【閑話】Fackin' blue filmという本
今から22年前、2001年に発売されたこの本は私に多大な影響を今も与えている
当時、ぼっちLv100だった私は本屋の中をウロウロするのが好きだった。しかし『買わないものは触るな』と親に教わっていたので、立ち読みをするのは悪い事だと思っていた。
だから、ちょっと気になる本を見つけた時、平積みされた本を指でチラリと開いてそこに書かれた文章を少しだけ読んで、言い回しだとか、世界観を覗き見するだけ。
しかし、この本は違った
堪らず手に取って
熟読、とまではいかないが暫く読んでしまった。
青い表紙にイバラが少し描いてあるだけのこの本の帯が、『絶対面白い』と私に訴えてきたのだ。
帯には大きく
【あの、僕、家具になりたいんです】
と書いてあった。なんだそれは。江戸川乱歩の人間椅子か。
私はこの本をすぐさま買って、バスの待ち時間、バスの中とページを進めていった。
家に帰って、また読んだ。
風俗のSM店における面白いお客とそれを見るS嬢の物語がツラツラと日記風に書かれていた。
後半は主人公と女の子との生きる物語。恋人?友達?仲間?レズ?何とも分類出来ない関係性の人間模様が書かれている。
私は 家具になりたい男も、ゴミ箱に射精したい男も、喋りたくない男も、主人公にとても愛されていた事に感動…いや、とても腑に落ちたのだ。
性について親に強く抑圧された私は、この本に理想郷を見たのかもしれない。
どんな性癖があっても、愛することに何ら問題がないとこの本は教えてくれた。そして、癖がなくてももちろんいいのだとも思った。
後半に出てくる女の子は『公衆トイレで寝泊まりするのが落ち着く』という。
主人公は、無理やりそこから引き剥がす事もなく、ただ支援物資を届けた。彼女をそこから出したいとは思っている。でも、トイレで寝たい彼女の意思を受け入れているので物資を届けた。レズプレイを見せてお金を稼いでそれを手渡したりもした気がする(うろ覚え)
相手の為に何かをするとは、色んな形があるのだと思った。この子はその後、別の登場人物によって変わった。主人公は「こうしたら良かったのか」と思う反面「これが出来る経済力が私にあれば…」と悔やんだ。
この場面で私は、お金の価値、自分の生活維持以上に働く意味はこれなのかと感動したのだ。
今、この本は手元には無い。
嶽本野ばらの本と共に親に捨てられてしまった。陳腐な言い方だが、今は心の本棚にあるとおもっている。
(谷崎潤一郎と川端康成、沼正三は捨てられなかった。偏見に感謝しかない)
最後に
驚くなかれ、これはノンフィクションなのだ。
もし、この本をどこかの古書店などで見つけたら思い出して欲しい。
この本を好きだと言っていた人間がいたことを。