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それぞれの地獄

毎日、白い紙に黒いペンで絵を描く。
0.03、0.05、0.1、0.3、0.5、1.0…線の太さを間違えれば不細工になる、と思いながら使い分けて描いていく。まっさらだった白い紙に絵を描いて、「わたしが描かなければこれはただの白い紙だった」という罪悪感にも似た達成感を楽しむことで、見たくないところや苦手な場所から逃げている。毎日毎日。
何も思いつかない時は生きてる価値もわからなくなるし、わたしはまだ絵が全然上手くない。性格はここに出るんだと痛感する粗雑さ、物の知らなさ、解像度の低さ、引き出しの少なさ。その日暮らしのアイデアで続いている。
影が下手だ。きっと影のことなんてわたしは何も理解出来ていない。影さえ上手ければもっとマシになるかもしれないし、気が遠くなるほどの影をつけている間は途方に暮れる時もある。
だったら黒い紙に白いペンで書けば良いのでは?そしたら楽にわたしだけのセンスが手に入るのではないか。苦しかったので、楽をしようと思った。
しかし、黒い紙に白いペンで絵を描けば、黒には黒なりの白い線で描かれる影があった。その影がないのなら、ただの単調で下手くそな落書きだった。黒い紙だったら楽になれるなんてことは、今の状況から逃げ出して他へ行って楽になれるなんてことは一切なかった。わたしは今ひとりで生きているけれど、家族がいるからといって苦しみがないわけではないのと同じで、わたしは人生でいちいち「それぞれの地獄」を痛感する。今わたしより絵が上手い人達になんの苦労もないはずがない。一つ地獄が終わればまた次の地獄がすぐに始まる。
何故「それぞれの天国」という発想には至らないのか。それはきっと、幸せだったら周りのことなんか特に気にならないからだ。自分が幸せな時は周りまで幸せそうに見えてくる。自己中で想像力がない、舞い上がるというのはそういうことで、調子に乗るのもそういうことだ。
今のわたしには舞い上がるようなこともない、小さい嬉しいことは確かにあるけれど私の絶対に掴みたいものではないし、それで満たされることもない、やたらに暗い気持ちと焦りが押し寄せて、現実がクリア過ぎる。だからここは別に天国ではない。
それでも地獄からなんとか抜け出してみたい、どうせまた新たな地獄が始まるとしても、せめて新しい苦しみに進みたい、今の底辺の地獄を終わらせたい。今の地獄を抜け出すために毎日絵を描いている。「頑張っていればきっとどこかに手が届く」という信用ならない信条に強迫されて、底があるか分からない沼に沈む。

早くちょうちょになりたい