noteで収益化できた方法は、無闇に公開しないほうが…
「収益化する方法」のnote購入者は
今、実際に収益化できているのだろうか
極秘情報が「みんなが知っている情報」に
noteには収益化のコツを謳った記事が溢れている。全て購入すれば、私も大金持ちになれるだろうか。
気にはなるが、結局購入に踏み切ったことはない。というのも、収益化の可否など、当人の嗜好と扱うコンテンツによるのではないかと思ってしまう。
もし、成功するための万人共通の道があるなら、この世に存在する成功に悩む人間の数を説明できない。
収益化の方法を堂々と公開するのは、投稿者本人が、個人の成功譚を公開しても問題ないと認識しているからではないか。誰も自分と同じ人生を歩んでいないため、そのまま真似できるはずがないのだ。
「哲学者の本をわかりやすく動画で説明したら、広告収入で生活できるようになりました!私の収益化はこんな感じ。」と言われ、今から哲学書を読もうと思う人は稀だろう。興味がないことに本気になれるはずもない。また、動画編集力も説明力も身につける必要がある。それならば、「特定のスキルを尖らせることが収益化コツです」とだけ言ったほうがマシだ。簡潔に完結している。
タイトルを検索で引っかかるようにするなど、「こうすれば有料記事が売れやすくなる」というコツはあるかもしれないが、継続的な収益化については、結局はやはり本人の工夫次第だろう。
また、秘密の収益化方法は公開した時点で、普遍的な方法に変わる。誰もが知っているものとなり果て、極秘だったものが「みんなと一緒の考え方」になる。公開された時点で、そもそもの価値が低い。公開から時間が経った場合は尚更だ。
自分だけが知っている、儲ける株を堂々と公開する人間などいないだろう。
言葉からして、とっても詐欺師すぎる。
収益化が何を指すかという、今更の問いが残っているが、もしそれが有料記事が売れることであれば、私も収益化が成功したクリエイターになる。売れた理由を考えてみる。せっかくここまで読んでくれた方へ共有しておくならば、それは「みんなが気になりそうなことを書いた」からだ。
収益化の方法を公開するのは、公開しても尚金が有り余っている人か、その手法をすでに利用していない人か、すべてを投げ捨てた善人かだ。
「収益化しました!」で収益化しようとしていないか?
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