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食器という趣味から滲み出る勝ち組感について

なんで5000円の皿を買うんだい?
その皿を買う金で何杯ラーメンが食べられる?
消耗品とまでは言わないが、食器なんて割れるリスクがつきまとう。
料理の味が皿の柄で変わるとでも言うのだろうか?

…大学生の頃はこんな風に考えていました。
今は、「食器」はこの世の中に存在する趣味の中で、
もっとも優雅であり、かつであるものであると捉えています。

「収集癖」と「実用的」が絡む真の沼

「お皿が趣味」な人は、「お皿を集めることが趣味」であるケースが多い印象です。
イッタラなど、特定のブランドの皿やグラスを揃えることが、気分を爆アゲさせるようです。

なぜ食器を集めたいのだろう?

考えてみるに、「食器という趣味にはコレクション要素があり、かつ生活において最も実用的であるから」ではないか?と仮説を立てました。

究極の自己満足

食器がいかに優雅な趣味であるか、深堀ります。

収集癖は人間の性です。好きなものに囲まれると心臓がドキドキします。
では、トレーディングカードやフィギュアなどの「ザ・収集」のようなものは、食器と比較してどうでしょうか。

…生活における実用性に欠けていますね。
町中でブルーアイズデッキを所有していないことにより、不利益を被ったことは今のところはありません。

実用性という側面から考えてみます。
「使いやすい」が嫌いな人間などいないでしょう。
使いやすいから、という理由でゲームはしないがゲーミングデバイス(キキーボードや椅子)を使用している方も、ここ最近は多い印象です。

実用性が高い趣味として、読書が浮かびました。
…しかし、読書は知識を活かしてやっと役立つと言えるので、生活に落とし込むのはハードルが高いです。
集めて食べ物を乗せるだけで成り立つ趣味に比べれば、やはり劣る。

唯一の対抗馬として、収集癖、実用性という側面を兼ね備えた趣味は、「スニーカー」ですかね。

ただ、やはり食器が優雅です。
なぜなら、皿は1日3回の食事において選び放題であることと比較し、一度の外出で一つのスニーカーしか選べません。食器のほうが自由度が趣味として勝るように思えます。
スニーカーを片足ずつ別の種類で履いたり、途中で履き替えるためのストックを持ち歩くなどの奇行に走っても、敵いません。
それはただの変人であり、優雅ではないでしょう。

趣味としてのレベルの高さ

人間が避けて通れないデイリーイベントである「食事」に根付いている時点で、使用頻度が高い。
何度も目する。何度も触れる。
食器は、趣味としてとんでもなく満足度が高いように思います。

睡眠やトイレも、人間の生活上は避けて通れないという食事との共通点がありますが、
枕を大量購入するわけにもいきませんし、ブルーレットを全色揃えて飾る趣味など、到底成立しません。


食器のネックな部分は、やはり金額面ですね。
重ねて収納できる分、何枚も購入できる。そして、定期的に割れる。
一度おしゃれなお皿を買ってしまえば、より優雅になるためにさらに収集し ます。また、割れてしまったら優雅さを損なわないように新しい皿で補填する。

沼です…。


オシャレなお皿の上には、
人間の収集癖をくすぐり、実用面を兼ね備えた、抜け出せるとは到底思えないどす黒い高級な沼が盛り付けられています。


好きなアーティストのライブに行かずとも、食器は棚を開ければすぐに目にすることができる。
知識や映像、音楽などとは異なり、有形であるため直接触れることもできる。
好きな柄や形を軸に収集を楽しみながら、自分の生活そのものを支えてくれる。

これが食器という趣味です。

優雅。そして恐ろしい。



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