〜シャンシャン返還〜パンダから日中関係を振り返る
2月21日に上野動物園にいるパンダの「シャンシャン」が中国に返還されます。その可愛いルックスが多くの人を魅了してきたため、このニュースを聞いて寂しくなった方も多いでしょう。
実は、今年2023年はパンダの返還ラッシュなんです。2月22日には和歌山県のアドベンチャーワールドにいる「エイメイ」「オウヒン」「トウヒン」が、そして神戸市立王子動物園の「タンタン」も今年中に返還される予定です。
この機会に、今回の記事ではパンダを軸に日本と中国の関係を見ていきます。
中国の「パンダ外交」
ジャイアントパンダは中国・四川省周辺にだけ生息する、非常に希少な動物です。中国は、このパンダを外交上の一つのシンボルとして利用しています。
その始まりは1941年に遡ります。当時は日中戦争の真っ只中にあり、中国はアメリカの支援を望んでいました。その頃欧米ではパンダという変わった動物への興味が高まっていました。そこに目をつけ、中国はアメリカに二頭のパンダを贈与しました。これが決定打になったわけではありませんが、中国に可愛らしいパンダのイメージをつけ、支援を取り付けることに成功したのは事実です。
これ以降、「友好のシンボル」としてパンダを贈与する「パンダ外交」が行われるようになります。つまり、パンダを贈与する=友好関係にある、という意味合いが生まれていったのです。したがって、パンダがきた時には両国の関係が良いとも捉えられるのです。
カンカンとランラン
欧米では人気が高まっていたパンダですが、日中戦争の敵国でもあったため日本では1970年ごろまでパンダへの関心は高くありませんでした。
ところが、1972年の日中国交正常化の際、友好のシンボルとしてカンカン・ランランが中国から贈られました。これをきっかけに、日本でパンダブームが巻き起こるとともに、日中関係は非常に友好になっていきます。
ランランが1979年に死亡すると、新たにホァンホァンが贈呈されました。これは、当時の大平正芳首相が訪中し、対中ODA(政府開発援助)を開始すると発表した直後に当たります。さらに、1980年にカンカンが死亡すると、1982年には日中国交正常化10周年を記念してフェイフェイが贈与されました。
贈与からレンタルへ
パンダの贈与を受けていたのは日本だけではありません。アメリカやイギリス、ソ連も中国からパンダを贈られていました。
しかし、1980年代前半に中国でパンダの主食であるタケの一斉枯死が起こります。これにより、パンダの個体数が激減してしまったのです。これを受け、パンダはワシントン条約の附属書Ⅰに記載されることになりました。ワシントン条約は国際取引のための過度の利用による野生動植物種の絶滅を防止し、それらの種の保全を図ることを目的とした条約です。この条約の附属書Ⅰに記載されると商業目的のための国際取引が原則禁止とされ、学術目的等の取引でも輸出国・輸入国双方の政府の発行する許可証が必要になります。
これを受け、中国政府はパンダの贈与を禁止し、パンダの国外移動は「研究目的のレンタル」という形式に限定されました。この形式では、パンダを長期間借り受け、繁殖などの研究を行う代わりに、中国の動物園や研究施設に寄付金を支払うことになっています。また、パンダが全て「中国籍の」パンダになるため、外国で生まれたパンダも含めて中国に返還しなくてはならないのです。
この形式でレンタルされた初めてのパンダが、和歌山県のアドベンチャーワールドにやってきたエイメイとヨウヒンです。
また、1995年に発生した阪神淡路大震災からの復興支援として、2000年には神戸市立王子動物園にタンタンとコウコウがやってきました。このように、日中関係が良好だった1970〜2000年代前半には「パンダの動き」も活発だったのです。
現在のパンダ事情
前章で見たように、2000年代前半までは日中関係が良好で、多くのパンダが来日しました。しかし、2000年代後半から様相が変わっていきます。
ホァンホァンとフェイフェイの間にトントンとユウユウが生まれるも、その後は子に恵まれず、2008年には上野動物園からパンダがいなくなってしまいました。この頃にはすでにパンダ人気が定着しており、研究目的にも経済効果狙いでも日本はパンダの借り受けを望んでいました。そのため、新たなパンダを借り受けようと日中両政府が動いていました。
しかし、2007年末から2008年にかけて、中国製の冷凍餃子による食中毒が発生したり、チベットで起きた独立デモを中国政府が武力で鎮圧したりするなど、日本人の反中感情が巻き起こります。そのため、新たなパンダのレンタルに関しても「多額のレンタル料を中国に払うことになるならパンダは要らない」という意見が台頭してきたのです。そんな中でも、新たにシンシンとリーリーが上野動物園にやってきます。
しかし2010年、尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が発生し、尖閣諸島の領有権をめぐる日中の対立が激化します。これ以降、日本にパンダがやってくることはありませんでした。
2011年に発生した東日本大震災からの復興のきっかけとしてパンダを仙台に連れてこようという動きがありましたが、2012年に日本が尖閣諸島の国有化を宣言すると日中関係がさらに険悪となり、この動きも流れてしまいます。
シンシンとリーリーの間に生まれていたシャンシャンについては、2020年に返却される予定でしたが、今度は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で返却が延期となり、2023年2月21日返還、となったのです。