パチスロ依存症の白夜書房時代・10/13
これ以降は、非常に自省的な内容になるだろうことを
まずはお許し願いたい
あいかわらず、当時のパニック班は多忙を極めており
10日発売の本誌パニック7、26日発売の別パニに加え
同時に必ず1冊は、単行本の制作の進行も進んでいた
担当する仕事量は、別パニのほうが
私は分量が多く(『パチスロひとり旅』の担当でもあったため)
そのぶん本誌の制作中は、単行本の制作補助にまわることになるのだが
別パニが校了すると、毎回と言っていいほど、私は発熱をともなう
風邪をひくようになった
月イチで風邪をひくようなことが、ふた月三月と続けば
身体的には、もうボロボロである
その上、当時はパニック7で公式ホームページを開設していたのだが
私は自主的に、掲示板への書き込みにレスを付けるようにしていた
それが、朝3時や4時まで、自宅からでも行なっていた…それすなわち
不眠の症状も出ていた
そのせいで、1日7時間拘束の日給制で
遅くとも13時には出社しなければならないところ
16時過ぎに出勤するなど、勤怠状況も著しく低下するに至った
こんな状態であったため『パチスロひとり旅』における、名波さんの沖縄上陸にも
私は取材メンバーから外されることになった
金銭的にも恵まれず、心身ともに私は最悪の状況となり
ついに私は、これをもってギブアップをしてしまったのだ
つづく