パチスロ依存症の白夜書房時代・12/13
編集部からの電話を受けて、私は翌日の午後
半年以上ぶりに、白夜書房のビルを目指した
エントランスで、バッタリと、当時パニック7およびパニック班の単行本の
印刷を担っていた、凸版印刷の社員の方に出くわした
「ああ!」と声を掛けられた私は
「大変ご無沙汰してます」と返事をした
「まだ、編集部には出入りをしているんですね!?」
「はい…」
この時、私は「生き恥」という感覚を
身をもって体験した
「生きる」ということは、喰うことである
喰うには、まずお金が必要である
お金を得るためには、自分の労働力を提供し、その対価として得るべきものだ
「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」という言葉は
若い内は金銭的にも恵まれない。遊びたくても遊べず
割に合わない仕事だろうが、みんな頑張っている
しかし、それを続けることによって、例えばアルバイトであっても時給が上がったり
サラリーマンならば、ベースアップとして基本給が上がり、また
ボーナスや手当や福利厚生、社会保険の類の保障も得られ
さらに出世、いわゆる昇進するともなれば、まるで倍々ゲームで
当時の私のような「ただ生きているだけ」などという人間と、差が開いていくのだ
不況のせいでもない。時代や政治のせいでもない。「自分」の問題である
私がにわかパチプロとして稼ぐ1万円と、サラリーマンが稼ぐ1万円とでは
お金の「値打ち」がもう違っていて、端的かつ率直に言ってしまえば
私の持つお金は「あぶく銭」であり、普通の人が持つお金は「生きているお金」と言えただろう
そんなことを考えながら、私は編集部のあるフロアへと向かった
久しぶりに対面する編集長とデスク、他の編集部員たち…
パニック班は、もはやそのフロアのほとんどの部分を占めるほどに拡大しており
私の退職後に入社したアルバイトの子も、3人くらいいたと記憶している
まさに、実際の光景として、私とここにいる皆さんとの「差」を
私はこの目で、思い知らされた
私に電話を発信したデスクに、まずは挨拶と謝罪をし
デスクにも促されたとおりに、次に私は、編集長のもとへと謝罪に向かった
…その時、編集長の顔は、笑っていた
そして気軽に、いつものしわがれた声で
「おう、どうしてた?」
と、尋ねられた
この目と耳と頭で、当時もう27歳にもなる私が
恥ずかしながら初めて「社会」を知った瞬間である
結局、ここから私は、いっぱしのライターとして
再びパニック7に関わっていくことになる
つづく