同じ未来を見つめる伴走者たちの素顔|vol.5
「ローカルに軸をおいて、100年続く会社にしていきたい」
NCL西条(愛媛県・西条市)/Local Productionプロジェクト パートナー
玉井大蔵さん(株式会社りんね代表取締役)
《PROFILE》
Daizou Tamai●1978年愛媛県生まれ。西条市丹原地区出身。大学卒業後、三菱電機株式会社に入社。27歳の時に石川県・金沢市からUターンし、一度は実家の農機販売店を継いだが、31歳でパン豆ひなのや(株式会社りんね)を立ち上げ、パン豆(ぽん菓子)の製造・販売に専念することに。現在、国内35都道府県、国外では上海、香港で商品を展開。商品のぽん菓子が外資系高級リゾートホテル「アマン東京」のルームアメニティとして採用されるなど、着実に販売規模を拡大している。カラーミーショップ2017「にっぽん文化奨励賞」獲得。直営店として、西条市にある「ひなのや壬生川(にゅうがわ)駅前店」のほかに、「ひなのや松山三番町店」を2018年10月にオープン。■パン豆ひなのや ⇒ http://hinanoya.co.jp/
地域に必要なのは、編集やデザインのチカラ
NCL西条がラボメンバーを募集しているプロジェクトの1つに「Local Production」があります。プロジェクト紹介のWEBページにある求める人材の欄に記されているのは、「編集者/ディレクター」。肩書きだけで見てしまうと、書物やWEB、映像といった何かしらのメディアを介して情報発信していくの?と思いがちですが、ここではもっと“編集”を広義にとらえることが必要とされているようです。
このプロジェクトのリーダーに求められているのは、「編集力」または「デザイン力」ともいえるかもしれません。集めて、編み出す、デザインするのは、なにも情報だけではありません。地域に眠っている可能性を秘めた資源であり、大きな魅力となるもの。アウトプットの仕方も、メディアに限らず、プロダクトだったり、イベントだったり、アイデアしだいで無限に広がります。
愛媛県西条市にも“編集”の力を発揮して、国内外で人気のプロダクトを生み出している注目の人物がいます。パン豆ひなのや(株式会社りんね)の代表で、Local Productionプロジェクトのパートナーでもある玉井大蔵さんです。彼が手がけるのは、お米と砂糖から作られる、ポン菓子。日本人なら親しみ深く、駄菓子店やお祭りなどで口にした人も多いのではないでしょうか。西条市がある愛媛県東予地方では、ポン菓子のことを「パン豆」と呼び、「元気に豆に暮らせるように」という願いをこめて、昔から婚礼の引き出物として贈る風習があるんだそう。この地域ならではの伝統文化であり、生活に溶け込んだお菓子だといいます。
「小さい頃から実家のどこかに転がっていましたよ。結婚式でもらってきたパン豆が」と笑う玉井さん。昔は結婚式の件数も多かったため、引き出物でもらったポン菓子が必ずといっていいほど家にあったというのは、西条や新居浜といった東予地方ではあるある話なんだとか。では、さぞかし子どもの頃からポン菓子が好きだったのだろうと聞いてみたところ「いや、それほどでも…」と意外な答えが返ってきました。
「ポン菓子を売りはじめたころは、『自分でわざわざ買うものじゃないのに、そんなの商売にならないだろう』とけっこう言われましたね」
玉井さん自身も半信半疑ではじめたというポン菓子の製造・販売。当初は奥様と二人三脚からスタートし、創業8年目となる2018年時点では、総勢20名弱のスタッフで切り盛りするほどに。商品の販売は、ひなのや直営店とオンラインショップのほか、食料品店やセレクトショップを中心に全国35都道府県で展開。上海に続き、今年からは香港でも取り扱いがはじまり、好評なんだそう。ポン菓子という商品の底力を感じずにはいられないといいます。
「ポン菓子自体は、日本中誰でも一度は食べたことがあるもの。意外と海外でも知られているお菓子なんですよね。食べたことがある、ある程度知っているというのは、商品展開していくうえで、実はすごく強みにもなるんです。老若男女に受け入れられますし、和洋問わず、ハイエンドやローエンドといったことも問いません。提案の仕方しだいで、どこにでもいける可能性があるなと実感していますね」
行き詰って、ようやく見つけた突破口
金沢の大学を卒業後、大手電機メーカーに就職をした玉井さん。実家は農機販売店を営んでおり、「長男なのでいつかは継ぐのかなと、ぼんやりとした意識は常にあった」と話します。会社を辞めてUターンをしたのは、27歳の時でした。いざ家業を継いでみると、農家の高齢化や経営難など深刻な問題に直面するばかり。農機販売店の経営そのものに不安が募っていったといいます。
「機械の販売に行くたびに、みんな口を揃えて『お米がとっても安いから、機械なんて買えないよ』と言うんです。どこへ行っても逃げ口上が決まりきっていて、それをどうにかしたかった。景気が悪い、政治が悪いみたいなネガティブな発言をして、みんな笑って終わるみたいな風潮があったんですけど、それが嫌だったんですよね」
それでも、農業の活性を望んでいた玉井さん。6次産業化で新しい活路を切り拓いていこうという思いから、まずは地域の特産であるお米を使った加工品づくりに挑戦したんだそうです。
「最初は、おむすびやお餅をつくって、近くの産直市場で販売させてもらったんですけど。それまで食品加工の経験は一切ありませんから、なかなかクオリティも出せない。生ものだからその日のうちに売れないとすぐ廃棄しなければならないんですね。これはなかなか厳しいなと先行きが不安になりました」
そんな行き詰まりを感じていた時に、道をひらいたのがポン菓子機の存在。お米を使った加工ビジネスをはじめるにあたり、炊飯器や餅つき機と一緒に知人のすすめで入手していたものでした。
「ポン菓子機を使って商品にして売ってみたら、意外や意外、自分が思っていた以上に売れたんですよ。日持ちもするので、その日に売り切れなくてもロスがそれほどありませんし」
ついに、ポン菓子という魅力ある商材を見出した玉井さん。それからは、このビジネスに全力で突き進んでいくことになります。
これぞ玉井さんの編集力のたまもの!
ひなのやのパン豆は、季節限定のフレーバーなどを含めて、常時7種類ほどの味が楽しめるのも魅力です。玄米きび砂糖、伊予柑、キャラメルナッツ…、どれを選ぼうかと迷ってしまうほど。そんなワクワク感をかき立ててくれるのは、フレーバーごとに色分けされた商品パッケージにも秘密があるようです。そして、これこそが玉井さんのセンスが光る編集力のたまものともいえるでしょう。
「最初の頃は、ちょっとおしゃれめなクラフト紙と透明の袋が二層になったような既製の袋に詰めるくらいでした。でも、いざ売れはじめると面白くなっていって、味付けのバリエーションを増やしたり、オリジナルのパッケージデザインを工夫したりしていったんです」
現在の商品ラベルは、地元の女性デザイナーと一緒に生み出したものなんだそう。ラベルには、“Local Sweets”と謳い、お米と二羽の雀が描かれたのどかな雰囲気のイラストが入り、どこか懐かしさを感じさせるデザインでまとめられています。何かパッケージデザインを考えるときに意識していることはあるのでしょうか?
「あんまりかっこよくしすぎないこと。かっこいいとか、スマートなデザインはある種、都会のほうが得意なジャンルだろうと思っていまして。田舎ならではみたいなところを表現していくのも大事だろうなという狙いはあります」
2010年秋にひなのやという屋号を掲げ、現在の商品パッケージに変えて4カ月が経った頃にうれしい反響が。香川県高松市にあるセレクトショップ「まちのシューレ」からパン豆を取り扱いたいとの連絡がやってきたそうです。
「バイヤーさんが西条市内にある『食の創造館』という第三セクター施設で、うちの商品を発見してくれたそうでして。あのラベルを貼った新しいパッケージだったのが大きかったというのは正直ありましたよね。以前のように、屋号もなし、ラベルもない、ただ袋に商品が入っているのでは、見つけていただけなかったと思います」
それからというもの、多くの人たちを惹きつけるパッケージデザインと親しみあるポン菓子の商品力で次々と注目を集め、自然と販路は拡大していったんだそう。ところで、「ひなのや」という屋号にはどんな意味が込められているのでしょうか?
「“ひなび”という日本語が語源となっています。都会の美しさを表現するのは“みやび”で、田舎の美しさを表現するのは“ひなび”というんだと人から教えてもらって。うちは、田舎ならではの良さとか美しさをお伝えしていくお店だなと思っていたので、『ひなのや』にしました」
ひなのやの未来、西条の未来
Local Productionプロジェクトでは、玉井さんのようなプレイヤーを増やしていきたいのでしょうか?ラボメンバーは具体的にどんなことをするのか聞いてみました。
「僕は、地元にある素材を見つけて、編集して、それをモノとして売って対価をもらうというビジネスをしていて、これが得意なことではあります。でも、このプロジェクトで実現できる事業展開はそれだけではないと思うんです。モノじゃないモノってあるじゃないですか。たとえば、システムとか、サービスでもいいですし」
何を資源とするのか、それをどのように編集して、世の中に発信していくのかは、これからやってくる挑戦者のアイデアとセンスしだい。ラボメンバーにはどんな人を求めているのでしょうか?
「ローカルプロダクションは僕のシナリオに合う人を募集するという話ではありません。ラボメンバーがシナリオを持っていて、「基本的なあらすじはいいんだけど、この切り口をみせたほうがもっとよくなると思うよ」みたいな意見やアドバイスをしてあげることが、パートナーとしての僕の役割だと思っているので。前向きに建設的な活動ができる人。それから、できない理由を考えない人が来てくれるといいですね」
玉井さんが西条市の未来を考えたときに、少し物足りないものがあるといいます。
「穏やかな風土や環境はとても素晴らしいと思うんですけど、個性のある活動をする人たちが少ないように感じています。文化的な活動でもいいかもしれないんですけど、個性的なエッセンスが入ってきたら、もっと面白くなるんじゃないですかね」
では、ひなのやとしての展望は?
「100年続く会社にしていきたいと今年になってから思うようになりました。地域に軸足をおいて、社会やお客様、家族、従業員に対してもきちんと責任をもって邁進していこうと。それには、100年くらいのイメージを描かなくてはならないなと考えたんですよね」
売上規模だけを追求するのではないところに、玉井さんのベクトルはあるようです。
「人口約10万人の西条市。このローカルに軸をおいて、100年くらいのスパンでイメージして、日本各地や世界へと飛び出していく会社がたとえば10軒でもあれば、わりと面白い街になるのではないでしょうか。金沢であったり、松本であったり、個性があって面白いといわれる街には、そういう会社が多いんじゃないかな。まずはそこからはじめようかと思っています」
玉井さんがこの取材に協力してくれたのは折しも、松山市内に「ひなのや松山三番町店」を立ち上げた数週間後。お店にかかりっきりで息つく暇もなさそうな様子でしたが、「仕事楽しいですよ。24時間働ける気がします(笑)」と最後にポツリ。この言葉に、ローカルで挑戦し続ける、彼の覚悟が垣間見れたような気がしました。
→募集中のプロジェクトはこちらhttp://project.nextcommonslab.jp/project/local-production/
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