「青春」に耐えられないから「異世界転生」に逃げる
アニメ視聴が趣味です。
先日、YouTubeでの雑談にて、視聴者の方から『アオのハコ』をオススメされました。
作品名で調べてみると、「大人気青春漫画!」という紹介がされている。
Amazonプライムですぐに視聴できるのですが、再生ボタンを押すことができないまま1週間が過ぎました。
代わりに、『嘆きの亡霊は引退したい』の6話をもう一回見ました。
青春と向き合うのが怖くなっておる
中学生の恋愛模様を描いた『月がきれい』を毎週楽しみにしていた頃の私は、もういません。
アオのハコを観るのが怖いです。二度と手に入ることのない「学生の青春」を観ることにより、精神を病むのではないかと戦慄してしまいます。
ご存知の通り、ビジネスマンはもう、青春を味わうことができません。学生を終えた瞬間、放課後の制服デートも、文化祭を2人で巡るイベントも、何もかも再現不可能になります。
コスプレしても無駄です。
当たり前ですが、制服を着るだけで学生になることはできません。制服デートの本質は「学生同士であること」であり、放課後という状況や、若すぎる年齢という要素が不可欠です。
青春恐怖症を患っている方、私以外にもいるのではないでしょうか。
というのも、この青春からの逃避が、どうも現代の異世界転生モノが流行っている理由に繋がっているように思えるのです。
異世界転生はまだ見ぬ未来、青春は手に入らない過去
異世界転生モノが存在しないクールはもはや存在しませんね。このコンテンツが人気である理由の一つは、「何も考えずに見ることができるから」だと思っています。
語弊がないように補足しておくと、異世界転生モノが中身が薄いとかそういう意味ではなく、「青春」とか「取り戻せない時間」を感じさせないことが、再生ボタンを押しやすくさせているということです。
異世界転生は、学生時代のような過ぎ去った"過去"ではありません。それは、可能性はゼロですが、もしかしたらあり得るかもしれない"未来"なのです。
繰り返しになりますが、青春は、どうあがいても二度と取り戻すことができない過去の産物です。高校生の機微は見てられない。しんどい。過去への後悔が映像を通して脳に染み渡ります。
しかし、異世界転生は死後の世界、つまり未来であることがほとんどです。過去の自分を主人公と照らし合わせることはない。辛くない。楽しい。死んだら僕もスライムに転生できるかもしれないという、将来の救いがあります。
脳死で見れるアニメ、という言葉がありますが、そう呼ぶ心理の裏にはこのような心理が働いているのかなと。
社会人には学生の恋愛は甘酸っぱくない。苦くてまずい。
人間を救う「何でもあり」という感覚
異世界転生モノは基本的に何でもありです。
若返ったり、特殊な能力を手に入れたり、人間以外の何かになったり…
この「 何でもあり」という要素が大事なのかなと思います。つまり、完全に日常から切り離されている世界であれば、自分の生活を投影せずに済むということ。
『ハリー・ポッター』などのファンタジーや『スター・ウォーズ』などのSFが人気なのも頷けます。現実に存在しない魔法や未来に夢中になるのと同時に、現実世界の自分との比較が発生しないことによる純粋な興奮があります。
「エンタメはストレスフリーに楽しみたい…」
結局、この一言に尽きますね。
おわり