を上げて歩き出そうとする。
そして、違和感に気づいた。
「ここ、何処だ……?」
そこは薄汚く、暗く、狭い路地だった。
頭上には暗色のLANケーブルが天蓋めいて幾重にも巡らされており、ネオン光源の類は一切ない。重金属酸性雨で黒ずんだビル壁には、錆びの浮いたブリキ・カンバンがベタベタと無秩序に貼られている。「おいしいお肉です」「ラドン温泉」「神と和解せよ」「眼」「ワニ女ヘビを食べる」「ふわふわローン」……。不夜城トリヨシミツの、華々しく生命力にあふれた街並みとは程遠い風景である。周囲に人の気配は無く、バイオカラスの鳴き声すらも聞こえなくなっていた。
コミタは寒気を覚えた。路地裏に迷い込んでしまったか?振り返ってみるが、来た方向にも似たような路地が続いているばかりだ。引き返そうと考えたが、彼は元来た道を辿れる自信もないのだった。
「どうしよう……」
不安と逡巡に苛まれ、コミタはしばし辺りを見回していた。やがて暗さに目が慣れてくると、先程は見えなかったものが目に留まった。
それは最近貼られたと思しき、小綺麗なDIYカンバンだった。小型ブラックボードにチョーク文字で「無料キャンペイグン」「興奮」「エキゾチック体験」「黒い人向け」「隠れ家的な」などの文言とともに、ハートを象った矢印が描かれている。おどろおどろしい周囲のブリキ・カンバンとは一線を画した、温かみを感じさせるモダンなデザインだ。矢印は路地の奥を指しているようだった。
「無料……?」
無料……エキゾチック……具体的なサービス内容ははっきりしないが、その文言にはどこか期待感を煽るものがある。もしや知る人ぞ知る穴場的プレイ・スポットの類なのでは? しかも無料サービス期間中の?
コミタは好奇心をそそられた。自分はもしや、千載一遇の機会に行き当たったのではないか。このままアパートに帰っても、やることと言えば一人でエッチ・ピンナップを眺めて寝るくらいだろう。本当にそれでいいのか? ここで勇気を発揮すれば、表通りでは到底出会えない体験が待っているかもしれないのに? しかも無料で!
「……僕は夜の獣だ……!」
一文無しの惨めな状況、半ば自暴自棄な気持ちに背中を押され、コミタは決意を固めた。いざ冒険の時だ!
―――――
……矢印カンバンに沿って進むこと、約半時間。
道は次第に複雑さと険しさを増していた。ビルの古びた非常階段を登り降りし、キャットウォークめいた素組みの足場を渡り、廃アパートの一室を通り抜けること数回。バイオジョロウグモの巣をかいくぐり、干からびた小動物の死体を避けて歩く。相変わらず人の気配はないが、その秘密めかしたアトモスフィアに、コミタの味わうスリルと、先に待つものへの期待は高まる一方だった。
やがてコミタは、とある建物の裏口と思しきドアの前で立ち止まった。そこには矢印カンバンと似た字体で、「HERE」と書かれている。目的地にたどり着いたのだ。建物には窓がいくつかあるが、どれも板で目張りされており、中の様子は窺い知れない……だがコミタは逸る気持ちを抑えられず、やおらドアを開けて中へと滑り込んだ!
「この向こうに無料エキゾチック体験が……!」
……しかし、そこは外の路地と同様の薄暗い空間で、やはり人っ子一人いないのだった。コミタは落胆を隠せなかった。カンバンは質の悪い悪戯だったのだろう。やはり文無しの自分には、何一つ得られる幸せなど無いということか……肩を落としてその場から立ち去ろうとした、その時である。
パワリオワー……。屋内から突然、奥ゆかしい電子音が聞こえてきたのだ。振り返って目を凝らすと、部屋の中央に台座のようなものがあり、その上に鎮座した何かが燐光を放っているのが見えた。
恐る恐る近づいてみると、それは石版(スレイト)じみた扁平な形状の物体であることがわかった。全面がオブシダンめいた漆黒のディスプレイ素材に覆われ、燐光はその継目から漏れるUNIX光のようだ。コミタがまじまじと見つめていると、突如としてそのディスプレイ部に砂嵐めいたノイズが走った!
「アイエッ!?」
ZZZZZ……ZAP! 次の瞬間、ディスプレイに映し出された光景にコミタは目を瞠った!
そこは風光明媚な露天オンセンのようだった。立ち込める濃密な湯気の向こうに見えるのは……今まさに入浴中の、若い女性のシルエットだ! ときおり湯気のあわいに、艶めかしい指先やうなじが垣間見える。極めて扇情的なヴィジョン。コミタの心臓は跳ねるように脈打った!
「これは一体!?」
ZAP! ZAP! コミタが凝視していると、ヴィジョンは短時間で次々に切り替わっていった。シャツをはだけてくつろぐ仕事帰りのオーエル。カラテトレーニングに勤しむ美女(そのバストは豊満である)。屋内海水浴場でビーチチェアに寝そべり、カクテルを嗜む水着姿のカネモチ。街をそぞろ歩く女子高生の後ろ姿……。直接的な猥褻シーンは無いが、その生々しい盗撮映像じみたリアルさにコミタは背徳的な興奮を覚え、その視線はたちまちスレイト型UNIXに釘付けとなった。
コミタの心は躍った。自分はとんでもないトレジャーを発見してしまったのかもしれない。無料サービスとはこの映像体験のことであろうか? あるいは、この旧世紀レリックじみたスレイトUNIXそのものが……? 次々切り替わっていくヴィジョンを見逃すのが惜しく、彼はしばらくその場でスレイトUNIXを凝視していた。ZAP、ZAP、ZAP……。
「……ン?」
次に映った光景に、コミタは首をひねった。どこかの店の従業員用ロッカール―ムと思しき部屋だ。壁沿いにロッカーやワータヌキ置物が並び、中央には安っぽい長椅子が置かれている。そして映像の中央に映りこんだホットな女性に、彼は見覚えがあった。
「チュリ=サン!?」
コミタは困惑しながらも様子を見ていると、画面内のチュリはおもむろに身につけているゼントロン・ガール衣装のボタンを外し始めた! 着替えようというのか!
「ワ、ワオ……!」
するりと衣装を脱ぎ、下着姿となったチュリ!ヴィジョンが豊満なバストをクローズアップする! コミタは目を剥いて凝視! すると、画面内のチュリもコミタのほうへ視線を向けた!
「アイエッ!?」
コミタは咄嗟に目を逸らし、キョロキョロと周囲を見回した……そして驚愕した。
彼が立っているのはもはや薄暗い廃墟の一室ではない。そこはヴィジョンに映り込んでいたロッカールームに相違ないではないか! これはいかなる現象か? 混乱するコミタに、チュリが声をかける! すぐ側に彼女が立っている! 下着姿で!
「続き、見たいでしょ?」
ほとんど淫靡と言ってもよい動作で、チュリはブラに手をかけ、じわじわとたくし上げていく。コミタはもはや周囲の様子など目に入らず、ワータヌキ置物めいて見開いた目をその豊満に釘付けにした。あと3センチ……2センチ……じらすように手を止め、そしてまた……1センチ……そこでチュリは小悪魔じみた笑顔を作ると、一息にブラを取り払った! ついにその豊満の頂点が露わになる!
……だが、そこにあるべきものは見えなかった。
代わりにコミタが見出したのは、その箇所を覆い隠す無数のカタカナであった。『ス』『ケ』『べ』。その3種で構成されるカタカナ群体はギラギラと赤く明滅し、不気味に伸縮と蠢動を繰り返す様子は小型昆虫コロニーじみている。
「アイエーエエエエエ!?」
常軌を逸した光景にコミタは恐怖の悲鳴を上げ、逃げ出そうとする! ロッカールームの扉にすがりつくが、ドアノブはびくともしない! 扉の表面にまで無数のスケベ文字が浮かび上がり、「外して保持」のテープめいた模様を形成した。
「アハーハハハハ! 捕まえましたよ!」
背後から上がった哄笑の主はチュリではない! コミタが振り向くと、そこにはバラクラバめいたメンポ(面頬)とニンジャ装束に身を包んだ男が立っていた。ニンジャ装束! コミタは腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
「ニンジャ! ニンジャナンデ!?」
「ドーモ、私の名前はホーンターです。口座の情報を教えてください」
ホーンターと名乗るニンジャは嗜虐的な笑みを目に浮かべ、トークンの形を示すハンドサインを作りながらコミタに歩み寄ってくる。ナムサン! これはカツアゲ行為だ!
コミタが頭上を見上げると、天井にはプロジェクション・マッピングめいて先程の廃墟の光景が映し出されていた。そして暗がりの中に、白目を剥き涎をたらして棒立ちになるコミタ自身の姿が見える! コワイ! 彼は謎めいたニンジャのジツによって、精神だけをスレイトUNIXのコトダマ空間内に囚われてしまったのである!
「教えてくれたら出られますよ! そういうシステムです」
コミタの前に虚空から生じたスケベ文字が凝集し、「口座情報を入力してロックを解除する」という入力フォームを形成する。悪名高き旧世紀マルウェアが、コミタの精神そのものを人質にとっているのだ!
「嫌ですか? なら、外の肉体で稼がせてもらうまでです。腎臓、両方残ってますか?」
「アイエエエエエエ!」
コミタは死を、あるいはより残酷な運命を覚悟し、天を仰いだ。頭上のヴィジョンを通して、コミタの物理肉体のもとへ大柄な人影が近づいてくるのが見える。ニンジャの手下のヤクザか闇医者に違いない! このままでは臓器を摘出されてしまう! ついに観念し、入力フォームへと手を伸ばした……その時である!
「UNIXマンじゃん! 何やってんだお前?」
緊張感のない大声が頭上から響いた。コミタには嫌というほど聞き覚えのある、粗暴な声が。
「「エ?」」
コミタとホーンターの両者は訝しみ、揃って天井を見上げた。そこにはスレイトUNIXを覗き込む大男の顔がアップで映り込んでいる! メンポに覆われたその顔を見て、ホーンターは慌てた!
「ニ、ニンジャナンデ!? まずい、ジツがまだ……!」
彼はジツ解除のニンジャサインを組み始める! だが直後! KRAAAAASH! ガラス破砕に似た音を立てながら、身長7フィート超の巨体ニンジャが頭上から出現、ゴリラめいてコミタたちの間に着地したのである! 着地点にあった長椅子が真っ二つにへし折れた!
「……ン、どこだココ?」
闖入ニンジャはキョロキョロと辺りを見回すと、へたり込んだままのコミタの姿を認めてフレンドリーに声をかけた。
「あっUNIXマン! さっきは何やってたンだ? つーかココどこよ?」
「アイアンアトラス=サン……!」
然り、このニンジャの名はアイアンアトラス。コミタが恐れている人物であり、そして認めたくはないが……こんなとき最も頼りになる、ニンジャの知人であった。
「あ、貴方! このニンジャはなんですか!? ニンジャフレンドがいるなんて聞いていません! さては騙しましたね! イヤーッ!」
ほとんど不条理な罵声をコミタに浴びせるのは、混乱から復帰したホーンターだ! 早口でまくしたてながらコミタに殴りかかる!
「アイエッ!」
だが拳がコミタを捉える寸前、アイアンアトラスが繰り出した裏拳がホーンターの横面にめり込み、あさっての方向へ吹き飛ばした!
「グワーッ!?」
「あぶねえ奴だな! ドーモ、アイアンアトラスです」
「ド、ドーモ……ホーンターです。おのれ……! こうなったら容赦しませんよ!」
ホーンターはアイサツを終えるやいなや、ニンジャサインを組み上げてアイアンアトラスを指さした。すると部屋の窓や扉、ロッカーの中などから、双子のように瓜二つな容姿のヤクザたちが次々と姿を表した! ホーンターが外敵排除のために使役する、電子クローンヤクザである!
「者共! カカレーッ!」「「「ザッケンナコラー!」」」
ホーンターの号令とともに、電子ヤクザたちは一糸乱れぬ動作でチャカ・ガンを抜き放つ!
「どいてな!」「アイエッ!?」
アイアンアトラスはコミタを突き飛ばして射線上から逸らすと、自身は天井スレスレまで高く跳躍! BLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! コンマ02秒遅れてチャカ・ガンの一斉掃射! だが色付きの暴風と化した巨漢ニンジャの姿を捉えることは出来ない!
「アッコラグワーッ!?」
アイアンアトラスは跳躍の勢いをそのままに、隊列の先頭にいた電子ヤクザに飛びかかり踏みつけ倒すと、回転ラリアットやショートフックで周囲のヤクザを吹き飛ばしていく!
「イィィヤァーーッ!」「「グワーッ!」」
「アイエエエ!」
壁際のロッカーやワータヌキがヤクザの直撃を受け次々に破砕! 悲鳴をあげるコミタ!
「チャルワレッケオラー!」「ナンオラー!」「ドシタンス!」
電子ヤクザの増援が次々出現! だがアイアンアトラスの狼藉を止めることはできない! 局所的ハリケーンじみた破壊行為の中心部から、カラテストレートやジャイアントスイングで倒されたヤクザの身体や、ベンチ、灰皿、ゼントロン・ガール衣装などが四方八方に吐き出される! 破壊されたそれらのオブジェクトは次々にパーティクルめいた無数のスケベ文字へと分解され、霧散消滅していった。
「グワーッ! なんたる!」
電子鼻血を流しながら呻くのはホーンターである。アイアンアトラスのもたらす無秩序な破壊行為が過剰なカラテ物理演算を発生せしめ、ジツ行使者のニューロンに負荷を与えているのだ!
「ス ッゾコ ラ ー!」「ダ カマ テッ パ ダラー!」
過負荷の煽りをうけ、電子ヤクザ達の動作がコマ送りめいてカクつきはじめた! だがアイアンアトラスは意に介さず破壊を継続! ナムアミダブツ!
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
「アイ、アイエエエエ……」
やがてアビ・インフェルノじみた喧騒が止み、コミタは恐る恐る顔を上げた。部屋中に電子ヤクザや調度品の残骸が散らばる中心に、平然とした様子でアイアンアトラスが立っていた。
「やっと片付いたぜ!」
「バカナ……こんな、ことが」
ホーンターは部屋の隅で片膝をつき、鼻血の染みたメンポの下で驚愕に顔を歪めた。彼がジツと旧世紀UNIXのシナジーによって構築した電子カツアゲ空間は、突如現れたニンジャの暴力によって、なすすべもなく台無しにされてしまったのだ。
どうしてこんなことになってしまったのか。彼はコミタの方を見た。そう、この無軌道大学生と思しき男がすべての元凶だ。この男がニンジャなど連れてこなければ!
「お前……! お前のせいでーッ! 死ね―ッ!」
「アイエエエエ!」
ホーンターは常人の三倍近い脚力を振り絞り、コミタに向かって跳躍! アイアンアトラスは側にいない! コミタは今度こそ、フットボールめいて頭部を蹴り飛ばされて死ぬ運命を幻視した!
「イヤーッ!」
だが蹴り足がコミタに到達することは無かった。アイアンアトラスは低姿勢からのロケット・スタートでタタミ3枚分の間合いを一瞬で詰めると、空中でトビゲリを繰り出さんとするホーンターにアッパーカットを繰り出したのだ! トビゲリ姿勢でガードががら空きになったホーンターの股間に、鋼鉄のような握り拳がめり込んだ!
「アバーッ!」
身を竦ませるコミタの頭上を、トビゲリの勢いのまま斜め上に打ち上げられた哀れなニンジャの身体が飛んでいき、壁に叩きつけられブザマに落下した。
「ヒエッ……」
アドレナリン加速された知覚でインパクトの瞬間を目撃したコミタは、ブルリと身を震わせて己の股間を押さえた。
「大丈夫かよUNIXマン?」「ア、うん……」
アイアンアトラスがコミタを助け起こした。ホーンターはぐったりと白目を剥いて気絶。コミタはようやく非道カツアゲ行為から解放されたことを知り、安堵の息を吐いた。ジツの維持が失われたことでロッカールームの光景は急速に01分解され、気づけば二人は暗い廃墟に立っていた。
「UNIXん中に入ってたってことか? マジでUNIXマンじゃん! すげえな!」
アイアンアトラスが無邪気に言った。目の前には光を失ったスレイト型UNIXが安置されている。さきほどの騒動の結果、機能を停止してしまったのだろう。
「エート……アイアンアトラス=サン、どうしてここに?」
「お前IRC送っても全然反応ないからよ、探しに来たんだよ! キャッチマンに聞いたり、足跡たどったり、結構大変だったぜ」
「そ、そうだったの……」
コミタは懐のIRC端末を確認した。確かに未読IRCメッセージがいくつも溜まっている。カツアゲのショックで落ち込んでいたコミタは通知に気づいていなかったのだ。
「それにしても辛気臭え場所だな! なんでこんなところにいたんだ? 早く帰ってラーメンでも食おうぜ」
アイアンアトラスは促すようにコミタの肩を叩き、その場を去ろうとする。だがコミタはふと、機能停止したスレイトUNIXに目を向けた。
彼にハードウェアの知識は皆無だったが、この品が高度なテックの産物であることは想像できた。専門店に持ち込めば、それなりの額で売却できるかもしれない。今日は散々な目にあったのだ。それくらいの役得がなければ、気持ちの収まりがつかない……コミタは意を決して手を伸ばした。しかしその時!
「貴様―ッ!」
突如スレイトUNIXが再起動し、ディスプレイに恐ろしい形相のニンジャが映し出された! ホーンターである! 怒声を上げながらみるみる画面の手前まで迫り来る! このままディスプレイから外に出てきそうな勢いだ!
「アイエーエエエエエ!」
コミタは恐怖し、脊髄反射的にスレイトUNIXへ拳を振り下ろした! カワラ割りパンチだ! KBAM! カジバ・チカラのこもった一撃を受け、スレイトUNIXは小爆発を起こしてばらばらに砕け散った!
「ア……」
「ギャッハハハハハ!」その様子を見ていたアイアンアトラスが爆笑した。コミタの反射的カワラ割りムーブメントがツボに入ったらしい。「UNIXマンがUNIX壊してどうすんだよ!」
コミタは砕けたUNIXの破片を見て呆然となった。一攫千金のチャンスがこれで消えてしまったのだ……。
「ハア……」
度重なる恐怖体験の連続に疲弊しきったコミタは、ようやく諦めをつける気になった。命を拾っただけマシということだろう。廃墟の出口でアイアンアトラスが手招きした。
「なんか元気ねえなお前?」
「ウン、ちょっとね……」
「しっかたねえな、今日は俺がオゴッってやるよ。途中でボーナスもゲットしたしな!」
そう言ってアイアンアトラスは、カツアゲマンから奪ったという万札とトークンを懐から取り出してみせた。彼らには知る由もないことだが、そのカネはまさしく先刻コミタが奪い取られたものであった。インガオホー。
「腹ごなしが済んだら、次はダンスクラブだぜ!ガールズバーの新規開拓するのもいいかもな!」
アイアンアトラスはコミタの背中をどやしつけると、大股で暗い路地をズカズカと突き進んでいった。帰る道が分かっているのだろう。
「ア、待ってよ……!」
コミタは慌ててその後についていく。今回の無謀なる探索の結果はさんざんなものであった。服と靴はクモの巣や煤で汚れ、ニンジャに襲われ、得られたものはなし。……だが今、アイアンアトラスの背中を追いかける彼の心境は、一文無しで彷徨っていたときより、いくらか軽くなっていたのだった。
―――――
……コミタとアイアンアトラスが去って、1時間ほど後。
「アバッ、畜生……!」
廃墟の壁にあった隠し扉を押し開けて、ニンジャが姿を現した。ホーンターである。彼はいまだ股間に残る痛みに脂汗をたらしながら、エッチ・スレイト・トラップの残骸を一瞥して毒づいた。
「あの無軌道大学生め!確かUNIXマンとか呼ばれていた……オボエテロ!」
彼は復讐を誓った。ハードウェアは完膚なきまでに破壊されてしまったが、あの無軌道大学生を襲い臓器を売るなどすれば、代替UNIXを調達できるはずだ。彼自身の命とジツさえ残っていれば、何度でもやり直せる。
そう、サツガイによって授けられた、このジツさえあれば。
かつて取るに足らないサンシタニンジャに過ぎなかった彼は、ある日突然『祝福』を授かり、悠々自適のカツアゲ生活を送れるようになったのだった。ID窃取、臓器売買……あらゆる手段で犠牲者からカネを搾り取ってきた。ストリートを監視するソウカイ・シンジケートの目も、恐るるに足らない。今までも、そしてこれからも。彼は気持ちを前向きに切り替え、軽い足取りで廃墟から出ようとする……。
「成る程、ネズミめいて隠れていたわけか。ようやく見つけたぞ」
そして見た。廃墟の戸口に待ち構える、赤黒のニンジャの姿を。薄闇においてなお禍々しく輝く双眸が、理不尽な憎悪を湛えて彼を見据えていた。不吉な静寂の中、ジゴクめいたアイサツの声が響き渡った。
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです。サツガイという男を知っているか」
……その後、ホーンターの姿を見たものはいない。
【アイアン・アトラス・ブレイキン・イン!】終わり
【忍】 ニンジャ名鑑#XXXX 【ホーンター】【殺】
トリヨシミツ・ストリートの路地裏に跳梁する無所属ニンジャ。精神に作用する何らかのジツと旧世紀ランサムウェア内蔵UNIXをシナジーさせたエッチ・スレイト・トラップを用い、愚かな市民を相手に非道カツアゲ行為を繰り返していた。