YoutubeのトレンドGRWMは新世界では当たり前
昨年くらいから耳にする機会が増えてきたGRWMという言葉。Youtuberとかがよく使っていて動画タイトルになっていたりして、GRWMの動画は人気みたい。GRWMっていうのは何かって言うと、『Get Ready With Me』の略で『わたしと一緒に準備をしましょう』って意味。つまり、GRWMの動画っていうのは、お出かけやデートの準備を一緒にしましょうっていう、何かの準備を視聴者と一緒にする動画のこと。僕はこのGRWMが新世界では当たり前だなって感じるんだよね。
GRWMが当たり前って言っても、こうした動画が当たり前になるとかじゃなくて、注目したいのは『一緒に』っていうところ。GRWMの後半『WM』、With Me(一緒に)が新世界では当たり前だなって感じるんだ。その理由はただ一つ、分離感がないから。例えばね、Youtubeの朝のメイク動画。GRWMの動画にはメイク動画が多いのだけど、GRWMじゃなくてもメイク動画ってあるのよね。『わずか10分で小顔に変身するメイク術』みたいな動画があるんだけど、これってGRWMの意識があるのとないのとでは、視聴者との関係性が全然変わるなって感じるんだ。
GRWMの意識がないと、作り手と視聴者に『教える人と教えてもらう人』という分離感が生まれてしまうなって。それによって、ヒエラルキーが生まれるなって感じるんだ。これはもちろん作り手本人にその意思はないと思う。だけど作り手がメイクの仕方を『教える』というスタンスだと、必然的に『教えてもらう人』が生まれちゃうんだよね。もう自動的に分離感が生まれちゃう。そんな関係性になっちゃうんだよね。
一方、GRWMの意識がある場合、作り手と視聴者は一緒に何かをする友達になる。一緒に同じことをして、ゴールを目指す友達であり、パートナーであり、仲間の関係性が構築され、そこに分離感はない。実際にメイクの仕方を教えたとしても、前提が友達だから、メイクに詳しい友達から教わっているようなもの。そこにヒエラルキーはないんだよね。そこに分離感は生まれないんだ。
動画で伝えることが同じ『わずか10分で小顔に変身するメイク術』でも、『教える』のか『一緒にやる』のかで関係性が大きく変わってくるね。先生に教えてもらうのか、友達に教えてもらうのか。同じことを教えてもらうのでも、そこでの楽しみ方、関わり方、その場に生まれるエネルギーみたいなのが全然変わってくるんだよな。
僕は12年以上、セミナーをやっているんだけど、以前は先生のポジションを取ろうとしていたんだ。「僕があなたを幸せにします」「僕があなたに教えます」みたいなスタンスで参加者と接し、権威性を示すようなことをしていた。そうするとさ、僕は先生って呼ばれるし、頼ってもらえるし、尊敬もしてもらえるから気持ちよかったんだよね。だけどある時、こう感じたんだ。
なんか疲れる……
僕が先生というポジションを取ることで、当然ながら『先生と生徒』という心理的な分離感が生まれ、ヒエラルキーを作ってきた。自分の意志で意図してやった事なんだけど、次第に疲れてきちゃったんだよね。確かにその場は気分が良いけど、満たされている感じもしない。なので、参加者との関係性を一から見直したんだ。
僕は、お客様とどのような関係性を気づきたいのか?
それを考えたところ、僕はお客様と親友の関係になりたいって思った。親友であり、家族であり、パートナーであり、時としてライバル、互いに師匠と弟子、そんな関係性で付き合いたいなって。どっちが上でも下でもない。肩を組んで歩ける仲間の関係性がいいなって。そんな思いが僕の中にあることに気が付いたんだ。だから僕は、そんな関係性を実際にセミナー参加者と構築するために、『教える』のではなく、『一緒に創る』を意識してセミナーをやるようにしたんだ。それからというのも、セミナーをこれまで以上に楽しめるようになった。参加者の話を聞き、その場に合わせて話が変わっていく。だけど、必ず落ち着くところに落ち着く。毎回、決まったテーマはあるけど展開がどうなるかが全く分からない。だけど、参加者が欲しいものは持って帰れる。そんなセミナーになったんだ。
そんな経験もあって強く感じるのは、お客様との分離感を取り除くことの大切さ。僕が『教える人』というスタンスでいると、どうしてもヒエラルキーが生まれちゃうし、そのスタンスを維持しようとコントロールしようとしちゃったり、マウンティングしちゃったりするんだよね。本当はそんなことしたくないのに、無意識でやっちゃう。だからもうそんな分離はやめて、『一緒に創る』というのを当たり前にしたらいいなって思うんだ。
僕の思い描く新世界は、分離感はどこにもなく、ヒエラルキーもマウンティングもコントロールもない世界。その世界は『一緒に』という意識で創り出されると思うんだよね。だから、GRWMは新世界では当たり前のことになってるんだなって感じるんだ。一緒にやること、一緒に創ることが当たり前。特定の人が創るのではなく、みんなで創る。それが新世界だなって僕は感じるんだ。