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祓い清めとは何だろうと考えていて

ふと、祓い清めとは何だろうと考えていて、
改めて、刀剣の持つ力について考えてみました。

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刀剣には祓い清めの力はあるか?と聞かれれば、確かにそれはあります。

そういう使い方をすることもできます。

が、何だか少ししっくり来ない感じがあるのです。

それは何だか、"正しさ"とは何か?という問いにも似ている氣がします。

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"正しさ"というのは、人がそれぞれに持っていて、時としてぶつかる原因となってしまいます。

でもそれは、その正しさが、小さい意味での正しさだからです。

元来の正しさは理そのものの中にあります。

理は正しくないということがない。

正しくしかない。

人間の言う
正しいか間違っているか?
善か悪か?
などは関係なく、
理は仕組みそのものであり、
一なるこの世界そのものであり、
正しからざるを得ないのです。

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私にとって宝剣と呼ぶことのできる刀剣がその力を発揮する時、
それは人間にとっての"正しさ"に基づいて発揮されるのではなく、
理と共に動き、発露します。

そしてそれは、理としての調和に向かいます。

なので、そこまで踏まえた上での祓い清めというのはあり得ますが、
ただ普通に「何かを祓い清める」と言う時、
必ずしもそこまでの意味合いを含んでいるのは感じられないため、
ちょっとしっくり来ない感じがあったのだということに気付きました。


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