至高のバンド「SUPERCAR」Vol.4:Futurama
この記事をご覧いただきましてありがとうございます。
さて、以前の投稿より、自分の好きなことを楽しく書いてみようということで、趣味の音楽について【短期集中連載】を開始しております。
テーマはズバリ、
”至高のバンド「SUPERCAR」”
SUPERCARは、90年代後半から2000年代にかけて日本の音楽シーンで活躍したバンドであり、数多のアーティストの中でも私がトップクラスで好きなバンドであります。
なお、SUPERCARの説明や魅力については、Vol.1でたっぷりと紹介していますで、ぜひご覧ください👇👇
Vol.2以降は、SUPERCARが発表したオリジナルアルバムについて1枚ずつ魅力を深掘りしていこうと思います。
ニッチなテーマですが、少しだけお付き合いいただけると幸いです。
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今回は、3rdアルバム「Futurama」について書いていきます。
ちなみに、Vol.1でも書いたように、SUPERCARはアルバムごとに音楽性を大胆に変化させています。私自身も、解散後のシングル集「A」でその変化に衝撃を受け、まずはどのオリジナルアルバムから聴いていこうか悩みましたが、結果的にはオリジナルアルバムを発売順に聴くことになりました。
1st「スリーアウトチェンジ」と2nd「JUMP UP」を聴き、当初の期待を裏切らないどころか、聴くほどにSUPERCARの魅力にどっぷりハマっていきました。
3rd「Futurama」を聴くにあたり、シングル集「A」にてアルバム収録曲の音楽性の変化に驚いたという記憶があったので、いったいどんなアルバムなのだろうというワクワク感を持ち合わせながら聴き始めました。
しかし、このアルバムが、その後の私の音楽趣味に大きく影響してくるとは…
「Futurama」の概要
「Futurama」は2000年に発売されたSUPERCARの3rdアルバムであり、シングル曲の"FAIRWAY””WHITE SURF Style 5.”を含む全16曲が収録されています。
なお、「Futurama」というタイトルは、“Future”と“Panorama”を合わせて、未来への展望を意味した造語のようです。
また、本作はエレクトロサウンドの導入や打ち込みの多用などの新たな試みが多くされており、ニューヨークでのレコーディングを含む約10ヶ月間の制作期間で、音楽の本質を突き詰めて作り上げられたアルバムとの解説があります。
その背景には、それまでになかったような新しい音楽やサウンドの融合を、稚出でも構わずに作ってみたかったというメンバーの想いがあったようです。
バンドのキャリアで見ても、このアルバムからサウンド面で大きな変化が表れ、次の次元へと突き進むことになる、まさに”後期”SUPERCARの幕開けとなります。
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ついに…ついに…このときがきた!!
「Futurama」を語るときが!!!
この【短期集中連載】を始めた真の目的は、「Futurama」をとことん語りたいからでもあります。
と言いますのも、私は「Futurama」がこの世の全アルバムの中でも1番好きなのです。
私が長年ファンであるスピッツやMr.Childrenなどを含めたとて、このアルバムが頂点に君臨しています。
SUPERCARの作品群で見れば、世間的には「スリーアウトチェンジ」や「HIGHVISION」のほうが知名度や名声がありますが、様々なサイトなどを見てみると、私と同じように「Futurama」が最高傑作で1番好きだという声も多く見られます。
偉そうに言ってしまいますが、それだけ、分かる人には分かる魅力があるのです。ただ、陽キャは絶対好きになれないアルバムです(超偏見 笑)。
でも、なんでしょうこのアルバム。この魅力、理屈じゃないんですよ。考えるな、感じろ的なオーラを感じます。
次作「HIGHVISION」では、全てが極限まで研ぎ澄まされた”芸術”のような作品に仕上がっていますが、「Futurama」はその”芸術”に辿り着くまでの途上と言いますか、それまでのキャリアが土台にあるうえで、溢れる創造力とあえて稚出さをさらけだし、結果的に世界観・ワクワク感・脱力感・浮遊感・時に力強さの全てが共存した、もう何だかよく分からないアルバムになっています(褒めてます😅)。
なので、自らこの企画を立てておいて、「Futurama」について上手に解説ができる気がしません。
今回は具体的な解説や考察を諦めて、個人的なアルバムの好きなところやすごいポイントなどをとことん語り尽くしたいと思います。
摩訶不思議な”ジャケット”
まずは、本作のCDジャケットについて。
なにこれ??って最初は思いました。他人にどんなジャケットか説明しようとしても、絶対にできません。
ちなみにこれは「ロールシャッハテスト」といい、一見何だか分からないものを見せて、何に見えたかを答えてもらうテストのようです。
実際には複数色の絵の具を垂らして手作成されたものであり、何が正解というのもありません。
ただ、私的には、このアルバムの音の中を最後まで漂い流れていく未知の”生命体”のように思っています(この話は今後も出てくるため、以降は端的に”生命体”と書かせていただきます)。
このジャケットには、メンバーから「見たことない、よく分からない感じ」というオーダーがあったそうです。
結果的に、本アルバムのロックとエレクトロニックが見事に融合されたサウンドの世界観とリンクしているようにも感じます。
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ちなみに、つい最近の2023年6月、本アルバムのジャケットについてすごいことがありました。
SUPERCARのCDジャケットのアートワークを数多く手がけた木村豊さんの個展 "COLORS EXORCIST 2000"が期間限定で開催され、「Futurama」のジャケットのアートワークのために製作された実際の原画が展示されました。
20年前の1つのアルバムのみをフィーチャーするというかなり攻めた企画だなと思いつつ、こんな俺得な展示会があっていいのかと鼻息が荒くなったのを覚えています。
ですが、会場は東京高円寺。私は現在、広島県在住。
かなり迷いました。
でも、行っちゃいました(笑)
実際の原画の絵の具の凹凸まではっきり見ることができ、とても楽しかったです。
なお、この展示会の開催がきっかけで、私の中で何度目かのSUPERCARブームがきて、本連載を始めるきっかけになりました。
エバーグリーンで色褪せない魅力を放つ「Futurama」だからこそ、時を超えてこのような展示会が開催され、このアルバムを好きで居続けた自分を肯定されたようでもあり非常に嬉しかったです😄
この展示会についても書きたいことがたくさんあるので、また別の記事で詳しく書きたいと思います。
サウンドの”奇跡の融合”
さて、冒頭にも書いたように、本作にはエレクトロサウンドや電子音がふんだんに盛り込まれ、バンドサウンドとの見事なまでの融合で、新たな音楽の世界を切り拓いた作品です。
文献の知恵を借りて書くと、このアルバムが発売された2000年という時期は、UKロック界隈でエレクトロサウンドやダンスミュージックが流行し、Radioheadがエレクトロサウンドに大きく傾倒した名盤にして問題作『Kid A』が作られたのもこの時期であります。
邦楽界では、同世代のバンドであるくるりが同じ時期に制作したアルバム「TEAM ROCK」「THE WORLD IS MINE」がエレクトロサウンドを取り入れた作品であるところを見ると、SUPERCARが少しずつ方向転換していったのも自然の流れなのかもしれません。
とはいえ、UKロックのそういった流れを積極的に取り入れる貪欲さと、それを高い次元で実現させてしまう底力には恐れ入ります。
私が知る限りでは、当時邦楽界で先陣を切ってその流れに乗り、しかも短期間で高いレベルにまで昇華させたのは間違いなくSUPERCARが走りだと思っています。
これが、SUPERCARやくるりが「97の世代」と言われた所以でしょうか。
余談ですが、くるり「THE WORLD IS MINE」にも収録されている”ワールズエンド・スーパーノヴァ”が、私の中でも5本の指に入るほど大好きでたまらない曲なのです。
趣旨が逸れるのでこの曲の話は割愛しますが、今思えばSUPERCARでエレクトロサウンドに耳が慣れてきたからこそ、次第にこの曲が魅力的に思えてきたのかもしれません。
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このアルバムに出会った20歳当時、私自身まだ、エレクトロサウンドやダンスチューンに馴染みがありませんでした。
思い出す限りでは、当時サカナクションが存在感を出してきた時期であり、”アルクアラウンド”や”ミュージック”などを流行りのイカしたダンスチューンとして好んで聴いていましたが、そこまでどっぷりハマることはありませんでした。
今でこそサカナクションを始め多彩なジャンルの音楽を聴いていますが、当時はまだスピッツなどのメジャーなロックサウンドが正義みたいな凝り固まった頭でした。
正直「Futurama」を最初に聴いたときも、まだ最初の数曲の段階では少し抵抗がありました。
ですが、聴いていくうちに不思議と徐々にサウンドが体に馴染んでいく感覚がありました。
変な話、それまでエレクトロサンドはむしろ邪魔だと感じていた節がありましたが、このアルバムのサウンドは、エレクトロサウンドとバンドサウンドがとてもいい具合に混ざり合っていて、むしろ純粋なロックサウンドよりもカッコよく聴こえてしまいました。
エレクトロサウンドといっても様々な音色がなっていて、#3”Baby Once More”ではイントロで不思議な物音?や「トゥアー!」っていう必殺技みたいな声が入っていますし、#5”Star Fall”ではなんだか気が抜けるような音が鳴っていたりと、一聴ではロックと不釣り合いそうな音も含まれています。
パッと聴きでは、作曲したナカコーさんのやりたい放題を詰め込んだような内容にも思えますが、決して中身が散らかっているわけではなく、不思議と全体に統一感があるんですよね。
その理由は未だに不可解ですが、要因の1つとして「シームレス」という手法が大きく関わっていると踏んでいますので、後ほど詳しく書きます。
私としては、まるで音の世界に迷い込んだような、それまで体験したことのなかったような未知の世界に連れて行ってくれるような不思議な感覚になりました。
そう、まさに本作のCDジャケットの絵のような、よく分からない世界が頭の中に広がっていくようでした。
この感覚がクセになってしまい、当時はかなりこのアルバムを聴き込んでいました。それくらい、最初からハマっていたのです。
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なお、本作ではエレクトロサウンドに耳がいきがちですが、バンドサウンドの面でも面白いところがあります。
特に#4"WHITE SURF Style 5.”がとにかくかっこよくて、まず、イントロからまるでゲームセンターみたいな音が流れて不思議な始まり方をします(というのも、私が小さい頃にゲームセンターで遊んだ記憶があるレトロなモグラ叩きゲームが、100円を入れるとこんな音がしたんですよ、確か)。
かと思えば、1stアルバム「スリーアウトチェンジ」を彷彿とさせるような轟音ギター、唸るベース、ノリノリのドラムといった、エレクトロサウンドを抜きにしてもめちゃくちゃロックなサウンドが響きます。
また、この曲はツインドラムを採用していて、SUPERCAR史上最速のBPMにノっかるようにドラムがドカンドカンと響いています。
この拾い動画を見る限りでは、コーダイさんが土台のリズムを叩き(主パート)、もう一方のサポートの方が弾むようなリズム(副パート)をとっています。
なんか、副パートのほうは、叩いていて気持ちがよさそうですね(笑)
この曲の歌詞の意味はさっぱり分かりませんが、無条件にノってしまうようなリズム感があります。これはまさに、SUPERCARの音楽全体に共通する魅力の1つでもあります。
”シームレス”がみせる音の世界
このアルバムは曲間がシームレス(曲間が繋がっていたり繋ぎ目が極端に短いこと)になっています。間を置くことなく曲が流れていくため、アルバム全体の統一感が出て、コンセプトを表現しやすい手法となっています。
(私の知る限り)それまでの作品で言うと、Mr.Childrenのアルバム「深海」や、椎名林檎の初期のアルバム群などがそれにあたります。
私自身のシームレスの原体験はこの「深海」で、初めて聴いた時の驚きと興奮は今でも忘れません。余談ですが、”臨時ニュース”〜”マシンガンをぶっ放て”の流れがたまりません。
このアルバムはミリオンヒットを記録し世間的な認知度もあるので、シームレス=「深海」の感じって言えば、イメージがつきやすいでしょうか。
このシームレスという手法が私は大好きで、なにより単純にかっこいいんです。まるで聴く側を飽きさせず、気分をサゲさせず、時には意表をつき、盛り上がれと言わんばかりの曲順になっていたりと、とにかくアガるポイントばかりなのです。
ただ、シームレスという手法も決して簡単なものではなく、制作する側の強い意思やイメージがないと形にするのが難しいものだと推測します。
そう考えると、このアルバムにはすでに何らかの完成イメージがあったのでしょうか。だとしたら、一体どういう体験があってこのアルバムができたのか不思議になります。
むしろ、本作のモデルとなる作品があるならば、是非とも深掘りしたいと思っているところです。
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さて、Vo.2では1st「スリーアウトチェンジ」を1つの組曲のようだと書きました。上記のことから「Futurama」もまさに同様だと思っていますが、前者とは少し趣向が変わっています。
というのも、本作ではシームレスの手法を利用して、まるで音で遊んでいるかのようにアルバム全体で様々な表現をしています。
その手法は様々で、曲間を電子音で繋ぐものもあれば、曲間が極端に短いもの、#12”ReSTARTER”〜#13”A.O.S.A.”のように強引に終わらせたりすることもあります。
それはまるで、ジャケットの”生命体”が曲と曲の間を泳いで繋がっていくような、音の中を遊泳しているかのような世界観を感じています。
結果として「スリーアウトチェンジ」とはまた違う形で、アルバム全体の統一感を出しています。
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私が特に大好きでたまらないのが、#10”Karma”〜#11”FAIRWAY”の流れです。
もう、やばいです。”Karma”が終わり切らないまま余韻が続いていくと思いきや、突然"FAIRWAY"が始まります。
最初に聴いた時は「なにが起きた!?」ってなりました。冗談抜きで、日本のロック界のビックバンではないでしょうか。
これについては他にもファンが多いようで、YouTubeのコメント欄や様々なブログでも同様の声が見られ、同じ感覚や喜びを感じている人がいることを非常に嬉しく思います。
⬆️何が面白いって、これサッカーの記事ですよ🤣
何より#10”Karma”が非常に大好きでして、SUPERCARの中でも1番好きかもしれません。
”Karma”はこのアルバムの”核”ではないかと思っています。このアルバムの構成は、徐々に盛り上がりながら浮上して途中から急降下していくようなイメージを持っているのですが、そうなるとこの”Karma”が本作の最高到達点であると思います。
イントロから徐々に合流していくサウンドたち、強い意志が表れた歌詞、珍しく力強いナカコーさんのボーカル、サビの盛り上がり。全てがかっこいいです。
一方で、#11”FAIRWAY”はシングルバージョンとは異なり、本アルバムのコンセプトに合わせるように再レコーディングしたようです。
私はどちらかというと、このシングルバージョンの方が好きですね。デビュー以来の書き下ろしでこの曲が出たとしたら、自分がもし当時からファンだったら絶対盛り上がっていただろうと思います。
本作は全体のイメージに耳がいきがちですが、楽曲それぞれにも多様な魅力や面白さがあることも、このアルバムの魅力を底上げしている要因なのだと思います。
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余談ですが、最近は配信やサブスクの台頭で、アルバムではなく曲単体での聴き方が主流になってきているように感じます。
SUPERCARに限らず、音楽にとってアルバムという作品がどれだけ魅力的で素晴らしいものか。ぜひアルバム全体を通して聴いてほしいと願うばかりです。
このアルバムには、それを伝えられるだけの魅力があると思っています。
なお、オーディオによっては曲間にブレイクが入ってしまうものもあり、このアルバムを聴くうえでは魅力が半減してしまうので、非常に勿体無いと思ってしまうのです😔
”短い命”を鳴らすような構成
アルバム全体の構成についても。
パッと全体を聴いたイメージとして、様々な音を鳴らしながら少しずつ浮上し、#10Karma”〜#12”ReSTARTER”で頂点に達した後、再び堕ちていくようなイメージを持ちました。
前半から”FAIRWAY”までの楽曲の感じは既に述べたとおりですが、それ以降の終盤が、これまた不思議な感じがあります。
バンドサウンドとエレクトロサウンドの融合がテーマの本作ではありますが、#13”A.O.S.A.”からはバンドサウンドが主になります。
ですが、決して盛り上がるわけでも綺麗にアルバムを締めるわけでもなく、上記のように再び堕ちていくような終わり方を迎えます。
楽曲を解体して見ていくと、少しメロウでマイナーなサウンドと、飛ぶことを諦めて堕ちていくだけのような投げやりな歌詞が特徴的です。
「もう、ひとりでやれる全ては終わった」”A.O.S.A.”
「たぶん、もういい手はない」”New Young City”
どうしてしまったんだろうと心配になってしまいます。後期SUPERCARの特徴である抽象的な歌詞とはまた違う、自暴自棄な表現になっています。
上がれるとこまで上昇したジャケットの”生命体”が、崩壊し空中分解して堕ちていく様子が、私の頭の中に浮かびます。
特に終盤の#15”Blue Subrhyme”では、すでに崩壊しきったかのように非常に抽象的で暗号のような歌詞になっていきます。
「灰色 クライムフルニューウェーブ+MEEeEEEE.」
…なんのこっちゃ(笑)
とは言っても私はこの曲が結構好きで、ドラムのコーダイさんが作曲したからなのか、ドラムが印象的な変拍子のサウンドがクセになります。
本記事でもようやく歌詞のことに触れましたが、驚異的なサウンドの変化に順応できるいしわたり淳治さんの作詞力もすごいです。後に作詞家・プロデューサーとして花が開くのも頷けます。
ということで、こうして色々と書いていると、1つのアルバムの中にどれだけのストーリーや要素が盛り込まれているんだと驚愕します。
お決まりの言葉ですが、これがSUPERCARの凄さです(←偉そうでごめんなさい🙏)。
出るのが早すぎた”唯一無二”の作品
私はこのアルバムについて、音楽の未知なる世界を泳ぐ、ジャケットの”生命体”の1つのストーリーなのではないかと勝手に思っています。
生命を授かり、命を鳴らしながら上昇していき、頂点に達したところで崩壊していく。まるで短い命を懸命に生きる「カゲロウ」のような、そんなイメージを持っています。
もはや”バンドマジック”を操れる領域にまで達してきているのではないかと言わざるを得ない、SUPERCARだからこそ作り上げることができた”未知の世界”であり、誰にも真似できない世界観です。
こんなアルバム、他にないですよ。結局のところ、現在までにこのアルバムと同じか類似したようなアルバムに出会えていません。
だからこそ、私の中で唯一無二の作品であり、1番好きなアルバムでいるのだと思います。
巷では、このアルバムの魅力が”ロックとエレクトロの黄金比”とよく言われているようで、私もそれには深く共感します。
ですが、それだけでは語れないたくさんの魅力や面白さが「Futurama」にはあり、これだけ書いてもまだまだ出てきそうです。
この魅力が理屈じゃないからこそ、言葉にするのが難しく、本記事を書いていくのもかなり苦労しました。感覚を言語化するのって難しいですね。
今思えば、ロックサウンドこそ正義だった20歳の頃にこのアルバムに出会ったおかげで、エレクトロサウンドに対する抵抗感がなくなり、その後の音楽を聴く幅が大きく広がったように思えます。
そう考えると、私の中で「Futurama」はこの世で1番好きなアルバムであり、その後の音楽の聴き方を変えたターニングポイントでもあると言えます(大袈裟ですが、所詮ただの音楽オタクの戯言なので、あしからず)。
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余談ですが、ナカコーさんはこのアルバムについて「なんかこう、光が射していく感じ」と語っていたようです。
相変わらずナカコーさんらしい発言ですが、この一言にも非常に奥行きがあるように感じます。
その後の邦楽界における多様性のある楽曲を見ていくと、「Futurama」はまさに”未来への展望”を見透かしているかのように、その未来に光を射していった存在なのではないかと思います。
時代が時代だったら、もっと評価されていたのに。世に出るのが早すぎた作品なのかもしれません。
末文
さて、「Futurama」で示した”未来への展望”の先に、4thアルバム「HIGHVISION」という幻想的で芸術的な世界が広がっていきます。
どういう理由か「Futurama」はアルバムの終盤で一度崩壊してしまいますが、「HIGHVISION」はその犠牲のうえで一層輝いていくような、なんだか皮肉にも思えてきます。
「Futurama」で構築されたサウンドが極限まで研ぎ澄まされ、いよいよバンドサウンドとエレクトロサウンドの比率が逆転していきます。
”未来への展望”の先にある、クリアで次元の高い究極の作品が世に放たれ、結果的にそれは、SUPERCARが世間に広く認知されるきっかけになります。
ということで、バンドマジックを操るSUPERCARがついに辿り着いた新次元の境地「HIGHVISION」について、次回のVol.5で紹介します。
それでは。
ps.思い入れがあるアルバムゆえ、文字数がやばいことになりました(約9300文字)。拙い文章ながら最後まで読んでいただき感謝です。
乱筆にて