
もう人生は全部「登山」に例えとけばいいんじゃないかな
「人生は山のようなものだ。」
人生は辛いことと楽しいことの繰り返しですよね。
そりゃ登山に例えられるわけです。
山という存在、例えるにあたってはあまりにも便利すぎません?
教養を身につけることすら、登山である
福田恆存の『私の幸福論』にて、教養について触れている部分があります。個人的に斬新な山の使い方をしていたので、要約した内容を紹介します。
登山は、足場の悪い砂利道や険しい岩場を経て頂上へ向かう
頂上にたどり着いても終わりではない。今まで見えていなかった別の山が周囲を囲っていたということに気づく
知識を身につけることにより世渡り上手などになることはない。むしろ世界の複雑さを知りながら、この先も生きていくことを意味する
大学生時代に訪れた、京都の伏見稲荷だったと思います。
すべてが嫌になるくらい長い階段を登りきると、開けた場所に着きました。
あぁ、やっと頂上かと思ったら、ただの中継地点で、絶望したことを今でも覚えています。
引き返すわけにもいかないので、とりあえず頂上まで登りましたね。
途中からもうあんまり記憶ないです。

また、同著者は「教養を身に着けた人の態度」に対する批判すらも、山で例えています。
大抵の人が、新しく知ったことについて、いい気になりすぎる。そればかりに眼を注いでいるものですから、かえってほかのことが見えなくなる。峠の上で自分が新しく知ったことだけが、知るに値する大事なことだと思い込んで、それにまだ気づかぬ谷間の人々を軽蔑する。(中略)そういう自分には、もう谷間の石ころが見えなくなっていることを忘れているのです。
個人的にはとても耳が痛い。ただの紙の本なのに。
毒でHPが削られている気分です。
アンチエイジングを始めたての頃、ポテチ(老化物質)を堂々と貪る友人に対して、今すぐやめたほうがいいと説教したことがあります。
つい数ヶ月前まで自分も食べていたというのに…
努力が絡む要素は、もう全部登山だよ
冒頭で書いた通り、人生は辛い出来事ばっかりです。
「人生の山場」とか、「悲しみを”乗り越える”」とか言いますね。
面倒な風呂掃除とトイレ掃除。
腰が重いですが、いざ始めてしまえば、案外すぐ終わってしまい、きれいな景色が待っています。これもまた登山ですね。
また、人生そのもの、つまり年齢を例えるときも登山でいいです。
若い頃は努力をして、頂上までたどり着いたらあとは緩やかに降りていく。
結果的に、いずれ麓(死)にたどり着く。
上りで滑落する人も、下山中の思わぬ事故もある。
人間は例えの中では登山してばっかりです。
山がこんなに便利なものだったとは。
1年前の自分に教えてあげたいですよ。
ただ、本物の山を登るのは中々面倒で、あまり行くことはない。
私も高尾山しか登ったことしかない。
山で例えられるほど、私には登山の経験はありません。
これもまた、まるで登山ですね(?)
おわり
余談
「やまない雨はない」「明けない夜はない」と同じです。
「登れない山はない。」
と、どこかで書こうと思ったのですが、どうも山は違いますね。
登山中に死ぬ可能性がありますし、なにより、雨とは違って、自分の足を動かさなければならない。
雨とトンネルとは異なり、「時間が解決してくれないため、行動しなければならないもの」に対して、登山の例えが便利なのかな。
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