帰りの電車で、深淵を覗いたし覗かれた話
帰りの電車で、深淵を覗き、深淵に覗かれる経験をしました。
人は皆、観察者であり、観察される対象である
満員電車で帰る。
吊革に捕まり、揺られながら真っ黒の窓を眺めていると、
正面に座る女性の前髪に止まる、1cm程のベージュ色をした蛾が視界に入った。
ちょっとした髪飾りのようだった。
言えなかった。
かと言って、手で払ってあげることもできない。
見て見ぬふりをするしかなかった。
蛾の中でもとりわけ小さな個体に対して無力であることに気づいたとき、私は人間としての尊厳を失っていた。
尊厳を失ったと同時に、私の目は蛾に釘付けになっていた。
「頼むから、俺のとこに飛んできてくれるなよ」
私に不利益をもたらすことを避けたい一心だった。蛾の一挙手一投足に夢中になり、私の方へ飛んでこないことを必死に祈る。蛾は女性の前髪から飛び立った。右に座る50代男性の背中にそっと触れたあと、つり革を掴む私の右隣のお爺さんの眼の前を飛び回り、その後は床に落ち、見失ってしまった。
その時、私は気がついた。というより、怖くなった。
目の前の1cmの蛾に必死になっていたが、
私の身体にもっと大きな蛾が止まっている可能性は無いのか?
他人を憐れむとき、憐れみの目で見られている
前段が長くなりました。
要するに、「眼の前の状況に夢中になり、自分が今どうなっているかなど考えが及ばなかった」ということです。
目の前の女性の髪に止まる、蛾の妖艶な動きに恐れ慄く間、
私の髪の毛にも蛾が止まっている可能性を完全に度外視していた。
「深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているのだ」ってニーチェの言葉、まさかこれのことなのか?
もしも私の肩にムカデが這っていれば、
目に映る1cmのベージュ色にビクついている私の姿は、あまりにも滑稽でしょう。
ニーチェも残業終わりの満員電車で虫にビビりながら、
深淵に関するあの名言に至った事に疑いの余地はありません。
もう、我を見失わない
あの小さな蛾のおかげで、他の事象に気を取られず、常に自分がどういう状態であるかを考える必要があると学んだ。
もしもムカデが身体を這っているなら、
眼の前の蛾なんぞにビビってる場合じゃない。
深淵をきたい!と思う皆様、くれぐれもご注意を。
変な髪飾りをつけていないか、常に気を配ってください。
余談
車両に乗り込んでくるタイプの虫、あまりにも強すぎませんか?
人間という上位存在に対して、ここまで不快さを与えることができる生物はこの世に存在しません。
さらに、電車賃を払うことなく、飛ぶ労力を抑えながら長距離移動を叶えています。
頭脳明晰かつ人間にストレスを与える存在。
それが1cmベージュの蛾という虫です。
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