恋のペネトレート episode 2.7
大事な試合を直前に控え、キングの心は落ち着かなかった
ウォーミングアップをほとんど終えてベンチに座り、ほとんど習慣で眼を瞑った
深くゆっくり呼吸を繰り返すいつもの方法で心を整えようとしたが、右肩の良くない違和感が消えず集中できない
その時なぜか、今シーズン欠場していた時に出会った男性のことを、ふいに思い出した
その男性と出会ったのはリハビリから帰る途中に立ち寄ったとあるカフェ
どこかしら厳かな雰囲気を感じ店のドアを開けた
店内に客は初老の男性がひとり、奥のカウンターで左手でカップをつまみながらコーヒーを飲んでいた
キングは入り口に近い席に座り、左手でメニューを開いた
コーヒーを飲み終えた男性は立ち上がり、思いのほか背丈が大きいことにキングは少し驚いた
男性は片足を引きずりながらおぼつかない足取りでレジへ向かった
キングの横を過ぎようとしたその時、テーブルの脚につまづき床に崩れそうになった
キングは咄嗟に右手をのばし、倒れかかった男性の腕を掴む
痛みで思わず顔を歪めたが、男性は転ぶことなく床に手をついた
「おおすまんね若いの」
男性は膝に手をつき床から立ち上がりながら言った
「ん、あんたどこかで見たことある顔だな。」
「そうかい、じいさん、足は大丈夫かよ」
「ああ、古傷でな、君こそどこかケガしてんのかい」
よく見てんなと思いつつも、わざわざ現況を話し込む気にはなれず、適当に会話を流そうとした
しかし、男性の顔にどこかで懐かしさを感じ、頭のなかで顔と名前を検索した
数秒で正解は導き出せず、そうこうしている間に男性はキングの向かいに座ってきた
「すまんすまん、薬を飲み忘れておったわ、水を1杯もらえるかい?」
「なぁに、心臓がちと悪くてな。」
キングは左手をあげて店員を呼ぶと、男性の水と自分の昼食をオーダーした
「じいさん、名前は?」
「んー、そうさね、まぁみんなからはキャプテンと呼ばれとる」
「なんだいそりゃ、船にでも乗ってんのかい」
まぁそんなところだ、と男性は笑った
水を飲み、カラフルな錠剤を3つほど喉に流し込んだ男性は、ふぅっと息を吐いたあと、真っ直ぐにキングの顔を見た
少しとまどったが、穏やかな、なぜか心地の良さを感じたキングは、ゆっくり口を開いた
自分が、とあるアスリートであること
今はケガのため競技から離れていること
今チームが苦境にあること
男性は何も言わずに静かにキングの言葉を受け止めた
「なるほど、な。今の、キャプテンは誰だ?今のキャプテンは」
キャプテン?エースはあいつだけど、キャプテン・・・?
「なんだ、おらんのかい、お前さんのチームには」
キングは答えられなかった
「若いの、キャプテンってのは何だと思う?」
エースとは違うのかよ、と思ったが、男性の真っ直ぐな視線に驚き、口には出せなかった
「キャプテンとは、チームの火だ。」
火?
「タフショットを決める、相手のエースを止める、そうやってチームに火をつけ、大きくするやつもおる」
キングは黙って男性の言葉を聞いた
「それもひとつの形だとは思う。ただ」
「それはプレイの結果じゃ。結果が伴わなければ、火はつかず負ける。」
「持論じゃが、過程や姿勢で火をつけるスタイルこそ、ここに合ったスタイルだと、わしは思う。」
ケガをおしてプレイするような時代ではなくなってきている
それでも、コートに立つことでしか表現できないものはある
おまえさんもそこは分かっておるじゃろ?だから去年の試合も、本調子じゃなくても出たんじゃろ、と男性は笑った
オレのことよく知ってるじゃねーかよ、と思ったがキングは何も言わなかった
ここでキングは目を開いた
あの日以来、あの店を訪ねても男性に再び会うことはなかった
ただ、いつもどこかで見守られているような、そんな不思議な感覚を覚えていた
その時、ガーデンの上の方からあの男性の声が聞こえた気がした
視線を上げるとその方向には数々のユニフォームが並んでいた
そのなかで19番のユニフォームだけが静かに揺れていた
コートに視線を戻し、キングは右肩の痛みが消えていることに気がついた
「さぁ集合だ!」
ヘッドコーチの声がコートに響き、キングは円陣の中心に向かって走った。
[Fin.]