丸ノコ定規スンポーくんで仕事の速さと質を上げられるか[36歳の大工修行日誌]

36歳からの大工修行もかれこれ五ヶ月ほど経った。

おっさんになると、誰かがアドバイスしようにもなんとなく何かを言いづらくなっちまうのって、困ったもんだなーと思う。

やっぱり職人ってのは大変だ。つらい。
楽しいのは楽しいけれど、やっぱり難しい。

実際にやってみると、しみじみ思うけれど、36歳からいきなり大工になろうなんて少し無理がある気もする。
やっぱり20代からやらないと厳しい。

何が厳しいって、20代なら誰でもビシビシ言いやすい。厳しくもしやすいし、優しくもしやすい。36歳のおじさんは、この辺、厳しい。

何が一番大事かって、教えてもらう技術だと思う。
可愛がってもらって、アレコレ、ズバズバ言いやすい。
そういうのって、どんな仕事でも大事なスキルだと思う。

まあ、そんなの若くても下手な人は下手だし、年取っても上手い人は上手い。
わからないこと、教えてもらいたいことを素直に質問して、努力する。

最初から器用とかよりも、教えられるのが上手いってのは本当に大事だなと思う。

その辺りは年取ってから、全く違う世界に飛び込むのはやっかいだなと思う。

まあ、僕は割とかわいがってもらって、いろいろ教えてもらってるんだけど。

とはいえ、36歳からの大工だと、50歳くらいの人には教えてもらえるけど、30前後くらいの人は多分いろいろ言いづらいんだろうなと思う。
もうちょっとアホでイジりやすい人間にならないとなー、って思うんだけど、やっぱりそれも年取るごとに難しくなる。

やっぱりそういうのは若さの特権であって、36歳のおじさんが何かを始めるには工夫がいるんだろうなとしみじみ思う。

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とはいえ、36歳から始めるのに良いことだってあるはずだ。

全く違う種類の仕事や、考え方を知っているのが役に立つことも、多分ある。多分ね。

例えば、金で道具を買って何とかする作戦だ。

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最近、スンポーくんっていうアイテムが欲しい。
丸ノコの定規にスケール(巻き尺)がくっついてるだけなんだけど。
長さを測って書く、直角定規を当てる、丸鋸で切るっていう3つのアクションが一発で出来る。

これ、結構すごい。

まず速い。
例えばだけど、6畳の部屋の天井の下地を組むときには、30回くらいカットする。
単純にそれが3倍の速さってことだから、10本分の時間で終わる。

まあ、ベテランの上手い人は、何本かまとめてカットしても、ほぼ正確な長さで、フリーハンドでもほぼ直角で切れるけど、僕みたいな下手くそが真似すると、長さのバラつきが出る。

そして、誤差が少なくて済むし、定規だから直角だ。
寸法を測る、書く、丸ノコを当てる、この3アクションが分かれていると、三回誤差が重なる可能性がある。
しかし、1アクションでやれば誤差が出るリスクは一回で済む。

速さと正確性が上がる。
これはすごい。魔法のアイテムだ。

何とこれが二万円である。
ただのメジャー付き直角定規が二万円というと高い気がするけど、正しい寸法でまとめてカットする技術を身に付けるには、何年もかかる。
まあ、器用の人は速かったり、苦手な人はまとめて切るより、時間がいくらか掛かっても正確な寸法を狙うけど。

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正確に切るというのはすごく大事で仕上がりの美しさにも直結するし、次の仕事もやりやすくなる。

そもそもだけど。
なぜ仕事が速いのが良いのかと言えば、それで生まれる時間的余裕で正確で質の高い仕事を作るためだ。

速いけど雑ってのはいけない。
雑だと仕事の評価が下がって、単価が下がる。
そうなると、せっせと速くたくさん仕事をして、疲れるのに、収入は同じままだ。

それならゆっくり正確にやって、単価を下げない方が良い。

ただ、ゆっくりやったって正確になる、質が上がるとは限らない。

キビキビと速く正確にすることで、時間的余裕、精神的余裕が出来て仕事の質も、生活の質も上がる。

あくまで質を上げるために速くするという、目的を忘れると、安い単価で雑に使われて消耗していくだけだ。

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スンポーくん。
これは欲しい。

棟梁なら迷わず買う。日当じゃなく仕事量=お金だから。
修行の身分なので日当なので、ちょっと躊躇う。

ただ、修行時代から良いと思うものはどんどん取り入れて、速く正確にできるようにしとくのは、財産になる。
それに、速く仕事が出来れば独立も早くなる。

ただ、親方のやり方と違うことをあんまりやるのは考えものだ。
違うやり方をするやつは、かわいくない。
まあ、うちの親方は、そういうのは気にしない、むしろ、仕事を工夫しようとしているのを評価してくれる人なんだけど。

スンポーくん今夜あたりポチるか。

この辺りの考え方はやっぱり36歳からならではだろう。
二十代の若者みたいに時間はない。
頭と人生経験を駆使しないといけない。

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座右の銘じゃないけれど、何かをする時には、
「まあ、宇宙飛行士になれってわけじゃないし。普通の日本人が普通に出来る職業は何とかなるでしょ」
そんな風に考えるようにしている。

大人になるまでは、いろんな新しいことを覚える。
大人になると一つの職業をずっと続ける人が多い。(日本以外ではもう少し転職とかもあるんだろうけど)
大人になってから死ぬまでの方が遥かに時間が長いのに。

36歳はおっさんとは言ったって、60歳の定年までで言えば、まだ半分も来ていない。あと24年もある。何なら健康寿命も伸びているから、80歳くらいまで働くかもしれない。

そう考えると40歳くらいまではいろんなことをしたって自然な気もする。なんなら50歳くらいまでは。むしろ、死ぬまで何をしたって自由なはずだ。

そもそも60歳まで一つの職業をし続けて、突然に「何も仕事をしない老後」が来るのは、人生として、実にクライシスな気もする。
そりゃ、いくらなんでもハードルが高過ぎる。
古代ギリシャ人だって、暇をいかに有意義に過ごすか、学問や芸術という訓練を積んだのだから。
一つの仕事をモクモク続けて、いきなり老後の無職を上手くこなすなんてのは、無理がある。
無職だって、生きる上での仕事とも言える。

そんなの屁理屈か。

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二万円の魔法の定規を買うくらい、屁理屈こねてうだうだ悩んで、ポンと買えば良いのに。
まあ、これが今の自分の実力ってことだろう。
まあ、もう少し悩んでポチろう。
ポチる勇気。
この前の二段の脚立もかなり仕事効率上がったし。今回もパワーアップできるだろう。

一人前の大工への道は長い。

そんなこんな。

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