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キャンプの魅力で気づいた新世界の7つのヒント

僕は、キャンプが好きだ。大学生のころは、ほぼ毎週、バーベキューに行き、友人と火を囲みながら、くだらない話にみんなで腹を抱えて笑ってたなぁ。社会に出てからはキャンプから離れていたけど、ここ数年、またキャンプをやり始めたんだよね。妻もキャンプが好きなので、結婚前からほぼ月イチペースでキャンプ。昨年は、ソロキャンもしてみたんだ。ひとりでテントを立て、ひとりで川に飛び込み、ひとりで釣りをし、ひとりで釣った魚を調理。ひとりで焚火と星空とビールと魚料理を楽しむ。すげー楽しい。そんなこともするようになったんだ。そこで感じるのは、学生のころとは人数や規模は違えど基本的にやっていることは変わらない。しかし、キャンプに対する見方が大きく変わったってこと。僕は新世界を創ろうとしているが、そのヒントがキャンプにあるということに気づいたんだ。

キャンプ場には許しがある
まず気が付いたのは、キャンプには『許し』があるということ。基本的にキャンプ場で何かやらかしたとしても、「まぁ、キャンプだからね」という言葉で片付くんだよね。調味料を忘れた。服を汚した。何かを壊した。料理をこぼした。日常生活で忘れ物をしようものなら罰を受けなければならないこともあるけど、キャンプにはそれがないんだよね。「忘れちゃった? あ~、どうしようね」くらいのもの。日常であれば、子どもが着替えたばかりの綺麗な服を汚そうものなら烈火のごとく怒るけど、キャンプでは汚れて当たり前という前提があるからか、「もう、しょうがないなぁ」と言いながらも子どもが服を汚すままにさせている。基本的に、人や動物などの命に関わることでなければ、大抵のことが許されるのがキャンプなんだ。

本当にやりたいことをやれる
キャンプ場は、基本的にやりたいことをやれる場所。もちろん、キャンプ場のマナーはあるけれど、マナーの中でなら基本的に何をやっても許される。許しの場があるので本当にやりたいことをやろうという気持ちも芽生えやすいし、実際にやっちゃう場合も多い。焚火をしたい人は焚火をすればいいし、釣りをしたい人は釣りをしたらいい。水に飛び込みたい人は水に飛び込み、読書したい人は読書して、酒飲みたい人は酒を飲み、昼寝したい人は昼寝をする。本当にやりたいことをやって、それを邪魔されることも非難されることもないのよ。互いがやりたいことをやっているのに、なぜか自然と寝床ができ、料理ができていて、片付けも終わっているという不思議なことが起きるんだ。誰かに強制することも、嫌なことを押し付けることもないのに、自然と快適な空間ができあがる。これがキャンプの面白いところ。

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奪い合いではなくシェアが起きる
本当にやりたいことをしていると何が起きるかっていうと、シェアが起きる。「俺、焼きそば作ったからみんなで食べてよ」「俺、火焚いたから温まってよ」「魚釣ってきたからみんなで食べよう」「写真撮ったから、あとでみんなに送るね」なんてことが当たり前に起きるんだよね。焼きそばを作ったひとが独り占めするなんてことは、ほぼない。誰かの何かを奪おうとすることもない。もし隣のテントの人が困っていたら、すかさずヘルプに行くなんてのは普通にあるんだよね。そんなことが当たり前に起きるのは、自分が本当にやりたいことをやって心が満たされているからだと思うんだよね。自分が幸せを感じているから、幸せをおすそ分けしたくなる。キャンプ場には幸せの循環が起きている気がするんだ。

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子どもが色んな大人から学べる
日常であれば子どもの教育は親や先生がすることがほとんどだよね。だけど、キャンプでは特定の人が子どもを教育することはなく、みんなで教育をしあう。キャンプには星に詳しい人、野草に詳しい人、料理が好きな人、上手に泳ぐ人などいろんな大人がいる。中には研究者並みに詳しいオタクみたいな人もいる。子どもたちは、そんな大人たちから色んなことを教えてもらうことができるんだ。星に詳しい大人からは星を、野草に詳しい人には野草を、料理好きの人からは料理を、水泳がうまい人からは水泳を教えてもらえるんだ。小学校の先生のように国語算数理科社会をひとりで全て教える必要もない。大人が好きなこと、知っていることを子どもに教える。というより、一緒に楽しむことで子どもは勝手に興味を持ち、あれこれと質問をし、学んでいく。机も教科書もテストもいらない。だけど、活きた知恵が様々な大人から学ぶことができるんだ。

創造性を養える
キャンプ場って基本的に何もないのよ。何もない場所にテントを張り、火を起こし、ゼロからいかに居心地のいい時間と空間を創るかがキャンプの楽しみだったりするわけ。日常であれば、当たり前のように雨風をしのげる家があり、蛇口をひねれば水が出て、いつでも温かいお湯に浸かることができる。しかし、キャンプ場にはその当たり前がない。『ない』状態から『ある』を創り出す。その方法はネットで調べても出てこなかったりもするので、自分の頭を振り絞るしかないんだ。そんな自然の中の『ない』環境にいるからこそ創造性は養えるんだ。

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ヒエラルキーがない
キャンプ場にはヒエラルキーがないように感じる。どっちが上とかどっちが下とかないのよね。老若男女が平等に一緒に楽しめる。「俺が焼きそばを作ってやったんだ。ありがたがれ!」みたいなことは無い。本当にやりたいことをやっているから、その幸せのおすそ分けがあるだけで『与える人』『与えられる人』の分離がないんだよね。だから、ヒエラルキーもない。バトルもない。コントロールもない。それがキャンプ。

つまるところ分離感がない
結局のところ、キャンプ場には分離感がないっていうのが、僕の感じるところ。何かをする必要性もなく、成功も失敗もない。ひとりだけが楽しむのではなく、楽しみがシェアされていく。もちろん完全にないわけではないけどね。それでも、分離感がなく、そこに付随してくるバトルも、コントロールも、ヒエラルキーもない状態というのがキャンプ場にあるんだ。

とまぁ、キャンプでの大きな気づきは、この7つかな。

何をしても何もしなくても全てが許されて、何の束縛もなく心から望む本当にやりたいことがやれて、その喜びをシェアしあえる。そのシェアから大人も子どもも様々なことを学ぶことができて、色々なチャレンジをしたくなり創造性も養える。争いもコントロールもヒエラルキーも一切なく、誰か特定の人だけが幸せになるのではなく、みんなが幸せ。

そんな世界ってどうだろう? 今の日常の中にそれはあるのかな? 僕が創りたい新世界は、それが当たり前になった世界なんだ。キャンプでは、そんな新世界を体験することができるんだよね。だからさ、みんなキャンプに行こう! そして、新世界を体験しようぜ!

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黒崎英臣
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