プロローグ : 優しさ爆弾
「バファリンの半分は優しさで出来ている。」
鎮痛剤に胃薬が半分含まれているという意味だったと思うが、時に優しさは胸を刺し、重荷になり、背中を押してくれる。そして優しさは質量をもつという意味でそれは正しい。
徳と呼ばれる概念は難しい。誠実さ、意志の強さ、理性、自信、勇気、そして優しさといったあらゆる良き精神。そういったものは質量をもつ。
「人間が死ぬと”21グラム”軽くなる」
という話があるが、その人は意思力の強い人間だったのだろう。
「まさに前進せんとする意思力」あるいは「徳」、あるいは「優しさ」、それらに質量が存在するようだという予見を1940年代から神秘主義者達は騒ぎ立てていたが、実際に科学的な検証はおこなわれて来なかったが、2046年に世界は色めき立つ。
人間ひとりの体内にある徳の質量は通常16~22グラムに収まる。つまり人間の意思力は有限である。一人の人間が意思力によって一定量以上の徳を体内をトラップしたり、取り扱える形で体内に保持するのは非常に難しい。
しかし不可能ではない、やってのけた人間がいた。"いた"というのはもう"いない"という事なのであるが。
インドの修験者達は車座になり、彼らそのものでマントラを組み、お互いの意思力を束ね、中心の一人の聖人の中に徳性エネルギーを押込めた。
意思力によって意思力を押し込めるという離れ業を巧妙な思考制御によって成し遂げた。
彼らは人を魅了し、導く聖人、あるいは精霊へと成りたかったようだが、それは叶わず、殆どは意思力の無い腑抜けになり、中央の聖人は周囲2キロを巻き込んでかき消えた。
だが、徳性エネルギーを押し込める陣形と思考制御を指導した者たちは当然生き延びた。彼らによって徳性エネルギーを科学の対象物として扱う道が開かれた。
計測できるものは制御できる。制御できるものは利用できる。
記事をサポートしていただくと、一層のやる気と遊び心を発揮して新しい記事をすぐに書いたり、3Dプリントを購入してレビューしたりしちゃうかもしれません。