透明感のある家を

透明感のある家について話そうと思う。

今度、移籍する会社に決めた一番の理由は、実際の家の透明感だった。
営業、プランナー、大工と渡り歩いてきて、改めてこういう家を作りたいと感じた。

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透明感のある家といっても、当然だけど透明ってわけじゃない。

家の透明感とは何ぞや。
別に建築の世界で透明感という言葉がオフィシャルに存在するわけじゃない。僕が勝手に言ってるだけだ。

透明感のある家とは、
プランの問題もあるけれど、それに加えて構造の出し方、素材の選び方なんだろう。
どれか一つで成立するものでもない。

プランについては高さと窓と外と中のつながり方だ。
リビングが広いとかじゃない。まあ、それはそれで大事なんだけど。

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逆に透明感のない家というと、重いのだ。
空間として閉塞感があって、ぼてっと重たい。
かといって良い意味で重厚感のある家っていうのとは違う。
透明感がなく重たい家っていうのは、味気がないのだ。

それで一番最初に僕は窓に着手した。
まあ、窓ガラスと透明って直感的にも分かりやすい。

南の窓を増やそうと考えたのだ。
別に南じゃなくても良いんだけど。
家というのはだいたい一方向か二方向に向かって、ひらける。敷地によっては四方向とも何もなくて、全方向にひらける家もなくはないけれど珍しい。
たいていは日当たりを取りたいので南はひらける。
敷地によっては南がひらけないこともあるから、その場合はひらける方向を優先する。日当たりは落ちるけれど、敷地に逆らってはいけない。
南がせまいのに無理に南にひらかせると、どん詰まりのような家になる。

ひらく方向に対して大きな窓を取りたい。
そうなると、横長のリビングが良い。ひらく方向に対してリビングが長く接するように。
南に開くなら東西に長くリビングをレイアウトする。
そうすると、大きな窓が2つ以上取れる。

このアプローチは素人でも思いつきそうなくらい単純だけど上手くいった。
これだけで、リビングは明るく、開放感があり、軽くなる。

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でも、窓と間取りだけではどうしても、透明感に限度があった。

吹き抜けと階段の位置や、斜め天井の入れ方。あれこれ間取りで工夫を試みたけど、どうしても求める透明感には辿り着かなかった。

それが、今回移籍する会社の家は、実現出来ていた。

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まず、大きく違うのが真壁と踏み天だ。

簡単に言うと、昔の古民家みたいに、柱やハリという構造の木が見える家だ。

真壁は柱が見える。
踏み天は二階の床がそのまま一階の天井なので、ハリがそのまま見えるし、二階の床板の木の裏側が見える。

これは非常に透明感があって軽いのだ。

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このタイプの家は今は本当に減った。

特に踏み天については、天井をはらないから、音の問題もある。電気の配線を隠す場所もない。
踏み天井として使えるような綺麗な木を二階の床に使う会社は少ない。だいたい、ベニヤ板で下地を作ってしまう。

今の家はとにかく隠す。
隠れてスッキリするという考え方もあるだろうが、石膏ボードにビニールクロスでのっぺりと平坦に仕上がると、無機質で冷たく軽さがなくなる。透明感はどうしても失われてしまう。

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踏み天井の恩恵は、ハリが見えて、木が美しいことと、天井を作らない分、高さが出て軽さが出るということもあるが。
二階の高さを低くできるというのも大きな恩恵だ。

一般的に、普通に天井を作ると、二階の床から50センチちょっとくらい低いところに天井が出来る。
この50センチを稼ぐことが出来るわけだ。
50センチは大きい。

50センチをそのまま、開放感として天井の高さに使っても良いけれど、35センチほど下げると階段が1〜2段少なく作れる。
この恩恵は大きい。

二階についても、踏み天ではなく、屋根の無垢の野地板がそのまま見える形になっているので、やはり高さを稼げる。

そうすると、家が全体的に低く抑えられる。
高くてひょろひょろっとした感じじゃなく、安定感が出来る。

あるいは、低くせず、家の中の空間を高く作る方に使っても良い。

どちらにせよ、高さが自由に作れる。
これは大きい。

高さについて圧倒的に良い面が多い。

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素材感も大きい。

のっぺりしたビニールクロスに、シート貼りのドアは、やはりどこか冷たく味気ない。
いや、悪いことはない。
ただ、僕の好きな透明感を作るには向いていない。

漆喰の塗り壁に、無垢の木の柱とハリに天井、床。
こういう素材には暖かみがある。

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簡単に言うと、昨今の古民家ブーム的なものだ。

なぜ、今の人が、昔の古民家に憧れるかと言えば、そういう透明感があるからだろう。

単純にレトロ、懐かしさ、そういう感情もあるのだろうが。

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古民家は、なぜそういう透明感だったり、
「なんとなく良い雰囲気だなー」
というのがあるのかと考えると、これはすごく簡単に説明できる。

日本の住宅の歴史が積み重なってきた完成形だからだ。

これに対して、今の家は戦後にスパンと歴史が途切れてしまっている。

新しい技術や素材が悪いというわけではない。
「こうしたら住まいはもっと良くなるよね」
というのがコツコツ積み重なってきている流れから、戦後、焼け野原になった東京で、
「物もお金もないけれど、人が住める家をとにかく早くたくさん建てないといけない」
ということで、そこまでの流れをスパンと切って出て来た住宅の流れが今の住宅につながっている。

一番分かりやすいのがダイワハウスの創業期のパイプハウスだろう。
創業商品パイプハウス|技術情報|大和ハウス工業

鉄パイプで簡単に作れる家だ。
戦後の日本を支えた素晴らしい家だ。

パイプハウスほどじゃないにせよ、物資も金もない中で住宅を建てなくてはいけないという流れの中で、日本の家は変わってしまった。

一度安い家が普通になってしまうと、昔からの住宅の流れにはなかなか戻れない。

そこに加えて高度経済成長の頃に核家族化が進んだ。
地方から都市に出て働いて、そのまま都市で家庭を築く家庭が増えた。

当然だけど、何世代かに渡って住まう家と、自分たちの代だけで使う家では、かけられる予算も違う。

安い家の需要も進んだし、
安い家を許容する環境、「今の人はみんなこういう家に住んでいる」という感覚も普通になったし、
安い家を作るための技術、ビニールクロスに石膏ボード、最近ならベニヤ板に集成材など、
昔からのコツコツ積み上げられてきた家の歴史というのは、戦争の前後で途切れていると言える。
もちろん、戦後でも歴史の流れを踏んでいる家も存在しているけれど、徐々に減っていってしまって現在に至る。

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古民家はレトロや懐古主義というだけじゃなく、日本人の住宅建築の歴史の積み重ねがあるから、日本の気候に順応してきているし、日本人の文化、美学に基づいて進化してきた家の形とも言えるんじゃなかろうか。

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古民家の透明感とはなにか。

まず、壁が柔らかい。
今の家の壁って、何となく固そうで冷たいような感じがする。
現実にはただの石膏ボードだから蹴っ飛ばしたらすぐに割れるんだけど。
それでも、何となく分厚くて重いような感じがする。
もちろん、それは良い面でもある。
固くて頑丈そうに見えるっていうのは、良い面でもある。

それに対して昔の壁はどこか頼りない。
それこそ、障子や襖(ふすま)が典型的だけど、もはや壁というか、ちょっとした仕切りだ。
そもそもに壁が少なくて、そういう障子が多い。

障子じゃない壁にしても、真壁って、柱は頑丈そうに見えるけど、壁は何だか軽い感じがする。
特に塗り壁っていうのは、なんだか優しくて柔らかで弱っちいような。
実際に手で触れると、ビニールクロスの方が柔らかいんだけど。
不思議と塗り壁というのは暖かみや優しさみたいなものがある。

柱が主役で、壁はあくまで仕切りというか、ごつくない。控えめなのだ。

主役の柱についても、ゴリゴリと固くて圧迫するような感じはない。

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柱やハリなどの木の構造が見えるというのは、日本の家にとってすごく、大事なことなのだ。

日本の家は壁よりも柱だ。
もちろん、壁も存在していたけれど、柱と障子が強い。
良い意味でペラペラしたような軽さや明るさ、透明感がある。

壁の中にドアがあるんじゃなくて、柱と柱の間に障子がある。
柱と柱の間に鴨居を横に入れれば、それで障子ができる。
これだけで出入り口と壁が完成してしまう。
これはすごいことだ。
普通に家を作ると、柱に壁をつけて、枠を作って、そこにドアを入れないといけない。

柱は家の構造も担当しているけど、同時に障子を支える役割もしている。
柱は構造でもあり、意匠にもなっている。

ものすごく極端にいえば、壁がほとんどなくても日本の家は成立する可能性さえある。
まあ、かなり極端ではあるけれど。
寝殿造まで言ったらそれこそ極端だ。
でも、ガラスの窓が付くまで、日本の古い家は障子一枚で中と外を分けていた。
もちろん、雨戸なんかもあるにはある。
ただ、雨戸は雨戸で、雨の日の戸で普段はオープンなのだ。

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家を開く文化はなぜ発生したのか。
障子にせよ、真壁にせよ、なぜ外に開きたがるのか。

すこぶる現実的で味気ない答えとしては湿度と火災と地震なのだろう。

島国で雨が多く、湿気も多いので木を水に濡らさないようにするのではなく、ある程度濡れることは前提にして、湿ったら晴れた日に乾かせば良いという考え方になったのだろう。
それで、障子で大きく開いて風が通りやすく、その風にあたって木が乾きやすいように真壁にした。

さらには火災や地震が多かったので、壊れた部分だけを修理しやすいように、構造がむき出しになっているのは都合が良かったのだろう。

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不思議なもので。

昔の家より、今の家の方が確かに大きな窓ガラスがある。
さらに照明器具も進化した。
昔は電気をこまめに消しましょうなんて言ったものだけど、LEDになって省エネになって、ある程度、電気をつけっぱなしでもさほど気にならなくなった。
家は明るくなったはずだ。

明るくなったけれど、家は無機質になって、透明感を失った。
無機質になって、味気なくなった。

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なんというか、木に対して尊敬の気持ちがなくなった。

住む人には木が見えない。木造住宅も鉄骨も分からない。
木に対して尊敬どころか、木が存在していることすら気付かない。

大工をしていても思う。
真壁の家を施工するときには、木が仕上げになるので丁寧に扱う。
大壁となると、木は表に出ない。寸法なんかをメモしたりする。もちろん、長さや水平直角を正確に作るのは当たり前だけど、それでも、木に対して尊敬の気持ちが少ない気はする。

材料にしても、国産の無垢材と、海外の何の木だかよく分からないSPF材の集成材。
やっぱりどこか尊敬の気持ちみたいなのは違う。

もちろん、大工は木を扱う仕事だから、木を大事にするというか、木への尊敬というか、感謝というか、そういう気持ちはある。

それでも、得体の知れないベニヤ板だったり、木屑を押し固めて周りに木目柄のビニールシートみたいなものを貼られた新建材を日々触って、本物の木をいじらない、というのを続けていると、木に対しての尊敬とかってのは薄れていく部分はある。

まあ、別に木を尊敬しなさいってわけでもないけれど。

木の柱が主役だった日本の家はすっかり失われて、木みたいな見た目の謎の工業製品を加工して、ビニールクロスと木目柄のプラスチックみたいなものに囲まれた家に暮らすようになってしまった。

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とはいえ、無垢の木の家が全面的に素晴らしいとは言わない。
昔の家の作り方がすべてにおいて素晴らしいとも思わない。

新しい技術や工法によって、その時代の人間に最も素晴らしい家が作られていくことは良いことだ。

戦時に木が乱伐され、戦後の復興で物資のない中、安い住宅を作る技法が作られ、核家族というライフスタイルに即した家ができた。
特にキッチンについては明るく美しくなったと思う。奥様じゃないけれど、女性が家の奥の暗いところで家事をするっていう文化はなくなった。キッチンはいまや住宅の中心で、おしゃれなLDKのシンボルにもなった。

良いこともたくさんある。

それでも、やはり住宅としての透明感という意味では、今の量産型の安い住宅は、多くのものを失ってしまったような気がする。

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そういうことをいろいろ含めて、今度移籍する会社の家は透明感がある。
国産の無垢の柱を真壁で作って。ハリ、床も国産の無垢材に、漆喰の壁。

もちろん、そういう家がメインストリームじゃなくて、ほぼ絶滅寸前なのには理由がある。

まずクレームが出やすい。

塗り壁は割れる。
無垢の木もわれたり、そったりする。
ベニヤで下地を作らなければ床の音鳴りもしやすい。

クレームだけじゃなく工事の手間もかかるし、材料のコストもかかるし、扱い方も気を遣う。

そもそも、そんな透明感なんてのは、一般の人には伝わりにくい。

本能的に透明感のある家は気持ちよく感じる。
なんとなく、この家気持ちが良いな、って。
それでも、なぜ気持よく感じるのか、普通の人には透明感なんて分からないし、理由が分からない。
何となく木が見えるからオシャレな感じがする、その程度だ。

だから、やっぱり、デメリットもたくさんあって、金額も高いんじゃ、そういう家ってなかなか売れない。

透明感は作りにくくても、クレームのない、コスパのいい家。ソッチの方が売れる。

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いたるところで、そういう問題って出てきている。
文学は純文学は売れない。大衆文学のほうが売れるし、ラノべの方が売れるし、アニメ化されたらもっと売れる。映画の原作になったりも良い。
音楽もクラシックやジャズはダメだ。何だったら最近は音楽の内容よりも、歌っているアイドルがかわいいかどうかだったり、もはやそのアイドルについても何十人もいて誰かに飽きても似たような可愛い女の子がいて、さらには同じようなグループがたくさんあって、何の映画の主題歌だから良い曲だったり。

売れるということが、あまりに力を持ち過ぎてしまった。

確かに売れるっていうのは大事な要素かもしれない。
多数決も大事だ。

それでも、人が作った作品には、売れる売れない以外にも重要なことはたくさんある。

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伊勢神宮が20年ごとに作り直すのは、木が腐るからじゃなくて、技術の伝承のためだと言う。
良い職人だって年を取る。
20年ごとに作り直すことで、技術が継承され。失われない。

なぜ、まったく同じものを2000年も作り続けるのか?
新しい作り方でより良い方法が出て来たら、新しい作り方をすれば良いのではないか?
天照大御神だって、今の新しい断熱の効いた快適な家に住みたいと思うかもしれないじゃないか。
式年遷宮にはとんでもない金額がかかっている。

日本神道の宗教的に価値のある重要なことだから、文化的な価値があるから。

そうは言ったって、キリスト教やイスラム教などのように実際的な力はない。
そもそも、日本人でも日本神道を熱心に信仰している人は多くない。
初詣だって、神社に行く人もいれば、お寺に行く人もいる。
結婚式は教会のような雰囲気の式場で、キリスト教っぽいテイストのものをする。

そんなに信者がいるわけでもなく、影響力があるわけでもない宗教に、莫大な金額を使って、2000年も再建し続けている建物って世界に他にあるんだろうか。

それでも、日本人の精神性のルーツみたいなものがあるのだろう。
2000年先まで継続して保存し続けた、建築の形があるのだろう。

確かに伊勢神宮ほど透明感のある洗練された建築空間は存在しない。

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長くなったけれど、透明感のある家の話だった。
移籍して新しい会社で、透明感のある美しい家を作りたいなと思う。

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