マンネリ

「社会人になり、仲良しグループの会話にマンネリを感じています。」|編集長がこたえます

大きな声では言いづらいちょっとした悩みや、あえて近い存在のひとには話しにくい悩みは誰にでもあるもの…。

この連載では、みなさまから匿名で募集したお悩みに、NEXTWEEKEND編集長 村上萌が答えていきます。

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今日のお悩みは、「社会人になり、仲良しグループの会話にマンネリを感じています」

昔からの友達との会話が合わなくなってしまう時期って、それぞれが別々に進んでいく以上必ずあると思います。
私もそうでした。

特に20代前半は妙に生き急いでしまっていて「知らないことをもっと知りたい、頑張りたい、立ち止まっちゃだめ、もっと、もっと…」と、とにかくいつも現状の自分に満足できず焦っていたので、いわゆる"いつメン"みたいな集まりを露骨に避けてしまっていた時がありました。

今はもっとやらなくちゃいけないことがあるのに、いつも同じ会話ばかりしているお馴染みのメンバーの集まりに行くと、何かの機会を逃してしまう、くらいに思っていたような気もします。
(今思うと、なんて失礼な…。)

一旦そんな風に思うようになると、みんなの会話がマンネリに感じて、客観的になってしまうこともしばしば。
ただ、相談者さんが今そう感じていることを全員が感じている訳ではないと思います。

おそらく、相談者さんは少しずつ社会の中で出会う人が変わって、環境が変わり、そして自分自身も変わってきている途中なんだと思います。

昔なにかの歌詞で、電車と並走している車が、同じスピードで走っている時は車から電車の中の人の顔までよく見えるけど、一度信号や駅にぶつかってどちらかが止まってしまうと途端に何も見えなくなって、気付くと先へ行ってしまったり、もしくは自分が先へ行ってしまったりする、そんなことを恋愛に例えたフレーズがありました。

友人との関係も同じかもしれません。
学生時代のように、みんなで同じ授業をとって、ランチを食べて、バイトをしたり部活やサークルに打ち込んだり…。
同じような選択肢と同じような悩みの中で進んでいた時期は、同じ温度で会話ができたけど、今は目の前にある選択肢も悩みも違うのだから、話がすれ違ってしまうのは当然といえば当然。

ただ、そんなことを経て今私が思うのは、社会に出る前の子供のような自分を知っていてくれる人の存在は重要です。
後から出会うことはできません。

私の場合、子どもを産んでから、昔の友達と連絡を取ることがぐっと増え、改めてありがたみを感じています。
同じように同世代の子供を持つ旧友たちに色んなことを教えてもらいながら、昔のように楽しく会話ができて、肩肘張らなくて済む関係にとても感謝しています。

先ほどの電車と車のたとえ話も、一度距離ができても、その後どこかで同じ道を走れば、また中の景色がちゃんと見えることだってあると思います。
そうやって、別の道を曲がったり並走したり、追い越したり立ち止まったりをしながら、お互い走っていけばいいんだと思います。

今は無理に合わせる必要もないので、どこかでちゃんと関係を大切にしながら、進み出したばかりのそれぞれの生活を楽しんでみてくださいね。