真冬×プール×noteの可能性

タイトルのセンスが絶望的過ぎて早くも没にしたくなるが、ここは一つ気張っていこう。

さて、真冬のプール。
水が抜かれ、底には落ちた葉がぱらぱらと散らばっている。青く葉を茂らせていた木々は見る影もなく、BGMもセミの求愛からひゅんと切るような風の音に変わっていることだろう。
あるべき姿とはほど遠い、どこか哀愁の漂う情景だ。

私は一度見たことがある。
高校二年の頃、知り合いに付き合って真冬にプール掃除をしたときだ。

身を切るような寒さに身を縮ませながら落ち葉を掃き集める。
先の見えない作業にうんざりとしながらゴミを拾う。
流石にプール底は掃除を断念した。寒すぎるだろうし寒すぎたからだ。

大人になってから──厳密に言えば高校を出て社会人となってから、プールやグラウンドといった日常風景は一変した。
プールは行かなきゃ見られない。グラウンドも普通は無縁だ。
無機質だと思っていたコンクリートの校舎も、今思うと会社の変わらない風景と比べてしまえば幾らか惜しいと思うから人間とは都合がいい。

やり残したことはないの?

たまに聞かれることがある。
無いとは言えない。勉強も部活も、遊びや悪さも、時には恋や悩みも、私は何一つ満足出来たとは思えない。
しかし、足りないだらけだからこそ懐かしむときの情景に美しいバイアスがかかるのだろうか、という考えもある。

今やりたいことは?

自問自答に終わりはない。
誰のためでもない、自分のために生きる人生を歩めるといいな、と思った。

仕事辞めたい?

辞めたい。

これもまた、人生なのかなと頭を抱えるが、取りあえず今日も一日生きてみようと思う。

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