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9/11のTVstationが凄かったから一旦まとめる

ジェシーの脚が長すぎた故のハプニングに見舞われた『TVstation19号』を買ってみた。取材裏話の面白さで手に取ったものの、巻頭は菊池風磨のグラビアだったし、490円にお釣りが出るなと思いながらページを捲る。ジェシーのページは3ページで、相変わらず綺麗な人だなと感心しながらインタビューにも目を通すと、ある一文が目に飛び込んできた。

「何か、自分の中には"全部"が入ってる感じなんだよね」 (TVstation 19号 p.122)

……え待って、言葉を使うのが苦手なジェシーってインタビューの時似た表現を繰り返すのに、なんかこれ初出の表現じゃない!?
ざっくり文脈を説明すると、「冷え性なのに汗っかき、おしゃべりなのにシャイ、身長は大きいのに耳と手が小さい、アメリカと日本にルーツがあること」から彼が感じていること、らしい。詳しいニュアンスは是非雑誌で確認してみてほしい。これ、普段彼が「ギャップ」とかいうざっくりとした表現で括ってる部分についてだよね?というかこの雑誌でも「まあそれも、ギャップっていうことかな(笑)」と締めくくってるんだけど。ジェシーさんが自分自身について新しい表現をしている……、とかなり衝撃を受けました。あれこれ、『音楽と人』だっけ?ってなったよね。「自分の中には"全部"が入ってる」…………、え、大正解じゃん。

ジェシーさんが自分自身について語っている文章で、印象深い直近の雑誌は正に『音楽と人2024 8月号』だ。

「SixTONESのジェシーだっていつもの自分と違うから、その時点で自然じゃないのに、そんな自分がドラマの中で、さらに自然なキャラクターを演じなきゃいけない。これはなかなか難しい。だから完成したら面白いんだけどね。誰これ?って思えるから(笑)」(『音楽と人2024 8月号』p.135)
「だって自分がどんなやつかもまだわからないから。どこにハマるかも分からない。ずっとそうだったよ。人の顔色を見て、どういう自分でいいか考えるタイプだったから。」(同誌 p.136)

インタビュアーさんの腕なのか、『音楽と人』のインタビューだとジェシーのシャイで真面目な部分を引き出してくれるので、ほんのり薄暗くて湿り気のある内容になっている。これを読んだ時、ああこの人は、自分自身のことをよく分からないと思ってパフォーマンスをしているのか……、と妙に納得したことを覚えている。
ジェシーのパフォーマンスのキーワードの一つに、「変幻自在」があると思う。多彩な声色の使い分けや自由なアレンジ、激しくセクシーな煽りと柔らかな祈るような表情、ジェシーは多種多様な魅力をその場その場に合わせて自由に使い分ける。ジェシーはそれをよく「ギャップ」と表現していて、パフォーマンスパフォーマンスに幅がある自体についてはその表現で正しいと思う。しかし、よく「ギャップがある」と表現する場合、例えば「厳つい男の人だが甘いものが好き」といった、「厳つい男の人」に「だが」に続いて「甘いものが好き」と「厳つい男の人」から離れた表現を入れるのが一般的だ。これをジェシーに当てはめてみよう。「歌とダンスが上手くて迫力のあるパフォーマンスをするのに、ふざけるのが好きでボケたがり」「大胆でオーラがあるのに、緊張しいで繊細」「184cmの長身でモデルばりスタイルで筋肉もあるけど、大きい音に敏感でビビり」エトセトラ。でもジェシーに関しては、ひっくり返しても正解なんじゃないかなとも思っている。「ふざけるのが好きでボケたがりだけど、歌とダンスが上手くて迫力のあるパフォーマンスをする」「緊張しいで繊細だけど、大胆でオーラがある」「大きい音に敏感でビビりだけど、184cmの長身でモデルばりのスタイルで筋肉ムキムキ」……。緊張しいで繊細な部分はテレビではあまり出てこないけど、雑誌ではよく見る表現だと思う。それにジェシー最大のギャップである、「カッコイイパフォーマンスとボケたがりのキャラクター」だが、どちらが「○○だけど××」の「○○」で、どちらが「××」なのか、明確に決めることは難しい。なぜなら、どちらも等しく「ジェシー」であるからだ。カッコ良さと面白さ、セクシーさと可愛さ、大胆さと繊細さ、裏表ともいえる性質が、ジェシーの中では常に対等に存在している。これは、彼が自分自身のことを「分からない」と感じているからこそ成立しているのだろう。これについて、人間内面を様々な絵の具を落とした抽象画に例えて説明したい。
絵の具同士が混ざり合ったグラーデーションには、色を取りだして名前をつけることはできても、隣合う些細な揺らぎまで説明し尽くすことは出来ない。しかし、言語化に慣れていると、完璧に説明しきれなくともそれなりに伝わるように色を整理し、定義付けを行える。自分を説明することを求められる芸能界において、セルフプロデュースが上手い人はこの言語化と定義付けが正確なのだろう。しかし、ジェシーはその真逆だ。彼は定義付けできない微妙な色合いをそのまま放置し、定義付けをしないでいる。だからこそ、様々な色のスポットライトが揺らめきながら重なり合って、白く強く輝くようなジェシーのパフォーマンスが見れるのだなあと思う。

話は脇道に逸れるが、この「分からない」というのもジェシーらしいな、と私は感じている。思うに、「分かる」ということは「自分なりに言語化する」ということで、ここにはやはり、ジェシーの日本語の下手さが関係してくる。踏み込んだ推測になってしまうが、説明するまでもなく、ジェシーはアメリカと日本の2つのルーツを持っており、幼少期から2つの言語に触れている。北斗の英語の自己紹介を聞いて咄嗟に翻訳できず「Pardon?」と返している所や、せかくらで英語と日本語をシームレスに喋っている姿を見ていると、言葉の捉え方が幼少期から日本語のみの私とは違っているのだと感じられる。ジェシーを見ていれば度々感じるとは思うが、英語を支障なく理解出来ることと、英語を日本語に翻訳できることは全く違う技能である。AppleをAppleのまま理解出来る人は、「Apple=りんご」と覚える必要がないからだ。私はこの世界を完全に日本語で理解しているが、ジェシーの頭の中は一体どうなっているんだろう……といつも気になってしまう。そして、そんな彼のすぐ傍らにいたのが「音楽」というのが、運命であり必然なのだろう。音楽は非言語的な表現方法の一つであり、言語に縛られず感情や内面を表現することができる。ジェシーに対して、言語的な思考が得意なタイプではないと推測しているのだが、ジェシー内面は、おそらくとても豊かだと思う。それは、非言語的な思考がとても深いからではなかろうか。私はむしろ、言語化が難しい音楽などのコンテンツに苦手意識があるので、ジェシーのこの「才能」がとても羨ましく感じられる。本当に、この人には世界がどう見えているんだろうな……。閑話休題。

とにかく! この! 自分を「分からない」と評したジェシーが、今回は「自分の中には"全部"が入っている」と表現を変えたのだ。インタビューでの言葉がワンパターンになりがちなジェシーが。これは私的ビッグニュースである。こんなペラッペラの紙で読んで良いんですか……!?  分からない、と理解を諦めるのではなく、「"全部"が入っている」とそこにあるものを認識し始めたのである。これはビッグニュースじゃないですか(2回目)。
「"全部"が入っている」すごくいい表現だと思う。ジェシーは太陽であり月で、光であり影で、特別だけど平凡で、温もりと冷たさがある。ジェシーには全部が入っている。本当にそうだよ。この言葉を使おうと思ったジェシー、引き出してくれたインタビュアーさん、本当にありがとう。
そして、だからこそ、私は「ジェシー×演技仕事」を楽しみにしてしまうのだと思う。演技は数ある表現方法の中でも、「役」としてなにかしらで定義付けがされ、縛られる。私は既に、「SixTONESのジェシー」として自らを定義し、圧倒的なスキルでステージを制する姿を知っている。求められる「役」を演じ切るジェシーの姿、見たいな〜〜〜。というか星野明に出会わせてくれたし……。それに、演技を通して新しい自分と向き合っている様子も勝手ながら見ていてワクワクするし。セリフ覚えが苦手ながらも積極的に仕事を受け続けてくれて、本当にファンとしてはありがたい限りです。
東大卒エリート弁護士はさすがにビビったけど、一クール分のドラマを走りきるジェシーのことが楽しみになりました!  また音楽と人とかで取材を受けてください!待ってます!

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