お詫びになっていない文に対する違和感
多くの人も記事「cakes一連の件についてのお詫び」を批判しているが、この強烈な違和感の正体は一体何なのか。ひとつのツイートが見事に言い表してくれていた。
悪口を言わないと宣言することで生じたことは、強制である。何も事件が起きていない段階でその宣言をするのであれば、想像力が欠如していることを示しているだけである。しかし、一人の作家の創作活動を全力で否定した後で、悪口を言わないという形で強制力を誇示することは独善である。その独善レベルは、菅政権が日本学術会議の6名の任命拒否をしたのと同様に、大いに萎縮効果を生み出すだろう。日本学術会議に選別されるほどの学者なら、任命拒否されると更にファイティングポーズを強められる契機を得ることで喜んじゃうだろうが、ブログを書く多くの人々はそうではなく、萎縮することになる。加藤貞顕氏はその宣言により、プラットフォームビジネスも展開する運営者として、自らのサービスの信頼性を貶めた。
違和感を持った2点目は、謝罪対象者と謝罪内容が明記されていないことである。不特定多数の人に対して誤っているかのような文面になっており、何が何でも謝罪対象者に謝罪したくない態度が黙字的に示されている。cakesの記事にて謝罪対象者と内容が明記されているにも関わらず、何故その後の段階の記事にて明記しないのか。明記することで加藤貞顕氏は何を失うと言うのだろうか。単純に自分の失敗を極力認めたくないというのであれば同情の余地はあるが、2点の明記がなければ謝罪文には成り得ないことは、小学生でも理解できることである。
3点目は、2文目に「どうか弊社の社員についてのご批判はご容赦いただければ幸いです。」と書かれていることで、被害者の立場にいることである。一人の作家の創作活動を全力で否定した後で、舌も乾かぬうちに、被害者として振る舞う。シンプルに卑怯。相手のために謝罪しているのではなく、保身のために謝罪しようとしている。以上3点セットでその態度は疑惑ではなく、結論となり得る。
我々は日々他人の謝罪会見や謝罪文を目にすることが多く、謝罪の定形に関する知識をいつの間にか豊富に持つようになってしまっている。そのため、謝罪している人により厳しい目を向けがちである。寛容であることは美徳であるが、寛容の具合は、被害者の救済とのバランスによって決まる。被害者が救済されず、泣き寝入りしてしまった時に、加害者に寛容であることは虐めの容認であり、美徳とは程遠い。その時には加害者への批判が被害者の救済になる場合がある。砂糖が常に美味しく感じ、塩が常に不味く感じるわけではなく、批判という塩が、ショートケーキでは表現できない大人の旨味を引き出すのである。
悪口を言わない宣言は、ショートケーキやスポンジケーキ等の甘いものだけを食べ続けようという強制の宣言であり、糖尿病になることで初めて、その宣言の問題に気がつくのである。糖尿病になることと同じような病気を企業が患った時、その症状はどのようなものだろうか。それは、ジョージ・オーウェル氏の1984に書かれているのだろうか。
4点目は、記事「cakes一連の件についてのお詫び」が2020/12/15に配信されたが、3日経っても掲載し続けられていることである。書いた本人は問題がないと思っていても、大半の人が文章の問題に容易に気がつくが、note株式会社の社員が掲載停止に動いていない、または動いてはいるかもしれないが停止の決定を得るには至っていない。つまり、note(株)社には自浄作用が機能していない。DHCのように年配の会長がご乱心文章を連発していて、誰にも手がつけられないことが容易に想像できる場合とは異なり、常識や良識を持っているであろう人に対して、何故上手く働きかけられていないのだろうか。長年一緒に仕事をやって来た人が「この文章はまずいで」と一言漏らせば、解決するような話ではないだろうか。
noteのサービスの先進性(ブログサービスのmediumの丸パクリから進歩すること)に期待し、サービス開始直後から利用している。note(株)社を、自由な発想で事業を展開するIT企業と捉えて来たが、電通からの増資を受けて様々な交流が生まれたことで、倫理観の欠如した人材の宝庫であるらしい電通の子会社になってしまったのかもしれない。もしそうであれば、他の企業がnote社に増資をして、電通の影響力を排除することが可能である。しかし上記のような加藤氏の態度が、現在の一般的な編集者の態度であれば、増資後も問題は残り続ける。
雑誌の廃刊、テレビの視聴率の低下、新聞購読数の低下が年々起こっている現在において、多くの編集者にとってユーザ数を獲得し続けているnote社は光り輝く存在に見えることだろう。しかしその輝きは素晴らしい結果の発揮に留まらず、ギトギトとした幼稚さを示してしまった。note社は変わるのだろうか。変われないのだろうか。