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個性を順調に伸ばしてきた 長男ゲン。 勉強はほとんどやっていませんでした。 高校2年時の家庭訪問でのこと。 担任は確か、体育の先生だった思います。 ゲンがいない中での家庭訪問 (高校生でもやっていたのね) 夫と私が先生とお話ししました。 『私はゲンくんの爆発を信じているんですよ』 『彼は絶対に爆発してくれる、間違いない!』 と先生がおっしゃいました。 すごいな、この先生。 聞いている私がとてもうれしくなる言葉をいただきました。 成績が伸び悩む中での、この一言。 心
今日の話の時間軸は現在です。 わが家に起きてる不思議なことシリーズです。 (シリーズ化予定 笑) 長男ゲンの今現在の話です。 ゲンは 東大に入り、3回生で理系から文系へ文転します。 これは中々大変なことのようです。 本人はそんなことを一切言わないので、後から知ります。 いつもの事後報告です。 そして、就職時に選択をします。 その時、Aと、B、他にもあったようですが 珍しく私に聞いてきたのです。 「どこがいいと思う?」と。 私は面白いことをやっている某大手の 現地採用組
気をつけるようにしているのです。 放つ言葉とか、出す思いとか。 マイナスを極力言わないようにしているし 公園散歩で出会う人にする挨拶ひとつにしても、 自分から先にする 目を見てちゃんとしようと心がけているのです。 例え、挨拶が戻って来なくても 決して、「ちぇっ」とか思わないようにしています。 こちらが勝手に挨拶しているだけだし、 耳の遠い方かもしれない きれいなお姉さんには、おばちゃんが見えないのです。 とにかく、出すものはきれいなものにしたいと 常日頃思っています。
長男ゲンも 次男ショウも 自分の意見をしっかり持っています。 大人になった今は、なんでも自分で決めて 全て事後報告です。 後から聞いて驚く事ばかりですが 決断力があっていいなぁと思います。 ゲンは高校の選択で A高校、B高校の2つから選べるところ、 自分の意志を押し通しA高校を選択しました。 親としては経済面が楽なB校にしてほしくて、 何度も勧めましたが、全く聞く耳を持たず。 その選択が将来への道を決定づけることを A校に入学してすぐに知ることになります。 ただ、
子育ての話を聞きたいとよく言われます。 講演会をしたこともあります。 介護生活でブランクがあるので、 最近はお話しする機会もなかったです。 このnoteも、書いてほしいというお声をいただき 始めることにしました。 子どもたちも今では家庭を持つようになり すっかり大人になってしまいました。 面影はまだありますが、しっかりした大人になっています。 夫が亡くなった今、子育てのことを思い出すのは 私一人の役目となってしまったので なかなか、noteが進みません。 ともに子育
簡単にできてしまうことは才能です。 あまりにも簡単にできてしまうので 才能だとさえも思えていないでしょう。 簡単にしかもスルスルできてしまうこと それが才能。 努力をしなくても元々持っているものですが ご自身の才能に気づいている方は少ないと思うのです。 私自身がそうでした。 人の変化にとにかくよく気づきます。 表情を読み取るのはもちろん、 空気感、雰囲気からも感じ取れます。 だから、生きて行くのが、本当に大変でした。 いろんな情報が飛び込んでくるので、 ぐったり疲れ
あーいい人生だった、ありがとう! と、言って死ぬのが最大の目標です。 これ以上の夢は探してもありません。 どんなに困難な道でも どんなに人に笑われても 選んだ道をあきらめずに 最後までやりきっていたら きっと何かを得ると思う。 大きなことを成し遂げなくとも 自分の選んだ道を歩いていけば きっとその先は明るいと思う。 今は、苦しくても つらくても 結果が見えなくても 人生最後の日に あー私の人生最高だった! 楽しかった! やり切った! ありがとう!!! と言えたら
「はぁ、バカじゃない?何、言ってんの。 東大に行けるワケないじゃん。はははっ」 KO卒の同僚に言われた言葉。 彼女は、世に言う、美人で高学歴で資産家に嫁ぎ、 自分の仕事も立ち上げている「勝ち組」です。 私が「うちの子東大に行くから」と、何気なく話した時のことでした。 彼女は冒頭の様に、大笑いしたのです。 (そりゃぁ、笑うでしょ、当たり前) その時、私は全く傷ついていないと言うと嘘になるかもしれないけれど 「ふふ〜ん、そう思うんだ」くらいに感じていました。 高学歴、美人
小学校には何度も呼び出され、長男ゲンの先生には叱られてばかり。 次男ショウは褒められることが多く、楽だったけれども 居心地がとにかく悪かった、小学校。 中学校でもなんとなく居心地が悪い。 全ての授業参観には仕事の合間をぬって参加した。 けれども、なんだか中学校が合わない。 行っても楽しくないのだ。 (この上記全ては、私「母親」の感覚の話です。) その後、ゲンが高校に入り 「あーここは私の居場所だ」と初めて感じる。 それは、ゲンが入学して初めてのPTAだったと記憶している
すっかり秋めいてきました 新堂きりこです。 今朝、ハタと気づきました。 この子育て関連noteは、かなーりの「超個性派子育て論」ではなかろうか と。 このnoteは「超個性の子どもを育てた記憶の記録」ですが やはり、私たち親が、すでに、強烈な個性を持っているんだなぁと 記憶を開示する「書く」行為をしているうちに、客観的に感じることになりました。 そうかぁ、すでに親が超個性なんだなと、思ったワケです。 と、すると、この子育て論は、一般ウケはしない ということです。 そう
子育てに、心配はつきものだ。 成長するにつれ、心配事はどんどん増えてくる。 小さい頃はただ元気に育ってくれればいいと思っていた。 大きくなっていくにつれ、本人の希望も出てくるし、初めての子どもは特にわからないことだらけで、親も戸惑ってしまうことになる。 共働きで、実家が遠く、頼る人もいなかったから、懸命に子育てをし 学校が長い休みになると、両方の実家に交互に預けて働いていた。 長男ゲンには結構寂しい思いをさせていたようで 「おうちに帰りたいなぁ」といつも言っていたと、両方
もう、かなり以前のこと。 とある方から、突然 『きりちゃん、 きりちゃんってさ、家族のことを書いて本を出版するよ。ふふ』 と、唐突に言われたのです。 は??? なんのこと? 私、自己開示が苦手だし、ましてや家族のことを書くなんてないですから! と、一笑して、終わり。 その方、実は、不思議なものが見える方。 それを仕事にはしていなくて、普通の経営者さんなのです。 普通と言っても、やはり私の周りの方は、普通じゃない。 あれこれみえるけれども、仕事にしていない、お金を取ったり
ゲンとショウは、スイミングスクールに通っていました。 夫も私も泳げなくて、子どもたちは泳げるようにしときたいと思っていたからです。 親の夢を乗せられた形のスイミング。 本人たちは希望していないけれど、泳げない親が泳げるようにしたかった、 それだけの理由です。 3才から始めたゲンは、すぐに泳げるようになりました。 水も全く怖がらないし、身体も大きくて、どんどんうまくなっていきます。 水が怖くて泳げない私は、天才じゃないかしら?と思っていました。 小学校の中学年頃だったと記憶