嬉し泣きなんてしたことある??
”嬉し泣き”とかいうワード。
当たり前のような顔してこの世に存在しているけど、人生で何回経験できる?
冷静に考えてみると、嬉しくて泣いた人なんてほとんどいないのでは?
なんとなく、犬の「嬉ション」を思い出した。
嬉しくて体から水が出る生き物は、犬くらいではないだろうか。
「感動で泣いた。悲しいわけではない。」
嬉し泣きは本当に存在するのか?
私が最近泣いた経験を振り返ってみる。
パッと思いついたのは、「鬼滅の刃」だ。
無限城編最終話、鬼殺隊の面々が無限城で慌てふためく中、
いつもはオドオドしている善逸が、覚悟を決めた顔で刀を握るシーン。
その洗練された佇まいと、無表情の演出がグサリと刺さり、涙が出てしまった…。
このシーンを見るだけでも、十分AmazonPrimeに加入する価値がある。
なんならAmazonからお釣りが帰ってくるかもしれません。
ただ、この鬼滅の涙は、悲しみを理由にしていない。
私は鬼ではないので、善逸に首を斬られることを憂慮して、涙を流したわけではない。
「じゃあ、何故泣いたのか?」
→それは、感動したからだ、と言う他ない。
「では、気持ちが動くといつも泣くのか?」
→そうではない。面白い、嬉しいといった気持ちの動きでは、泣かない。
「であれば、鬼滅の刃で泣いたのはなぜ?」
→説明できない気持ち感情が湧いたから。笑うわけでもないし、心が痛いわけでもないけど、涙を流すしかなかった。
となると、言語化できない感情で心が圧倒されたとき、涙が出るのかもしれない。
そういえば、怒ると泣く人もおるな
「私、怒ると何故か泣いちゃうんだよね。」
中学生の時に女子から言われたこのセリフ。
今思えば、どんなトークテーマで会話をしていたのか。
記憶は曖昧ですが、感情の整理が追いつかないときに涙が出る、と言っていた気がします。
嬉し泣きの正体もここにあるのかもしれません。
嬉しすぎて、言葉にならない感情を表現するとき、人間は涙が出る…
いや、涙が出るほど嬉しいってあるのか?
はじめて有料記事が売れたとき、それこそ「涙が出るほど嬉しい」と言いたくなるレベルの嬉しさではあったが、涙は出なかった。
(買ってくださった方、本当にありがとうございました。)
やっぱり嬉し泣きって無いのでは…
…いや、私は人生に一度だけ、嬉し泣きをしていますね。
部活引退したとき、嬉しくて泣いてた
小学校から中学校卒業までの9年間、私はサッカーをやっていた。
正直、小4時点で辞めたかった。が、辞められずにズルズル続けた結果、中学校3年生まで続けてしまった。
引退試合のホイッスルが鳴り、相手に礼。
チームメイトは敗北したためか、ふてくされていたが、
私は心から「(勝ってくれて)ありがとうございました。」と言ったのを覚えている。
自分たちの荷物置き場で帰る支度をしていたとき、
誰かが泣き始めるのが毎年の恒例だった。
全員が悔しさで泣いている中、私も涙が止まらなかった。
「(やっと、家で毎日マリオカートWiiができる…)」
こんなふうに言語化できていたかは不明だが、
あれは間違いなく、嬉し涙だった。
土日に意味不明なくらい強い他校との練習試合のために起きる必要もなく、毎日インターネットの友達とSkypeで通話ができる。
顧問の気まぐれで学校の周りを10周走らされることもない。馬鹿め。私が明日から走るのはレインボーロードだ。黒いアスファルトではない。
9年間味わうことができなかった幸福な生活が、眼の前にあることを悟った。そして、これまでの重圧が消えた途端、涙が出た。
サッカー部時代の苦悩の一部は下記で書いたので、
暇すぎて自殺を考えている人にだけ読んでいただきたい。
思い…出した!
結論、嬉し涙は存在します。
というか、私が過去に嬉しさで泣いてしまったので、否定できなくなった。
嬉しさが理由で体液が体から出るのは、犬ではなく、この私だった。
正確には「辛い状態から開放された安堵の涙」でしたが…
大きく括ればまぁ、「嬉しかったから流れた涙」にはなりそうなので、
今日のところは許してあげましょう。
おわり