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小学校には何度も呼び出され、長男ゲンの先生には叱られてばかり。 次男ショウは褒められることが多く、楽だったけれども 居心地がとにかく悪かった、小学校。 中学校でもなんとなく居心地が悪い。 全ての授業参観には仕事の合間をぬって参加した。 けれども、なんだか中学校が合わない。 行っても楽しくないのだ。 (この上記全ては、私「母親」の感覚の話です。) その後、ゲンが高校に入り 「あーここは私の居場所だ」と初めて感じる。 それは、ゲンが入学して初めてのPTAだったと記憶している
すっかり秋めいてきました 新堂きりこです。 今朝、ハタと気づきました。 この子育て関連noteは、かなーりの「超個性派子育て論」ではなかろうか と。 このnoteは「超個性の子どもを育てた記憶の記録」ですが やはり、私たち親が、すでに、強烈な個性を持っているんだなぁと 記憶を開示する「書く」行為をしているうちに、客観的に感じることになりました。 そうかぁ、すでに親が超個性なんだなと、思ったワケです。 と、すると、この子育て論は、一般ウケはしない ということです。 そう
子育てに、心配はつきものだ。 成長するにつれ、心配事はどんどん増えてくる。 小さい頃はただ元気に育ってくれればいいと思っていた。 大きくなっていくにつれ、本人の希望も出てくるし、初めての子どもは特にわからないことだらけで、親も戸惑ってしまうことになる。 共働きで、実家が遠く、頼る人もいなかったから、懸命に子育てをし 学校が長い休みになると、両方の実家に交互に預けて働いていた。 長男ゲンには結構寂しい思いをさせていたようで 「おうちに帰りたいなぁ」といつも言っていたと、両方
もう、かなり以前のこと。 とある方から、突然 『きりちゃん、 きりちゃんってさ、家族のことを書いて本を出版するよ。ふふ』 と、唐突に言われたのです。 は??? なんのこと? 私、自己開示が苦手だし、ましてや家族のことを書くなんてないですから! と、一笑して、終わり。 その方、実は、不思議なものが見える方。 それを仕事にはしていなくて、普通の経営者さんなのです。 普通と言っても、やはり私の周りの方は、普通じゃない。 あれこれみえるけれども、仕事にしていない、お金を取ったり
ゲンとショウは、スイミングスクールに通っていました。 夫も私も泳げなくて、子どもたちは泳げるようにしときたいと思っていたからです。 親の夢を乗せられた形のスイミング。 本人たちは希望していないけれど、泳げない親が泳げるようにしたかった、 それだけの理由です。 3才から始めたゲンは、すぐに泳げるようになりました。 水も全く怖がらないし、身体も大きくて、どんどんうまくなっていきます。 水が怖くて泳げない私は、天才じゃないかしら?と思っていました。 小学校の中学年頃だったと記憶