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30年前の出来事(1995年1月17日)

1995年1月17日。それは結婚した翌1月、29歳になる前日でした。

余談ですが、結婚式は1994年5月21日なので今在籍している会社の創業直後になります。昔は今の様に入籍、結婚式、新婚旅行がいろんなタイミングという感じではなく、5月21日結婚式、5月22日~6月3日までヨーロッパ新婚旅行(12泊13日)、6月5日入籍でした。成田離婚というワードが流行っていたので、入籍は新婚旅行から帰ってきてから、それと12泊13日という無謀な休暇も許されたのはバブル崩壊直後で仕事も暇だったからでしょうね。

話は戻りますが、1995年1月17日 朝6時前、それは大きな揺れで目が覚めました。

当時在籍していた会社の小さな社宅の寝室のタンスが倒れないように慌てて押さえた記憶があります。カミさんのお腹に妊娠4か月の赤ちゃんがいたので、それをかばう気持ちもあったと思います。

台所に行くと、いくつかものが落ちていましたが比較的マシな状態(後で聞くと同じ社宅でも、食器棚の向きによってはコップ、皿が全滅の家庭もあったようです)。

テレビをつけるとなんだか地震が起こったみたいで大変だなぁと思いながら、仕事に出かけました。

当時はまだ、システムエンジニアをやっていて、産業廃棄物処理会社のシステム開発に参画、その中でもコアで難しいプログラム、配車管理システムを開発していました。

そのプログラムがようやく出来上がったので、その受入テスト準備のため、3.5インチのフロッピーディスクに格納して大阪の客先へリリースしに行く予定でした。

ところが、駅まで歩いていくと電車が動いておらず、仕方ないので、近くの自社のオフィスに出社しました。

オフィスは工場の中にあったのですが、ひとつの煙突が折れていました。

事務所はモニターや書類が散乱しているところが随所にありました。

昼休み、工場の食堂はやっていなかったので、餃子の王将に同僚と一緒に食べに出かけました。その時、テレビのニュースを見る中で、初めて神戸、三宮が本当に大変なことになっているということが分かりました。

当日は、オフィスの整理だけして帰宅、自宅でテレビを見る中で、徐々に明るみになる大災害の現実。一方、僅か40キロ離れているだけで、自分が普通に生活ができているという現実。テレビの向こうの崩壊した見慣れた街は、まるで映画を観ているようでした。

それが1995年1月17日の私の一日でした。

その後、プロジェクトが1か月ストップしましたが、産業廃棄物業界の仕事が急に忙しくなり、4月1日本番は変わらず、終盤は大阪南部の処理場に詰め、3月31日からほぼテストしながら本番という稼働を迎えることになりました。

実は4月1日にカミさんと出産前最後の小豆島旅行をずいぶん前から計画しており、当時の上司に前日夜に打ち明けたら、「何してるんだ、すぐに帰れ!!」と言われ、車を飛ばして朝方に家に帰り、そのままカミさんを乗せて小豆島に行ったことも書いていて思い出しました。当時の上司にほんとに感謝しています。

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