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「登場人物の気持ちを答えよ」という問いに意味はあるか?
「他に問うことないの?」
お気持ちなんてわかるはずがない
登場人物のお気持ちをやたらと問われた学生時代。
学校のカリキュラムに特段の疑問を持たず、悪い意味で素直な学生だった私だが、「登場人物の気持ち」を問うタイプの問題は、当時からその必要性に疑問を抱いていたように思う。
「本人に直接聞いてくれよ…」
誰しも、一度はこう考えたのではないか。
そして、「登場人物の気持ち」なんて推論でしか成立しない問題に、明確な答えはあったのだろうか。読み手それぞれの解釈次第ではないか。
国語教師独自の解釈を答えとしていたが、何を持って「正しい」としていたのだろう。
また、教師が作成した問題に正解した場合、教師の解釈と生徒の解釈が一致したとも言える。生徒と教師の解釈一致がして何になる。作品が置いてけぼりだ。登場人物ではなく教師の気持ちを理解してどうする。
相手の立場になって考える練習だこれ
答えが教師次第ではないかというツッコミは置き、あの問いの意味はなんだったのか。
あれの意味は、登場人物の感情を推測し、共感能力を養うためのものだ。
自分だったらどう考えるか、ではなく、相手はどう考えるかという視点のみで関わる練習になる。前後の文脈から他者の感情を理解することに努める。
表情が確認できるならともかく、感情を読む相手が文字になれば、なおさらその難易度は上がる。せめて漫画にしてくれ。
「気持ちの問い」は、他人と関わることが大前提である社会で生きていくための処世術を養うための第一歩であり、周囲の気持ちを推し量り、空気を読んだ行動をする日本人特有の訓練なのだ。
余談
空気を読みがちな日本人が、感情を問う形式の問題を広めたのか。
感情を問う問題が、空気を読む日本人を生んだのか…
前者と勝手に予想する。
国語教育の一片である「登場人物の気持ちを答えよ」だけで国民性が作り上げられたとは考えにくい。
なら何が作り上げたのか、と詰め寄られると困る。
詰め寄られているときの私の気持ちを考えてほしい。
おわり
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