人間好きが人間嫌いになる
ずっとこれまで、人間が好きだと思って生きてきた。
協調性は全くないけれど、自分は人のことが好きだと思っていた。
その考えが、介護を始めた途端、全く間違っていたことに気づく。
まず、人が家に入るのが嫌。
ヘルパーさんとか、ケアマネさんとか、介護はやたらと人の介入がある。
介入なくしては、始まらない。
人が入るのが嫌で、ずっとしばらくは息子と2人で介護をしていた。
それを続けているうちに、さすがに私も息子も体力が厳しくなってくるし、息子も就職するようになり、家を離れてしまうタイミングで、プロの方にしっかり入ってもらうようになったと記憶している。
とにかく、毎日が慌ただしく大変だったので、詳細が本当に飛んでしまっている。
記憶があちこちない、、、。
スケジュールを見直せばもっと詳しく書けるけれど、伝えたいことはソコではない。
何を思い、何を考え、何に困り、何にお手上げだったのか等、自宅介護をすると決めてからのいろんな気持ちや感情を書きたいのだ。
今、介護をやっている方に、はたまた、いつか介護をされることが来るかもしれない方に、何かの参考になればいいなと思うから。
あんなに人間が好きだった私は、介護を始めてパッタリと人間が苦手になっていく。
本当は誰にも入ってほしくなかったが、誰かの手を借りなくては回らなくなり、いたしかたなくプロの力をお借りすることになる。
しかし、心から歓迎していない私は、随分と傲慢な態度でみなさんに接していた。
自分がやった方が早いと思っているし、プロなのにレベルが低いとか、持ち前の見極め力?で、とことん人を査定していた。
ジャッジしているつもりはないのだが、事細かに見てしまう癖で、元々の性格か、これまでの生き様で身についてしまったのか定かではないが、とにかく、人をすぐにジャッジしてしまう癖があった。
だから、助けてください、という言葉が出ていなことをすぐに指摘されてしまったのだ。
それは、最初のケアマネさんに言われた
「助けてください、と声をあげないと力になってくれませんよ」と。
それを聞いてすぐには納得できず、なかなか出来上がらないチームワークに悩んだ後、ついに腑に落ちて、「助けてください」と声に出してお願いするようになった。
それでも、傲慢な態度は変わっていなかったと思う。
相変わらずの傲慢さを抑えつつ、たくさんの人が入れ替わり入ってくるのがストレスだった。
途中から、プロが来ている時間に別室にいて、終わる頃に顔を出す、という方式に変えたりしてみた。
そのうち、買い物に出るようにしたりして、極力、人がいる時は、空間を変えるようにしていた。
しかし、やりたいことをやっているわけでもなく、ただその空間から逃避しているだけなので、結局ストレスは溜まる一方だった。
介護はストレスとの戦いであるとも思う。
押し寄せてくるストレスに押し潰されそうになると、介護うつになるし、体のあちこちをやられていることもある。
私の場合は、心も身体もかなりダメージを負っていることに、介護の最終段階の頃にようやく気がつくことになるのだが。
介護真っ只中の時には、自分のことは後回しにしているため、中々気づくことはできない。
それくらい、本気で介護に向き合っていたのだが、毎日が経験したことのない疲労感と、気疲れと、異常な速さで過ぎていく時間で1日はあっという間に過ぎていった。
ようやく、人間が苦手なんだと気づいてから、これまで好きだと思っていたのは、かなりの無理をしていたからだと、はたと気づいた。
そもそもそんなに人が得意ではないことがわかってしまった。
それ以前は、仕事をしていても、帰ったらプライベートな空間で休むことができ、発散できていたけれども、介護中は、プライベートな空間に人がどんどん入ってくるから、休むことがまずできない。
プライベートがそもそもない。
私のプライベートをなくすことで、夫が自宅で生活ができるのだ。
それに途中でようやく気がついた。
だから、介護者には休みが必要なのだ。
それが、いわゆる「レスパイト」だ。
ショートステイに行ってもらって、その間を休み、疲れを取るのだ。
ショート先を見つけるのにも中々大変だったが、ショートに行くようになって随分と楽になっていた。
オンとオフがないと私はダメになってしまうことに気がついた。
この介護経験を通して、たくさんの学びと気づきを得ることができた。
傲慢な自分を初めて知ったのもこの経験のおかげだ。
今、介護を終えて、また人が好きな自分が戻ってきている。
相変わらず協調性はゼロだが、人は好きだ。
介護をしていなければ、ロクな人間じゃぁなかった。
大袈裟では全くなく、本当に嫌な人間だった。
だから、介護を通して学ぶ羽目になったのだろうけれども。
(7ヶ月目)
振り返り
誰でもウエルカムの人間だったのですが、人間嫌いになりました。介護うつにも何度もなりましたが、傲慢さに気づける学びの時間でした。今ではすっかり人間好きに戻り、「傲慢マン」は時々現れますが、すぐやっつけます。書くのもお恥ずかしい内容ですが(自分のために)頑張りました!改行がヘンですみません。関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました。
新堂きりこ
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