『ブルーキャバルリィ』 1話
「双方、鞍上の誓いを」
水上騎馬戦。
「踏み出す一歩は誇りの為に、駆ける蹄は信念の為に」
それは、飛沫飛び交う水上の格闘技。
「伸ばした手は願いの為に、掴む栄光は己が為に」
きらめく波間をかきわけ、まっすぐ手を伸ばす乙女たちに
「「―――ただ、輝く」」
誰もが、目を奪われていた。
◆
子供のころ、はじめて行ったライブ。
そこでアタシたちは壊れてしまった。
胸の奥に”どしん”と来る音。
闇夜を切り裂くレーザーライト。
ファンの笑顔と歓声が折り重なって、巨大な生き物の様にうねりを上げ、ライブという空間が作られていく。
そして、
「きれい……」
それら全ての中心には彼女がいた。
「これが、アイドル……」
キラキラと光る衣装を纏い、歌って踊るその姿が、まぶしくて、まぶしくて、あんまりにも綺麗で。
「……っ!」
気が付けば、夢中になって手を伸ばしていて──となりにいた友達と偶然手が重なり、そのぬくもりを感じると同時に、会場の熱狂も、意識さえも呑み込んで、世界が変わっていく様な、そんな予感。
そんな特別な瞬間が、アタシにとってすべての始まりで、
「アタシ、アイドルになる」
「わ、わたしも! ろーたす先輩と一緒に、ステージに立ちたい!」
熱情に浮かされたまま口にした決意を、同じくらいの熱意をもって、彼女も返してくれたことがうれしくて、
「じゃあ、やくそく。ぜったい、ぜったい、二人でこのステージに立とうね」
「うん! ぜったいだよ!」
差し出した小指に、ぎゅっと、彼女の小指が重ねられ……
「──あはっ」
ああ、もう戻れない。アイドルを知る前のアタシには。
◆
「と、思ってたんだけどねぇ」
「現実は甘くなかったっすねぇ」
死んだような目で天井を見つめる2人組──アタシ、望月ろーたすと、共にアイドルを目指しているギャル、杏川莉子の泣き言が、温泉旅館の部屋に備え付けられた広めの浴室に虚しくこだました。
アタシはあんりこが湯船に浮かべた金色の髪を片手で弄びながら指折り数え、
「フェアリーは落ちたでしょ、ソープロは書類通ったけど望み薄。あー……アルーレンはどうだっけ?」
「ダメっすね。絶対的エースだった炎天花れんげが引退して以来しょぼくれちゃって、今は新規で人を集めてないみたいっす」
とほほ、と二人して同じポーズで肩を落とし、湯船へと身体を預けると、ちゃぷ、と水面が揺れて二人分の波紋を形作る。
「詰んでるわねぇ」
「詰んでるっすねぇ」
ため息が湯に溶けていく。
オーディションに落ちた心は、ネットで話題の温泉旅館をもってしても癒されることはなかった。
「何が悪いのかしらねぇ……」
「ろーたす先輩がバカでかい胸しか取り柄がなくて性格の悪い陰険自撮り地雷女だからっすかねぇ」
「アンタがバカでデカい尻しか取り柄がなくて考えなしに何にでも突っかかるロケット女だからだと思うわ」
「はっはっは、ウチは他の人よりちょーっとだけ行動力があるだけっすよ」
「アタシの美貌を全世界に発信しないのは世界の損失だって何度も言ってるでしょ」
「……」
「……」
しばし、アタシたちの間で視線が交錯し、ばちばちと火花を散らし……一瞬の静寂。
そして、
「「やるか~~~!!」」
お互いにまったく同じタイミングで湯船から立ち上がって摑み合い、がるると牙をむく。
「センパイの自撮りを見てるオタク君なんて大半がデカパイ目的のエロガキじゃないっすか! バーカ! 承認欲求モンスター! 地雷女!」
「バカって言った方がバカなのよバーカ! アンタこの前、他所のアイドル志望の子がセクハラされてると勘違いした挙句に突撃して事態をややこしくしたの、もう忘れたの⁉ 頭にメロンパン詰まってるんじゃないの‼」
「「むぎぎ……!」」
お互いに顔を突き合わせてぎゃいぎゃいと罵り合い、子供じみた喧嘩を繰り広げること数分。
「……やめましょ、不毛だわ」
「そうっすね……さすがに疲れたっす……」
二人して肩で息をしながら、湯船にもう一度身体を沈め、天井をボーっと見上げ、浴室特有の少しぬるりとした空気に、水滴がぽたり、と落ちる音だけが響く。
「あー……ほんと、なんでこうなっちゃったんすかねぇ」
「なんでって、そりゃあ……」
「才能が無いからよ」、とは言えなかった。
言葉にしてしまったら、それはきっと、真実になってしまうから。認めなければ、見なかったフリをすれば、まだ、夢の中にいられるから。
「アタシたち」
「ウチら」
でも、もういい加減、
きっと、アイドルになるという夢は、もう。
「潮時、ってやつなのかしらねぇ」
「そう……なんですか、ねぇ」
湯船につかる身体から、力が抜けていく。
沈み込むアタシたちのため息が、ぽこりと泡になって、弾けて、まるで夢の中の様にゆらゆらと揺らめいて、消えた。
「ま、そうっすよね……」
あんりこは諦めたようにそう呟くと、「じゃ、先あがるっす」と言って大袈裟に水音を鳴らして湯船から立ち上がり、そのまま脱衣所を通り抜ける。その数刻後、ぼすんとベッドにダイブした音が聞こえた。
それから、しばらく。
アタシも脱衣所に向かい、身体を拭き、下着を身に着け、備え付けの浴衣を纏い、髪を乾かし、顔を洗い、部屋に戻る。
そして、ベッドの上で布団にくるまるカタツムリを見てため息を一つ。
「あ”によ、泣いぢゃっで……みっどもない」
「ろ”ーたずセンパイだっで、泣”いでるじゃないですか」
「うっざい、ばーか」
「ろーたずセンパイより”ましですー、あほ」
布団の隙間から覗く、黒い瞳。
普段は天真爛漫なその瞳から溢れる涙を見て、アタシはもう一度だけため息を吐いてから自身の涙を拭い、聞こえないように小さく鼻水を啜ってからベッドに腰かけた。
「あんりこ、こっちにきなさい」
「……やです」
「いいから来なさいって。もう、しょうがないわねぇ」
布団にくるまったままの彼女を無理やり引きずり出し、そのまま胸に抱き留める。
あんりこは一瞬暴れようとするもすぐに抵抗を諦め、アタシの浴衣を涙で濡らした。
「まったく、世話の焼ける後輩だわ」
「うっさいっす……ばか……」
震える背中をぽんぽん、と叩いて落ち着かせる。
こうして慰めるのは何回目だろうかなんてくだらない思考を頭に過らせながら、アタシは彼女が泣き止むまでずっとそうしてあげていた。
「アイドル……諦められないわよねぇ、やっぱり」
「ろーたすセンパイとアイドルやるって、決めたんだもん」
「うん、アタシもよ」
そう、諦められるはずがない。
だって、あの時、あのライブで、輝きに目を灼かれて、アタシたちは壊れてしまったのだから。
「アタシも、アンタとステージに立ちたいって夢、捨てられないわよ」
「ウチも、ぜったいに、すてたくない」
ぐずぐずになった声での決意は、けれども今までで一番強いものになっていて。
「どうすればいいんすかねぇ」
「わかんないわよ……」
お互いに、途方に暮れた声が出る。
けれども。
「わかんなりに、やっていくしかないでしょ」
「そうっすかねぇ」
「そういうもんよ、相棒」
ぐずぐずの泣き顔の相棒に、ぐーにした手を差し出し、
「……らじゃっす、相棒」
あの日と同じように、相棒の手が重なる。
それだけで、十分だった。
それからしばらくは、お互いに何も言葉を交わさなかった。
ただただ、静かな時間が過ぎていく。
まるで、世界に二人っきりしかいないみたいに。
──そう、あんりこのバカが、飽きるまでは。
同じベッドで胸に抱きしめていたバカは、泣き疲れても眠れず、段々この状況に飽きてきたのか、たぱん……っ、たぱん……っ、と感触を確かめるようにアタシの胸に頭を押し付けては離れてを繰り返す。
「いい加減にやめなさい」
「ぇー? やらっふ」
「やだっす、じゃなくて」
抗議の声を上げるも、アタシの胸越しにもごもごと喋るバカは聞く耳を持たず、むしろ甘えるみたいに頬ずりまでし始める始末。
「温泉のいい匂いがするっすー」
「もう、なんでアンタはこう……まったく」
仕方のない子、と。あんりこを抱きしめて、ベッドに倒れこむ。
「あー……あったかいっすー……極楽っすー」
温泉の温かさが抜けきっていないアタシたち二人分の体温が交じり合って、心地よい温もりを生み出す。
するといきなり彼女は「むむむ……」と何やら難しい顔を浮かべ、
「? どうしたのよ、あんりこ」
「いやこのセンパイの無駄にデケェおっぱいを有効活用する方法があればと思いまして」と、アタシの胸を鷲掴みにし、ふにゅんふにゅんと揉み、なにやら神妙に哲学的な表情をしやがるのでとりあえず哲学的にチョップを見舞うと「ぎゃっ」という悲鳴と共にようやくバカが離れ、隠すように胸を抑える。
「え、エッチなのは絶対やらないわよ……」
「センパイ本当にそういう話苦手っすもんねー。大丈夫っす、ウチだって嫌ですから。このおっぱいはウチが毎日丹念に揉んで育てて来たんすから、ウチのものっす」
「アンタのでもないっつーの」
ふん、と鼻を鳴らし、再びアタシは枕に頭を預け──うっかり口を滑らせる。
「まぁ、この際水着くらいなら着てあげてもいいけど」
瞬間、ぐるん! とあんりこがこちらを向き、
「……マジすか!?」と叫びながら顔を寄せてくる。それはもう、さっきまでの涙はどこにいったんだと言いたくなるほどの満面の笑みで。
「ま、ちょ、ちょっと、顔近……」
「マジすか⁉ 水着っすよ⁉ マジでセンパイが着てくれるんすか⁉」
「……そ、それだけの価値があるって言うなら、考えてやっても、いい……」
そのあまりの勢いに気圧されたアタシは、ついつい頷いてしまう。ああ、またやってしまった……と、流されやすい自分を責めるも時すでに遅し。
「うおおおおっしゃー! マジすか⁉ マジで⁉ 水着⁉ いやっほおおおおおおおおい!」
先ほどまでの悲しい空気が嘘なんじゃないかって位満面の笑みになった彼女は、ぴょんぴょんとベッドの上を飛び回って全身で喜びを表現。
「あーもう、うっさい……わかったから……わかったからちょっと落ち着いて……水着くらいでハシャぎすぎよ……」
呆れたように頭に手を当て、ベッドの上ではしゃぐあんりこに向かってそう呟くと、彼女は急に動きを止めて、
「違うんすよ!ろーたす先輩の水着姿が見れるのはそりゃもうマジ最高に嬉しいんすけど、違うんすよ!」
と、スケベの言い訳を始める。なんて哀れな奴なんだ。
情けなくも性欲を隠そうとする往生際の悪い後輩に蔑むような視線を一身に浴びせ、
「違うって、じゃあなんなのよ」と問い掛ける。
それに彼女はちっちっちと舌を鳴らし、
「センパイはわかってないっすねー」などと煽りよる。
そして、彼女はもう一度ベッドの上で飛び跳ねると、ビシィっと指をこちらに突きつけて叫ぶ。
「ウチに、秘策があります!」
なんとも腹が立つドヤ顔だった。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「ふっふっふ、まぁそう言わずに。見てください」
彼女はそう言うなりベッドから飛び降りると、鞄の元へと向かい、中身を漁り始める。
「ろーたす先輩は露出を嫌がると思っていたので諦めていたのですが……これなら、いける!」
あんりこが自信満々に掲げたのは、A4サイズくらいのタブレット端末。
その小さな液晶に表示されたのは、水着の美女ばかりが映った動画サイトのチャンネルで──
「ブルー……キャバルリィ……?」
「いま最もアツいチャンネル……水上騎馬戦で、夢を掴みます!!!」
◆
水上騎馬戦『ブルーキャバルリィ』通称ブルキバ。
水上の格闘技とも称させれるこの競技は、2人1組で肩車のように騎馬を組み、お互いの胸に付けた花を奪い合うというシンプルなルールと水着で戦う乙女たちの可憐さから配信サイトを中心に人気を博し、今や登録者300万人を超える大人気コンテンツである。
勝者には同接数・投げ銭に応じた賞金が支払われ、300万人超えのチャンネルに1本動画を投稿する権利が与えられる事から、夢見る若者たちが己が夢を掴むため、日夜、死闘を繰り広げていた。
そしてその主催者、全身の肌が髪が病的なまでに白く、紅玉の様な目を持つ少女、渡良瀬歩はブルキバで負けて尚ヘラヘラとした笑いを崩さない新人を見て、憂いていた。
「”可憐”じゃあないねぇ……」
元来病弱であった彼女は、命を懸けて必死に何かへ打ち込む人が好きだった。
死が身近であるが故に自分では出すことの出来ない生命の輝き、人生の全てを懸けて手を伸ばそうとする儚くも美しい汗の結晶、それが見たくてこのチャンネルを作った。
だが、チャンネルが大きくなるにつれ勝てればラッキー、というレベルの参加者が増えてきた。上位者やスター選手は志が高い者が殆どだが、多くの新人がこれでは先が思いやられる。
「ま、仕方ない。そろそろ潮時だったんだ」
ため息交じりにそう呟いて、目を閉じ想いを馳せる。
せめて最後に、何か大きな輝きを見てみたい。
あの、炎天花れんげの様な、とびっきりの光輝く何かを──そんな感傷に浸りながら、もう一度深くため息をついて、ゆっくりと目を開くと、
「なにあれ、乱入者?」
「いきなり現れて……演出?」
会場のど真ん中。
そこに、バカでかい胸の地雷系女と、黒いビキニのギャルが肩車を──騎馬を組んで立っていた。
「渡良瀬さん、どうしますか? 追い出しますか?」
スタッフが、困惑したような顔で話しかけてくる。
確かに、本来急な乱入は御法度であるのだが、
「なかなか、”可憐”じゃあないか」
その二人組の必死な表情に、魅せられていた。
──ああ、この子たちなら。もしかしたら。
そんな予感と共に、スタッフへ「大丈夫」と笑って返し、
「このままやらせてみよう、面白いものが観れるかもしれないよ」
じんわりと汗をかいていた手を握り、祈るように呟いた。
◆
『乱入者を倒した方には、勝利特典が与えられます』
そのアナウンスが流れた瞬間、幾つもの殺意がこもった目線がアタシたちに注がれ、直感的に現状のヤバさを理解した。
「や、ヤバい……っ! あんりこ、これ思ったよりも全然ヤバいって!」
「はっはっはー! 上等っすよぉ! これしきのトラブル、慣れっこっすから!」
「そりゃトラブルメーカーのアンタはそうかもしれないけど!」
あんりこの秘策。
ブルキバに出場し、勝利報酬でライブを勝ち取り全世界へ配信するというプランは開始5秒で頓挫しかけていた。
「「「「「ぶっ殺す!!!!!」」」」」
叫びが幾重にも重なり、殺気は密度を増し、会場のボルテージが一気に跳ね上がっていく。
先頭にいたお嬢様風の女2人が騎馬を組み、一歩前に出た瞬間に集団が決壊。まるで堰き止められていた大量の水が濁流となって押し寄せるように、「死ねぇぇぇ!!!!!」という絶叫を伴って、一斉に水着の騎馬たちが襲い掛かってくる。
女の子が水着で行う騎馬戦なんて深夜とかインターネットのエッチな番組でたまにやってるお遊びみたいなものでしょ? そうやってタカを括っていたアタシをあざ笑うかのように、シャレにならない速度で突撃してきたお嬢様の鋭い拳があご先を掠めていく。
「ちょ、直接殴りかかるのって反則じゃないの⁉」
「目に指を入れたりしなきゃ大体大丈夫ですわ!」
「滅茶苦茶じゃない!」
「ブルキバは水上の格闘技と呼ばれていますのよ‼」
再び、今度は顔面狙いの右ストレート。
すんでのところで直撃を避け、一旦仕切り直そうと思いっきり距離を離してから後ろを振り返ると、
「その首もらったぁ!」「どけぇ! その女の顔面を粉砕するのは私だぁ‼」「アネゴォ! オデもやるどー!」
総勢30人以上のビキニ水着の少女たちが、騎馬を組んでこちらに向かって押し寄せていて──
「とりあえず逃げるわよ! 逃げて、逃げて、逃げるのよ!」
「らじゃっす! センパイ、振り落とされないでくださいっすよぉ!!」
アタシたちは恐怖に負けて、逃げ回る事しか出来なかった。
◆
渡良瀬は逃げ回る彼女たちを眺め、多少の落胆と共にそれでも、と心の中で呟く。
(速いな……)
彼女たちの騎馬は水中とは思えないほど軽快な動きでプールの中を縦横無尽に駆け回っており、主催者として数多の騎馬を見てきた渡良瀬を以てしても舌を巻くほどの速度だった。
(上に乗っている、ろーたすとか言われていた騎士の方も、おそらく目がいいんだろう)
その表情は青ざめ、脂汗が滲みだしてはいるが、四方八方から迫る攻撃を全て紙一重で回避しており、その一挙手一投足に観戦に回った者や配信を見ている視聴者達から称賛の声が多数上がる。
(アレは、伸びれば上位に食い込むだけの力はあるな)
現在先頭に立って彼女たちを追いまわしている満智院君たちも頭は悪いから戦績は振るわないが、能力だけで言うなら中の上くらいはある実力者だ。それから逃げ切っているという事実は称賛に値する。
だからこそ、惜しい。
(覚悟がない、かな……)
ブルキバにいきなり飛び込む度胸はある。だが、その後、自分が成功するイメージを持てていないのだろう。今まで数多の挑戦をして、そのすべてに負けてきた者特有の諦念というか、負け癖というか、そういうものを彼女たちからは感じる。
足が速いのも、回避が上手いのも、素晴らしいことだとは思う。
思うが、それだけだった。それ以上ではない。
彼女たちにはこの競技に最も必要な資質が欠けている。
「ま、仕方ない。やっぱり潮時だったんだ」
ため息交じりにそう呟いて、目を閉じ想いを馳せる。
するとその瞬間、頬にぴたりと冷たい感触が押し付けられ、思わずひゃっと小さく悲鳴をあげてしまう。
慌てて目を開けるとそこには、ニコニコとした笑顔で缶ジュースを差し出す昔なじみの顔があった。とりあえず責めるような目線を送っておく。
「……なんだい、枢木君?」
「いえ、なんだか面白そうなことをしておいでのようですので」
彼女はそう言いながら、持っていた缶ジュースをこちらに差し出す。夏には相応しくない、どろりとした後味の桃ジュース。彼女の好物だった。
「ちょっとね、若い子達が頑張ってるから応援してただけだよ」
「あらあら、珍しく優しいんですね。私たちにはスパルタだった癖に」
「ボクはいつだって優しいし、期待している人にはスパルタだよ」
「期待していたのはれんげに対してだけでしょう」
彼女は困ったように微笑んで、自分の桃ジュースに口を付ける。
ボクは特に言い返すこともせず、彼女と同じように一口飲んでそのまま視線を前へと向け直す。
「似ていますね、あの子に──私たちのパートナーだった、炎天花れんげに」
「そうかい? 彼女はもっと凄かったよ」
と返すと、彼女はまた楽しそうに笑った後、どこか寂しそうに顔を伏せ、
「最初はこんな感じでしたよ、ギャーギャー言いながら泣いて逃げ回って、負けて大泣きして、そのくせ翌日になったら前を向いている──本当にそっくり」
そう言ってこちらを見た彼女の顔はひどく優しげで、それでいて瞳の奥には深い哀しみの色が宿っていた。
そんな表情をされてはこちらも何も言えず、黙って桃ジュースを口に含むことしか出来ない。甘い味が口の中に広がり、喉を通り抜けていく感覚を感じながら、目を閉じる。
「……もう、2年になるんだっけかねぇ」
誰に言うでもなく、小さくつぶやくと、枢木君が頷く気配がした。
そして、そんな2人の会話を遮るように、大きな歓声が上がった。何事かと思い顔を上げると──その先には、予想外の、そしてずっとずっと待ち望んでいた光景が広がっていて──
ああ、この子たちなら。もしかしたら。
「なかなか、”可憐”じゃあないか」
そんな予感と共に、僅かに跳ねあがる心臓に合わせ、痛いほど強く手を握りこんでいた。
◆
なんなのよ! なんなのよ!! なんなのよ!!!
もうめちゃくちゃである。
右からグラドル崩れが拳を放って来たかと思えば、後ろから売れない配信者が配信には乗せられない言葉を叫びながら迫ってくる。それを必死の思いで躱した先には先ほど襲ってきた満智院とかいうお嬢様気取りが待ち構えていて眼球目掛けて裏拳を放つ。それって反則じゃないの! と本日二度目の叫びをあげた瞬間、満智院の口角があがり、三文字の言葉が呟かれた。
ま。
ぬ。
け。
あと一歩の所で届かない。
才能が。覚悟が。自信が。
ぜんぶ足りない。
(わかってる。そんなの、アタシが一番わかってる)
だけど、それでも、アタシは、アタシたちは。
『じゃあ、やくそく。ぜったい、ぜったい、二人でこのステージに立とうね』
『うん! ぜったいだよ!』
だから、
「やめたわ」
「え?」
ゆっくりと、顔を上げていく。
鼻血にをぬぐい、震えの止まらない肩を大きく上下させ、大きく息を吸い込んで言葉を続ける。
「やめたって、センパイ……」
「勝負を諦めて、情けない顔で逃げ回って、そんなアイドルに誰が焦がれるって言うのよ」
そうだ、絶対に違う。そんなもの、アタシたちの憧れたアイドルなんかじゃない。あの日見た、あの輝きとは程遠い。
「主催! そういえばアタシたちの勝利条件を聞いていなかったわよね!」
渡良瀬はその言葉を受け、満面の笑みを浮かべて答える。
「もちろん! ここにいる全員を倒したらさ!」
「そう、だったら──」
勝ち取って見せる。
誰よりも強い想いを抱いて、何度負けても這いつくばって進んで来たんだ。今更怖気づいて、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。そんなもの、アタシたちの憧れたアイドルなんかじゃない。
「行くわよ! 相棒」
それに、約束したじゃないか。必ず一緒にって。
あんりこは一瞬呆けた顔をした後、力強く頷きながら、同じように叫んだ。
「らじゃっす! 相棒」
さあ、もう一度始めよう。ここからが本当のスタートラインだ。
「全員まとめてかかってきなさい‼」
再び走り出し、戦場を駆る。
目指す場所はただ一つ。
眩い光の中、輝く舞台。
1人では無理でも、2人でならきっと辿り着けるから。
◆
「ほーら行くっすよ、ろーたす先輩」
「ちょ、ま、まだ心の準備が……!」
「準備なんて、今まで散々してきたじゃないっすか」
「それはそうだけど……!」
それでもやっぱり、足が竦んでしまう。
目の前にはステージ、そしてアタシたちを待ちわびる観客。
あと一歩。あと一歩踏み出すことが出来れば、その輝きの中に足を踏み入れることが出来るというのに、アタシは──
「先輩」
そんな情けないアタシの手を、あんりこの小さい手のひらが、ぎゅっと包み込む。それは小刻みに震えながら、でもどこかしっかりと力強くて。
そして、アタシの目をしっかりと見ながら。
「ずっとずっと夢に見てきました。この光景を、先輩と2人で見たいって、ずっとずっと思ってきたんす」
アタシたちは1人でステージに上がれる程、強くない。
それでも、2人なら。
彼女と一緒なら、きっとどこまで高く飛べる──だから言う。
いつもみたいに、無責任に。
最高の相棒は、全力で応えてくれるから。
「行くわよ、相棒」
「らじゃっす、相棒」
一歩ずつ。
踏み出し、その輝きの中へ。
そして、アタシたちは壊れてしまった。
胸の奥に”どしん”と来る音。
闇夜を切り裂くレーザーライト。
ファンの笑顔と歓声が折り重なって、巨大な生き物の様にうねりを上げ、空間が作られていく。
そして、
「きれい……」
それら全ての中心にはアタシたちがいた。
「これが、アイドル……」
ファンが創り上げるサイリウムの光が、きらきらと波うち、会場のボルテージと共に激しくなっていく。
そしてアタシたちを見つめる無数の瞳が、まるで星の様に輝いていて、あんまりにもまぶしくて、まぶしくて、綺麗で。
「……っ!」
気が付けば、あの日と同じように、夢中になって手を伸ばし──隣にいた相棒と、かつてアイドルに憧れて手を伸ばした自分たちの手が重なって、ぬくもりを感じると同時に、会場の熱狂も、アタシの意識さえも呑み込んで、世界が変わっていくような、そんな予感。
「さぁ!本日の勝者の登場です!お二人とも、お名前をどうぞ!」
その名前は、小さい頃から2人で考えていた。
いつか2人で夢を叶えたとき、この名前を名乗ろうと。
「アタシたちは──アイドル」
全てを輝きに包み込み、星のように煌めき続ける誓いと共に名付けたユニット名。
その、彼女たちの名は。
「アイドルユニット、ポラリス」
これから世界を熱狂させる、最高のアイドルたちの名前だ。