「コミュニティラジオ」が好き
この記事をご覧いただきありがとうございます。
性懲りも無く、今回も私の好きなものについて記事を書きたいと思います。
しばしお付き合いください。
"ラジオ好き"だけれども…
私はかねてより、ラジオを聴くことが大好きです。
このことについては以前にも投稿していますので、興味がある方は読んでいただけると嬉しいです。
上記の記事に関連して、もう少し自分の"ラジオ好き"という趣味趣向を掘り下げてみようと思います。
というのも、私の"ラジオ好き"は世間一般とは少し種類が違う気がしています。
巷でよく聞く"ラジオ好き"というのは「オールナイトニッポン」や芸人・タレントなどのラジオといったバラエティ性のある番組が好きで聴いているという人がほとんどのように感じます。
少なくとも私の中では、ラジオ好き=芸人のラジオが好き というイメージです。
もちろん私も芸人やタレントのラジオをたくさん聴きますし、それに限らず様々なチャンネルや番組を幅広く聴いています。
なお、ラジオに限らずテレビを観るのも好きなのですが、私の人間性として時にテレビの内容で疲れてしまったりウザったく感じてしまうことがあります。
特に、コロナ禍においては連日続くコロナ関連の情報にうんざりして、テレビを完全にシャットダウンしてラジオや新聞に情報源をシフトしたほどです。
また、前職で仲良くさせていただいていた東大出身の先輩からNHKラジオの良さを教えてもらってから一層聴くようになったりと、現在も少しずつラジオを聴く幅が広がっています。
そして、それらの中でも私が特に好きなのが「コミュニティラジオ(コミュニティ放送)」です。
「コミュニティラジオ」とは
つまりは「エフエム世田谷」「エフエム熱海湯河原」などといった、市町村エリア等に対象を限定した地域密着型のラジオということになります。
現在では、日本全国において局を運営する事業者の数が300超もあるようで、そこそこ大きい自治体であれば必ずと言っていいほどコミュニティラジオ局が存在します。
また、市町村等に限らずとも、私が以前住んでいた仙台市には「Rakuten.FM TOHOKU」という東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する野球中継や球団情報発信が専門のラジオ局が存在したりと、用途によってコミュニティラジオの在り方は様々なようです。
そして、今日まで続く私のラジオフリークとしての始まりは、このコミュニティラジオでした。
このコミュニティラジオ、聴きにいくというよりは日常の中で何気なく聴くことがほとんどだと思いますが、私のようにコミュニティラジオが好きだと公言する人はなかなかいないのではないでしょうか。
ただ、これにはちゃんとワケがあるのです。
以前の記事にでも書きましたが、ラジオを聴く習慣が始まったのは中学2年生のときです。
授業で作成したインスタントラジオで、適当にチューニングを回したら地元のコミュニティラジオ局に繋がったことが当時あまりにも感動的で、それから家でもラジオを聴くようになりました。
その後は徐々に、コミュニティラジオに限らず様々なチャンネルを興味本位で聴くようになりましたが、特に県域放送(地元ではFM新潟やBSNラジオがそれにあたります)も大好きで、若いときにはFM新潟のパーソナリティイベントに何度も参加したほどでした。
ですが、当時から現在まで変わらず一番聴き心地がいいと感じるのは、コミュ二ティラジオです。
そう感じる理由は「親近感」なのだと思います。
私が過ごした地元のラジオ局の場合、朝・昼・夕方にそれぞれ生放送番組があり、特に学生時代はタイミングが合えばわざわざ部屋で聴いているほどでした。
住んでいる地域の話題や情報をタイムリーで聴くことができたり、今この近くで誰かが話しているという安心感、アナウンサーの気さくな話し方と立ち振る舞いなどが、自分にとってはストレスなく聴くことができる貴重なツールであり、親近感と安らぎを感じていました。
「コミュニティラジオ」の魅力
さて、私が思うコミュニティラジオの魅力をいくつかご紹介します。
1.地域密着性
まず、先述の通り、住んでいる地域の身近な話題や情報がタイムリーで聴くことができるという点です。
ただ、私の場合はその情報が得られたという嬉しさではなく「〇〇小学校○年生の××くんがコンクールで賞をとった」「次の土曜日に〇〇で野外イベントが開催されます」といった、そこまで興味や関心のない小さな話題にほのぼのしています。
かくいう私も、地元のソフトテニスの大会で優勝した時にたまたま地元のラジオ局の方が取材に来ていて、表彰式の後に突然マイクを向けられたことがあります。
数日後にラジオで流れた自分のインタビューはとても聴けたものではなかったですが、今の自分と同じように、これを聴いているこの街の誰かが微笑んでくれていたのなら嬉しいことだと思います。
私はこれまでに転勤・転職等で引越しを繰り返してきましたが、その度にその土地のコミュニティラジオを聴くことで地域に溶け込めているような気がしていました。
これまでに6つの自治体で過ごしてきましたが、各地のコミュニティラジオを聴いていても、それぞれで雰囲気や色が全く異なります。
それでもやはり共通しているのは「親近感」であり、それがコミュニティラジオの一番の良さなのだと感じています。
2.他局ネットも魅力的
コミュニティラジオも県域放送やテレビなどと同じ、自主制作番組以外はベースとなる他局の番組をネットして放送しています。
コミュニティラジオの場合は、私が知る限り「ミュージックバード」「J -WAVE」のいずれかの局をネットするのがベタなようです。
これまで聴いてきたコミュニティラジオでどちらも体験済みですが、それぞれで特徴が全く異なります。
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まず「ミュージックバード」について。
私の地元のラジオ局や現在住んでいる広島県尾道市の「FMおのみち」では、生放送や自主制作番組以外においてはこの「ミュージックバード」が流れていました。
「ミュージックバード」は、そもそもが全国のコミュニティラジオ向けの番組を制作している局であるため、バラエティ性や盛り上げる演出というよりも、トークを中心とした生活密着型のほのぼのした番組が多い印象です。
また、懐かしのヒットミュージックを流しているだけの番組や、あなた一体誰だという人のなんでもないトーク番組などもたくさんありますが、テレビを観るのに疲れときやそもそも無音の空間が苦手な私にとっては、時にそのような番組が日常のBGMとしてありがたいことがあります。
そのような中でも「Radio Leaders」「Brand-new Saturday」「アフタヌーン・パラダイス」といった番組は昔から好きで、今でもよく聴いています。
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一方「J -WAVE」の場合。
全国のコミュニティラジオ局向けに送信サービスを行っているものの、そもそもは東京都が放送エリアである都域放送であります。
そのため、有名タレントの番組やオシャレで最先端な番組を聴ける一方で、全然関係のない関東地方の交通情報や天気予報が流れることもあります。
見方を変えれば、地方にいながらも都会的な雰囲気を味わえるという謎の面白さを私は感じていました。
私が以前住んでいた某街のラジオ局は、日中の生放送以外はずっと「J -WAVE」を流しっぱなしという全くやる気が感じられない局でしたが(どことは言えません 笑)、おかげで「J -WAVE」の番組の面白さを知ることができました。
その後、仙台市に引っ越してからは仙台市のコミュニティラジオ「RADIO3」を聴くようになり、こちらの局も「J -WAVE」系列だったことから一層聴き込むようになりました。
特に日曜日の番組編成(※)が好きで、朝から夕方まで12時間ぶっ通しで聴き続けることもザラでした。
(※)日曜日は一部時間を除いて、ほとんどが「J -WAVE」の番組でした。
6:00〜ARROWS(チャラン・ポ・ランタン もも)
9:00〜ACROSS THE SKY(小川 紗良)
13:00〜TOKIO HOT 100(クリス・ペプラー)
17:00〜NX NIPPON EXPRESS SAÚDE! SAUDADE...(滝川クリステル)
18:00〜UR LIFESTYLE COLLEGE(吉岡里帆)
3.災害時の情報発信
災害時におけるコミュニティラジオの役割について、私の実体験も交えて書きたいと思います。
2007年7月に新潟県中越沖地震が発生。私の地元である新潟県柏崎市が最大震度を記録し、甚大な被害が出ました。
当時は中学1年生でしたが、突然の揺れと続く余震、長期間に及ぶライフラインの停止、避難所や車中生活などは今でも鮮明に思い出せます。
学校は2週間休校になったものの、停電が長期に渡り家の中も危ないということで、日中は避難所に遊びに行くか車中でラジオを聴きながら、漫画を読んだりゲームをしたりして過ごしていました。
その時に聴いていたのが、柏崎市のコミュニティラジオ「FMピッカラ」でした。
先述で書いてきた地元のラジオ局というのが、この「FMピッカラ」です。
ラジオを聴く習慣は中学2年生から始まったと書きましたが、ラジオ自体にはこの時から、もっと言えば小学生の頃(当時、祖母の夕刊配達の手伝いをしていて、車中で常にFMピッカラが流れていました)から生活の中でよく聴いていました。
災害当時の細かい放送内容までは覚えていませんが、昼夜を問わず常に生放送でアナウンサーが災害関連情報を話していたことや、防災無線が入れば話を中断してラジオ放送に割り込ませたりと、非常事態で混乱している市民に寄り添い尽力してくれていたという印象がありました。
このように、災害時の情報源であったり不安な心の拠り所といった点が、コミュニティラジオの強みであると感じます。
というのも、1995年の阪神淡路大震災においてコミュ二ティラジオの必要性や重要性が全国的に認知されたことから、急速に開局数が増加したようです。
その後も、全国各地で大きな災害が発生したときには上記と同様にコミュニティラジオが大きな役目を果たしたようであり、東日本大震災では宮城県女川町で災害関連情報発信のために有志でFM局が開局されたりといった事例もあります。
何かと災害の多い日本において、コミュニティラジオの重要性は今後も変わらないものと思われます。
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少し余談になります。
地震発生時(午前10時頃)私はソフトテニスの大会で県内の別の街にいました。大会中でしたが、只事ではないような揺れと県内で大地震が発生したということですぐに中止になり、付き添いの親の車で帰路につきました。
ですが、ここで問題が発生。親の車は行きの時点でガソリンが少なく、帰路につき始めた途端に残りわずかのランプが点灯したのです。
当時の車は型が古く、最近の車と違って残り何km走れるという表示がないため、リアルにこれはまずいという非常事態になりました。
そこに追い討ちをかけたのが、地震による停電等の影響でガソリンスタンドがことごとく利用できず、さらに道路の崩落等による交通麻痺で渋滞に巻き込まれるといった事態になり、抜け道や遠回りを繰り返しながら少しずつ地元に近づいて行きました。
地震による被害の心配を抱えつつもガソリン残量に終始ヒヤヒヤしながら、なんとか地元に到着し、営業中のガソリンスタンド(当時はまだ少ない災害時給油可能という神店)に到着しました。
ランプが点灯してから50km近くは走ったことになりますが、地元が大変なのに危うくガス欠で帰れない事態になりかけたというギリギリの恐怖を味わいました。
つまり、いつ何が起こるか分からないので、常にガソリンは入れておきましょう。
「コミュニティラジオ」がどこでも聴ける時代
元来、コミュニティラジオはその地域にいないと聴けないものでありましたが、時代は進化して近年ではインターネットやアプリで各地のコミュニティラジオが聴けるようになりました。
アーティストやタレントがパーソナリティを務めることが多い県域放送等が聴ける「radiko」とは違って、範囲が限定されすぎている媒体の一体どこに需要があるのかと思いがちですが、これまで書いてきたとおりの私のような”もの好き”にはとてもありがたいです。
また、地域性の高いコミュニティラジオとはいえど、生放送番組以外にも各地の自主制作番組を聴きにいくこともあります。
特に、仙台市のコミュニティラジオ局「RADIO3」で毎週水曜日23時から放送している「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!」という番組は、仙台を離れた現在もインターネットを通じてよく聴いています。
今をときめく好感度芸人がブレイク前から地元で続けている番組であり、仙台や東北の話題を交えながら淡々とトークをしていくという非常に緩い内容と脱力した雰囲気は、まさにコミュニティラジオだからこそ成立するのではないかと感じています。
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各地のコミュニティラジオがインターネットやアプリで聴ける時代になった中、地元である柏崎市の「FMピッカラ」は今でもよく聴いています。
たまに故郷が懐かしくなったり、部屋にいてふと聴きたくなるときに生放送のタイミングだとケータイから流したりしています。
小学生当時から変わらないジングルやCMを聴くたびに、何とも言えない懐かしさと安心感を感じています。もはや「FMピッカラ」という存在が私の細胞レベルで身についてしまっているのだと思います。
いずれ地元である新潟県柏崎市に帰郷したい私にとって、故郷の情報や雰囲気をリアルタイムで掴み感じ取ることができる「FMピッカラ」をインターネットで聴けるというのは非常に嬉しく感じています。
地元に限らずとも、これまで過ごしてきた地域のそのラジオ局の番組やジングルを聴くたびに、当時の思い出や風景が浮かんで懐かしくなったりします。
元々私にとってコミュニティラジオは、その地域に住んでいるからこそ聴ける住民の特権のようなものでありましたが、インターネットで聴けるようになった現在では、離れていてもその土地の雰囲気・空気感を身近に感じることができる便利なツールとなりました。
コミュニティラジオがどこでも聴けるようになった意図はよく分かりませんが、少なくとも私にとっては、コミュニティラジオの概念がとてもいい方向に変わってきたことによって非常に恩恵を受けています。
この記事を読んでいただいた皆さまも、もし時間ができたら住んでいる地域のコミュニティラジオをじっくり聴いてみてはいかがでしょうか。
乱筆にて
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